SGRAメールマガジン バックナンバー

YUN Jae-un “Tokyo’s Unknown (?) Base Issues”

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SGRAかわらばん1008号(2024年3月21日)

【1】SGRAエッセイ:尹在彦「東京の知られざる(?)基地問題」

【2】国史対話エッセイ紹介:金泰雄「歴史と私―道程と進路」
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【1】SGRAエッセイ#760

◆尹在彦「東京の知られざる(?)基地問題」

東京の西部、「三多摩」もしくは「多摩地区」と呼ばれる地域への第一印象は「異色」だった。2015年、最初に住み始めた小平市の風景は予想していた東京のそれとは違った。まず驚いたのは最寄り駅の線路が単線だったことだ。小平市を縦断する西武多摩湖線の風景は「郊外感」であふれていた。多摩地区出身の何人かの方から「都内に行く」と言われた時には違和感を覚えた。厳然たる「東京都内」なのに23区と呼び分けていたからだ。

私の生活圏である東京都立川市は近年「多摩地区の王者」とも呼ばれる。より田園風景の印象の強い八王子市からその座を譲り受けつつあるという。実際に、新しい商業施設の建設や商業ビルの建て替えがコロナ下でも盛んに進められた。人口は約20万人と、八王子市(約57万人)の方が圧倒的に上だが、交通の利便性や「都内」との距離、適度な自然と都会との調和という面で注目されている。そのためか、最近の立川市の平均地価は練馬区とほぼ変わらないという。

立川駅の北隣には広大な「国営昭和記念公園」がある。有料の庭園が有名で、バーベキューもできるため、地元だけでなく様々な地域から訪問する人が後を絶たない。花見シーズンや花火大会にはいつも混み合う。空から見下ろすと、公園はアスファルトで覆われた区域と隣接している。これは、この公園の特殊な歴史を物語るいわゆる「傷跡」でもある。形状からも推察できるように、これは滑走路の跡だ。今は陸上自衛隊立川駐屯地が位置されているが、かつては米軍の立川飛行場があり、その前には日本陸軍が同じ用途で使用していた。米軍の立川飛行場返還と共に、1983年開園したのが現在の昭和記念公園だ。それまで立川市一帯は「基地城下町」で、米軍基地拡張反対のための「砂川訴訟」(日米安保のあり方が問われる)も行われた。現在でも米兵向けの歓楽街の名残が一部地域に残っている。

昭和記念公園からもう少し北上すると、また広大な現役の滑走路が登場する。米空軍の横田基地だ。難読地名に入りそうな福生(ふっさ)市などに位置しており、基地周辺には米軍のための飲食店やバーなども散見される。この1年間、用事があって定期的にこの地域に足を運んだ。そのため、隣接している昭島市のカフェなどで時間を過ごすことが何回かあったが、偶然にも自分の記憶(トラウマ?)がよみがえる経験をさせられた。久々に飛行機(戦闘機)の爆音にさらされたのだ。おそらく、昭島に初めて来たであろうカフェのお客さんは繰り返される爆音に衝撃を受けたようだった。それもそのはず、会話が続かないため、ただ単に騒音が収まるまで待つしかない。

韓国空軍出身の私は兵役の2年間を飛行場の中で暮らした。宿舎から滑走路までは走ると10分もかからない。戦闘機の爆音は昼間だけでなく、場合によっては夕方まで続く。年に数回ある軍事演習時には特にひどくなる。大がかりな演習時には韓国軍だけでなく米軍も増派された。その大半は沖縄駐留米軍で「米韓安保と日米安保がこのようにつながっているんだ」と、実体験として理解できた瞬間でもあった。基地内には少数の米軍が駐屯しており、個人的には食べ物(とにかく安く食べ放題のアメリカンスタイルの料理が楽しめた)や図書館の利用など、お世話になったこともあった。しかし、騒音のせいで、基地周辺では苦情が絶えず住民訴訟も数回起こされた。

横田基地の騒音が気になり、昭島市のホームページを調べた。そこでは「横田基地」と「立川飛行場」の騒音や各種演習に関する情報が頻繁に発信されていた。事前に演習情報を知ったって、何か対策をとることはできない。残念ながらそれが経験からも分かる現実だ。墜落事故が相次ぐオスプレイに関する情報も載っていた。去年11月、屋久島沖に墜落した米軍オスプレイ機は横田基地所属だ。この地域住民にとって基地問題は他人事ではない。

