SGRAメールマガジン バックナンバー
IDZIEVA Diana “On Empathy”
2025年7月17日 15:07:53
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SGRAかわらばん1072号(2025年7月17日)
【1】SGRAエッセイ:イドジーエヴァ・ジアーナ「共感について」
【2】SGRAレポート紹介:「疫病と東アジアの医学知識-知の連鎖と比較」
【3】SGRAフォーラム「なぜ、戦後80周年を記念するのか?」(7月26日、東京およびオンライン)へのお誘い(再送)
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【1】SGRAエッセイ#797
◆イドジーエヴァ・ジアーナ「共感について」
東京に越してから共感についてよく考えさせられる。朝の通勤ラッシュ、満員電車。ドアが開くたびに、ホームで待つ人々が容赦なく押し寄せ、車内の乗客はさらに圧縮される。皆は自分が少しでも快適な位置を確保しようと無言の戦いに挑んでいる。満員電車は弱肉強食の世界である。息苦しさに耐えながら、誰もがスマートフォンの画面に目を落とし、イヤホンで外界の音をシャットダウンし、できる限り他人の存在を意識しないようにしている。その中、一人の若い女性がふらついた。体調が悪いのか、彼女は吊革に手を伸ばそうとしたが、人波に押され、バランスを崩して隣の男性にぶつかってしまった。男性は彼女を横目でにらみ、舌打ちする。女性は申し訳なさそうにお詫びの言葉を呟いた。彼女は周囲の誰もが見て見ぬふりをする冷酷な無関心の中で立ち尽くした。
このような光景は東京では決して珍しくはない。肘打ちされたり、足を踏まれたり、怒鳴られたりすることもある。満員電車の暴力性にはもはや誰も驚かないどころか、多くの人はそれを当たり前のものとして受け入れている。しかし、これは単なる過密状態による偶発的な摩擦ではなく、むしろ共感の欠如がもたらす現象ではないだろうかと考えたりする。誰かが具合悪そうにしていても、席を譲る人は少ないし、トラブルが起こっても、多くの人は関わらない方がいいと思い、無関心を装う。満員電車の中では助け合うよりも、いかに自分のスペースを守るかが優先される。それは冷たさというよりも、生き抜くための無意識の戦略なのかもしれない。
共感とは他者の感情や立場を理解し、寄り添うことだと言われる。それは本当に必要なものなのだろうか?人によって考え方が異なり、共感こそが社会を繋ぐものだと思う人もいれば、逆に共感があるからこそ苦しいことがあると思う人もいる。確かに、共感はときに負担にもなる。SNSを開けば、誰かの怒りや悲しみがあふれ、共感するよう求められる。職場では、上司や同僚の気持ちをおもんばかることを求められ、家に帰れば、家族の感情に寄り添うことを期待される。その結果、共感する余力がなくなり、無関心になるのは、ある意味で当然のことなのかもしれない。
しかし、共感の欠如は無関心だけを生むわけではなく、暴力を生んでいることに着目したい。
満員電車で舌打ちをする男性の表情には、苛立ちや疲れだけでなく、どこか攻撃性がにじんでいた。ぶつかってきた女性を自分のパーソナルスペースに侵入した邪魔な存在としてしか見ていないような目だった。共感がない場所では、人は他人を障害物としてしか見なくなる。他者の痛みを想像しなければ、それは単なるノイズになり、邪魔になれば排除しようとする。満員電車での舌打ち、無言の肘打ち、強引な押し合いは暴力の一形態であり、自分の空間を守るための正当な行為として認識される。この縮図は社会全体にも広がっている。ネット上での誹謗中傷、職場での冷たい態度、すれ違いざまにぶつかっても謝らない街の空気。共感が薄れ、相手をただの障害物として扱うとき、そこには暴力が生まれる。
