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AHN Eun-byul “Diary of Just One Day on a Hospital Bed”

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SGRAかわらばん974号(2023年6月22日)

【1】エッセイ:安ウンビョル「たった一日の病床日記」

【2】寄贈本紹介:梁誠允『西鶴奇談研究』
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【1】SGRAエッセイ#741

◆安ウンビョル「たった一日の病床日記」

3月17日。子宮筋腫とポリープの除去手術を受けた。簡単な手術でたった一日の入院だったが、博士論文で心の余裕がなかったことを口実に、ほぼ1年間先延ばしにしていた。しかし体を大事にしろというシグナルか、博士論文審査原稿の提出前日に、びっくりするほどの出血があって、急いで再検査を受けて手術を予約した。

日本での入院は初めてだったこともあり、10年前に韓国で入院した時の記憶を思い起こし比較することになった。韓国の大学病院は、賑わう複合施設のような場所で、医師も看護師も忙しそうで、患者をかすめていくような感じがある。しかし、今回お世話になった東京郊外の病院は、人が多い時間帯にもなぜかゆったりとしていて、そこで働く人たちは私に最大限注意を払ってくれているように感じた。最近、20年以上日本に在住している韓国人女性が、日本ではすべての病院で断られた手術を韓国の大きな病院に行ってようやく受けることができたという話を聞いたが、韓国では経歴を誇示するために手術を重要視し、日本の場合はなるべく手術を避けようとする傾向があるという。日韓の医療現場を比較してみると、韓国は手術を、日本はケアや介護をより重視するという文化的傾向が見つかるかもしれない。

また、問診票に答える時、これまで受けてきた健康診断のものと「想定されている回答者の身体的状況」があまりにも違うという点に気がついた。普段の痛みや病歴、体に装着している補綴物などを細かく問う問診票に答えながら、高齢者の日常や速度をほんの少し想像することができた。問診票が場所によってどのように変わるのか比較したらどうなるのだろう。

いかなる状況に置かれていても、このように「比較文化的レンズ」を通して観察したり、こんな研究をしてみたらどうだろうか、と思考を巡らせたりするのが、日本に来て大学院で勉強し始めた頃からの癖である。もちろん、だいたい有効な考えには発展せず終わるけど。今回と10年前の経験の「違い」の意味は、個人的なものでもあった。そもそも疾患も手術法も違うし、10年も過ぎたから記憶が風化したということはある。けれども2回、手術や入院を「違うもの」として経験したということは、これからの人生において重要な記憶の糧になるだろう。どんな記憶を残すのか、それでどのように想像するかは、未来に起きることを「対比する」だけではなく、その経験を作っていく「力」を持つ。

なかでも麻酔の覚め方の違いが、一番記憶に残る。 10年前に全身麻酔から覚めた時は直ちに回復室に運ばれ、30分間放置された。その時経験した恐ろしい気分と寒さが手術をためらわせた理由の一つでもあった。しかし、今回は手術後すぐ病室の(一時的だが)「自分の場」に移され、とても穏やかな気持ちでいられた。不思議な幸福感ともうろうとした気分、起き上がった時に何を読もうかといった空想などが混合し、これからは全身麻酔という言葉自体に怖がる必要はないと思った。

手術が終わったのは正午だったが、夜眠れないことを憂慮して昼寝はせず、本を読んだりユーチューブ動画を見たりした。読んだものの一つはジョルジュ・ペレックの『考える/分類する』。収録されている「読むこと―社会-心理的素描」で、ペレックは「読む<行為>」を「肉体」と関連させて、また周辺(状況的なもの)と関連させて分類している。後者のものとしては、「間の時間」(何かを待っている間に読む)、「交通手段」、そして「その他」の「病院に入院している時」などと分類されているが、私の状況はこれが一つにつながっているようだった。夜を待つ長い「間の時間」であり、身体的な不動性によって生まれる長距離飛行のような状況でもあった。退院という目的地に向かって、回復という通路を通る長距離飛行。この時間こそ、「読む」そのものだと思った。実は私は短い飛行や乗車においても「降りたくない」と思うことが多い。目的ではなく過程が重要だという表現は、私にとってはしばしば、ただの比喩ではなくなる。