発がん性が疑われる有機フッ素化合物(PFAS)問題は最近偶然知った。米軍基地から流出したPFASが河川に流れ込み水質汚染を起こす可能性が提起されている。ただし、まだ人体への影響は定かでないようだ。これまで沖縄でも問題になっていた。昨年、野党系国会議員が配布したチラシに多摩地区の水質汚染に関する情報が載っていた。東京新聞記事(2月3日)によると、立川市の防災井戸1か所で国の暫定基準値の9倍を超える値が市の調査から確認されたという。昨年9月の選挙で勝利した野党系の市長がPFAS問題に厳しい発言をしていたことも思い出した。その候補が市長に当選し独自調査に踏み切ったのだ。NHKニュース(2023年12月1月)では、多摩地区の住民を対象に行った専門家(京都大学大学院の原田浩二准教授)と市民団体の調査では、政府による他地域の調査結果より2.4倍の高い血中濃度が検出された。

このように、「都内」でも防衛政策に関しては地域による「二重構造」が存在しているのだ。沖縄ほどではないにせよ、同様の構図が東京でも続いている。2年間「暮らしていた」韓国の空軍基地は結局、住民の苦情や政治家の圧力により移転が決定された。現在は大邱(人口約240万人)の中心部からほど近い場所にあるが、2030年を目途に人口の少ない地域に完全に移転される。費用は1兆円以上に上ると見込まれる。それなりに思い出(?)のある場所だったが、やむを得ないと思った。もちろん、全ての基地問題が移転という方法で解決できるとは思わない。費用や地域間対立も相当なものになるはずだ。それでも基地問題に対する情報提供への積極姿勢やその透明性、住民とのコミュニケーションはある程度必要ではないだろうか。東京でも基地問題は現在進行形だ。

<尹在彦(ユン・ジェオン)YUN_Jae-un>
立教大学平和・コミュニティ研究機構特別任用研究員、東洋大学非常勤講師。2020年度渥美財団奨学生。新聞記者(韓国)を経て、2021年一橋大学法学研究科で博士号(法学)を取得。国際関係論及びメディア・ジャーナリズム研究を専門とし、最近は韓国のファクトチェック報道(NEWSTOF)にも携わっている。

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【2】国史対話エッセイ紹介

12月21日に配信した国史対話メールマガジン第52号のエッセイをご紹介します。

◆金泰雄「歴史と私―道程と進路」

私は1961年10月に生まれた。この年は5・16軍事政変(訳注:1961年5月16日に朴正煕少将が主導した反共クーデター)が起きた年である。4・19革命(訳注:1960年4月19日、李承晩政権の崩壊の原因となった学生、市民の反政府デモ。警察の発砲で183人死亡)が花を咲かせる前にまた社会が激変し、韓国の政治・経済・社会・文化はもちろん、教育も新しい環境にさらされた。反共主義と国家主義が幅を利かせ、教育現場に軍事文化が根をおろし始めた。国民学校(訳注:小学校。後に初等学校に改称)1年の冬休みを目前にした1968年12月5日、国民敎育憲章の宣布と1972年10月の維新(訳注:1972年10月17日、朴正煕政権が非常戒厳令を宣言。独裁が始まった)の広報物は幼い国民学校の生徒にも国家と民族に対する献身と情熱を呼び起こす触媒だった。

中学校時代も同様だった。1975年のいわゆる「越南敗亡」(訳注:1975年4月30日南ベトナム政権が無条件降伏、臨時革命政府が全権掌握しベトナム戦争が終わった)直後の教育現場のいたるところで行われた反共雄弁大会(訳注:スピーチ大会)と演説者たちの血の滲むような絶叫は指導者へのる絶対的な盲信をもたらした。毎月開かれる民防衛訓練(訳注:民間人も参加する一種の軍事訓練)は戦争に対する恐怖を増幅した。自然と少年は過去への逃避を夢見た。高句麗の栄光に関心を持ち、韓国の古代史に心酔したりもした。ハリウッドの映画会社で制作された様々な時代劇映画を鑑賞し、歴史の広大な舞台と興味を引くストーリーに魅了されたりもしていた。他の少年達と同様に世界の八不思議に夢中になり、関連する文献を読み漁った。歴史は小説のように無限の想像力を発揮できるだけでなく、興味を呼び起こす知識の倉庫のように思えた。

しかし、私のこういった歴史観は1980年3月、大学に入学して崩れてしまった。いわゆる「ソウルの春」(訳注:朴正煕暗殺後の一時的な空白期間)後に成立した新たな軍事政権が光州民主化運動を弾圧したことを知り、韓国の近代史にとりつかれるようになった。滔々と流れるような韓国の近代史の中に韓国の暗い現実を打開できる鍵が隠されていると考えたのだ。

全文は下記リンクよりお読みください。
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