共感を失った社会で、どうすればその人間らしさを取り戻せるのか。共感は特別な才能ではなく、意識して育てるものなのかもしれない。例えば小説を読むことで異なる人生を疑似体験できる。誰かの話をじっくり聞くことでその人の世界を垣間見ることができる。あるいは、街を歩いて、ふとした人の表情に目を向ける。それだけで、人との距離が少し縮まることもある。更に一歩踏み込めるなら、知らない相手と話してみるのもいい練習になる。例えばいつも通っているスーパーの店員さんと話してみるだけで、その人は障害物ではなく、生身の人間であることに気付く。当たり前のように思えることなのに、現代人はその当たり前のことを忘れかけている気がする。特に東京のような大都会に住む人は。
ただ言うまでもなく、誰もがいつでも他人に共感できるわけではないし、常に優しくあれとは言わない。ただ、どこかでほんの少し誰かのことを思う余白があれば、それだけで世界の見え方は変わるのかもしれない。満員電車の中で誰かが倒れそうになった時に、手を伸ばす人が一人でも増えたなら、その小さな行為が私たちに人間らしさを取り戻すきっかけとなるはずである。結局は三島由紀夫が言っていた通り、「人間というのは、自分のためだけに生きて、自分のためだけに死ぬというほど強くはない」。少しでも他人のことを考える余裕があれば、きっと毎日見慣れている光景が変わり、弱肉強食の悪循環から抜け逃げ出す道を見出せるとひそかに考えたりする。
<イドジーエヴァ・ジアーナ IDZIEVA Diana>
ダゲスタン共和国出身。2024年度渥美財団奨学生。東京外国語大学大学院総合国際学研究科より2021年修士号(文学)、2025年9月博士号(文学)予定。主に日本の現代文学の研究を行っており、博士論文のテーマは今村夏子の作品における暴力性。現在、東京外国語大学、慶應義塾大学、津田塾大学で非常勤講師。
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【2】SGRAレポート紹介
SGRAレポート第111号のデジタル版をSGRAホームページに掲載しましたのでご紹介します。下記リンクよりどなたでも無料でダウンロードしていただけます。SGRA賛助会員と特別会員の皆様には冊子本をお送りしました。会員以外でご希望の方はSGRA事務局へご連絡ください。
SGRAレポート第111号
◆第11回日台アジア未来フォーラム
「疫病と東アジアの医学知識-知の連鎖と比較」
2025年6月20日発行
<フォーラムの趣旨>
2019年12月、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が中国の武漢市から流行し、多くの死者が出て全世界的なパンデミックを引き起こした。人と物の流れが遮断され、世界経済も甚大な打撃を受けた。この出来事によって、私たちは東アジアの歴史における疫病の流行と対処の仕方、また治療、予防の医学知識はどのように構築されていたか、さらに東アジアという地域の中で、どのように知の連鎖を引き起こして共有されたかということに、大きな関心を持つようになった。会議では中国、台湾、日本、韓国における疫病の歴史とその予防対策、またそれに関わる知識の構築と伝播を巡って議論を行った。
【第1部】
[報告1]新型コロナウイルス感染症(Covid-19)から疫病史を再考する──比較史研究の可能性について
李尚仁(中央研究院歴史語言研究所)
[報告2]清日戦争以前の朝鮮開港場の検疫規則
朴漢珉(東北亜歴史財団)
[報告3]幕末から明治初期の種痘について
松村紀明(帝京平成大学)
[報告4]流行性感染症と東アジア伝統医学
町泉寿郎(二松学舎大学)
【第2部】
[指定討論]
市川智生(沖縄国際大学)
巫毓セン(中央研究院歴史語言研究所)
祝平一(中央研究院歴史語言研究所)
小曽戸洋(前北里大学東洋医学総合研究所教授)
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【3】SGRAフォーラムへのお誘い
下記の通り第77回SGRAフォーラム「なぜ、戦後80周年を記念するのか?~ポストトランプ時代の東アジアを考える~」を対面とオンラインのハイブリットで開催いたします。参加ご希望の方は事前に参加登録をお願いします。
テーマ:「なぜ、戦後80周年を記念するのか?~ポストトランプ時代の東アジアを考える~」