入院中、先日亡くなった大江健三郎が中期に書いた『新しい人よ眼ざめよ』も読んだ。闘病中の「H君」は「僕」に、次のように言う。
「生きる過程で、他人を傷つける、あるいは他人に傷つけられる、ということがあるね。それをやはり生涯のうちに、貸借なしとする。…… しかし、生きてるうちに精算がつくという問題じゃないね。結局のところ、自分が傷つけた他人には許してもらうしかないし、こちらはもとより他人を許す。そのほかにないのじゃないかと思ってね。……」
この作品で、障害を持った息子がいる「僕」は生きることの恐怖を克服するために、英国の詩人ウィリアム・ブレイクの詩に頼る。「僕」の恐れは、自分の死後に息子のイーヨーが一人で生きていくことである。ブレイクを読むだけでなく、この小説を書くこと自体が「僕」にとって「克服する」旅程であっただろう。もちろん生きることの恐怖は、「生きてるうちに精算がつくという問題じゃない」。しかし、誰かが「言葉」に頼って生きている姿を記録した「言葉」を読んでいる「間」には、勇気と希望とともに歩んでいくことができる。

病棟は静かすぎてキーボード音も畏れ多いほどだったが、深夜には生まれたばかりの赤ちゃんの泣き声が聞こえてきた。病院の前には碑石があり、ヨハネ福音書の言葉が刻まれている。「私は復活なり、生命なり」と。

<安ウンビョル AHN Eun-byul>
2022年度渥美奨学生。東京大学大学院学際情報学府博士課程に在学中。学際的なモビリティ・スタディーズの観点から、鉄道に乗って移動する経験とそれが社会的世界を生産する過程を研究。韓国では元『PRESSian』出版担当記者で、現在も物書きとして活動中。韓国語での単著『IMFキッズの生涯』(2017)共著『拡張都市仁川』(2017)『研究者の誕生』(2022)『すぐ手を振るかわりに』(2023)など。

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【2】寄贈書紹介

SGRA会員で檀国大学校日本研究所研究教授の梁誠允さんから新刊書をご寄贈いただきましたのでご紹介します。

◆梁誠允『西鶴奇談研究』

著者:梁誠允(ヤン・ソンユン)
発行所:(株)文学通信
2023年5月25日発行
A5判・上製・272頁
ISBN978-4-86766-012-6 C0095
定価:本体5,800円(税別)

われわれは西鶴奇談がもたらす感動をどのように説明できるだろうか。
単なる典拠論、素材論を超えて、現代のわたしたちが見失ってしまった、あるいは忘れてしまった様々な表現の層位(可能性)をさぐりながら、西鶴を探る。西鶴は人情世態を描くための表現を新たに獲得しようと、どれほど奮闘していたのか。言葉が織りなす運動に注目して、西鶴奇談の一話一話を詳細に考察する書。

【西鶴奇談では、類似の題材を扱う場合でも、二番煎じのような方法は殆ど用いられていない。問うべきなのは、一話一話における創作の有り方である。すなわち一話ごとに西鶴がどのような問題領域(話題)を開き、そこに同時代の人情世態に関わる問いかけがいかに生成しているか。題材の比重が大きい西鶴の奇談において、その現在的意味はどのように見出されているのか。また、西鶴奇談の中には〈同時代の人情世態〉が素直にあらわれてはいない。作品の背後に隠されている当時の現実と、作品として形象化された虚構の世界とはどのように相関しているのか。これらを明らかにすることにより、後代の読者である我々も、創作された奇談世界のどこがどう奇異であり、西鶴は当時の読者に何を感得させようとしたのかを理解できるようになるだろう。
本書では、言葉が織りなす運動に注目して西鶴奇談の一話一話を詳細に考察し、作品の中の不可思議で説明できないものを可能なかぎり明確に説明することで、西鶴奇談の備えている表現の挑発力を再び活動させることをめざす。】…「序章」より

詳細は下記リンクをご覧ください。
https://bungaku-report.com/books/ISBN978-4-86766-012-6.html

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