日 時:2025年7月26日(土)14:00~17:00
会 場:早稲田大学大隈記念講堂小講堂およびオンライン(Zoomウェビナー)
言 語:日本語・中国語(同時通訳)
参 加:無料/会場参加の方も、オンライン参加の方も必ず下記より参加登録をお願いします。
https://us02web.zoom.us/webinar/register/WN_u5_wRtx1T6uAYZFIMhMe3w#/registration
※会場参加の方で同時通訳を利用する方は、Zoomを利用するためインターネットに接続できる端末とイヤホンをご持参ください。
お問い合わせ:SGRA事務局( [email protected] )
◇フォーラムの趣旨
80年の長きにわたる戦後史のなかで、アジアの国々は1945年の出来事を各自の歴史認識に基づいて「終戦」「抗戦の勝利」「植民地からの解放」といった表現で語り続けてきた。アジアにおける終戦記念日は、それぞれの国が別々の立場から戦争の歴史を振り返り、戦争と植民地支配がもたらした深い傷と記憶を癒やし、平和を祈願する節目の日であった。一方、この地域の人びとが国境を超えた歴史認識を追い求め、対話を重ねてきたことも特筆すべきである。
2025年は終戦80周年を迎える。アメリカにおける政権交替にともなって、アジアをめぐる国際情勢がより複雑さを増している。こうした状況のなか、多様性や文明間の対話を尊重し、相互協力のなかで平和を希求してきた戦後の歴史を本格的に検証する意味は大きい。本フォーラムは日本、中国、韓国、東南アジアの視点から戦後80年の歳月に光を当て、近隣諸国・地域と日本との和解への道を振り返り、平和を追求するアジアの経験と、今日に残る課題を語り合う。
◇プログラム
14:00 開会
14:20 基調講演Ⅰ
「冷戦、東北アジアの安全保障と中国外交戦略の転換」
沈志華(華東師範大学資深教授)
14:50 基調講演Ⅱ
「冷戦から冷戦までの間 第2次世界大戦後米中関係の展開と日本」
藤原帰一(順天堂大学国際教養学研究科特任教授・東京大学名誉教授)
15:40 オープンフォーラム
[若手研究者による討論]
権南希(関西大学政策創造学部教授)
ラクスミワタナ・モトキ(早稲田大学アジア太平洋研究科)
野﨑雅子(早稲田大学社会科学総合学術院助手)
李彦銘(南山大学総合政策学部教授)
[フロアからの質問]
16:50 総括・閉会挨拶 劉傑(早稲田大学社会科学総合学術院教授)
プログラム(日本語)
https://www.aisf.or.jp/sgra/wp-content/uploads/2025/06/SGRAForum77Program_J.pdf
中国語ウェブサイト
皆さまのご参加をお待ちしております。
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★☆★お知らせ
◇「国史たちの対話の可能性」メールマガジン(日中韓3言語対応)
SGRAでは2016年から「日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性」円卓会議を続けていますが、2019年より関係者によるエッセイを日本語、中国語、韓国語の3言語で同時に配信するメールマガジンを開始しました。毎月1回配信。SGRAかわらばんとは別に配信するため、ご関心のある方はSGRA事務局にご連絡ください。
https://www.aisf.or.jp/kokushi/
◇SGRAの新規プロジェクト「SGRAラーニング」
SGRAレポートの内容をわかりやすく説明する10~20分の動画で、SGRAレポートのポイントを短くまとめた上で、それをめぐる多国籍の研究者による多様な議論を多言語で共有・紹介しています。高校生や大学低学年を対象に授業の副教材として使っていただくことを想定していますが、SGRAウェブページよりどなたでも無料でご視聴いただけます。国史対話のレポートと動画は日本、中国、韓国の3言語で対応しています。
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