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YUN Jae-un “Six Years of Training and a Second Commitment as a Member of Society”

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SGRAかわらばん911号(2022年3月3日)

【1】エッセイ:尹在彦「修業の6年間、社会人としての2度目の決意」

【2】オリガさんからのメッセージ紹介
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【1】SGRAエッセイ#699

◆尹在彦「修業の6年間、社会人としての2度目の決意」

私は博士課程の研究において、人と会うことを最小限にするテーマと手法を選んだ。日本に来る前の5年間の仕事で、人と会うことの大変さを実感していたからだ。韓国内外の様々な人からもらった名刺を数えてみたら、平均して1日に一人は会っていた。意味のあった時間もあれば、どんな人だったか思い浮かばない名刺もある。会うまではどんな時間になるか、予想のつかないこともあった。しかも、インタビューの話を検証すること自体が仕事になることもあった。そのため、人の話に基づいた研究はなるべく避けたかった。このような経験を踏まえ、博士課程では文献を中心とした日本研究を行うことに決めた。

その結果なのか、何とか博士論文を書き上げることができた。コロナ禍の中での論文執筆はまさに「自分との闘い」で、悪戦苦闘の連続ではあったが、それでも「必ず提出する」という執念の方が勝ったと思う。2月の口頭試問の際には面接官の先生から散々厳しい指摘をいただいた。認めざるを得ない指摘がほとんどで、現在は博論の修正を考えている。ただし、博論はあくまで出発点であり、完成品ではない。本当の研究生活はこれからだ。

合計6年間、日本で大学院生として過ごした時間は良かったのか、悪かったのか。私は基本的に物事を批判的に捉える人間なので、正直「生の日本を見てしまった」と言わざるを得ない。近年は日韓関係が悪化の一途をたどる中で居心地の悪さも感じ、特にこの1年はコロナ対応における日本社会の強い同調圧力も実感した。コロナ禍により普段は潜んでいる日本社会の様々な側面がさらけ出されたと思う。日本研究者としては課題が一つ増えたような気がする。

韓国社会においては「マジョリティー」でかつそれなりの「メインストリーム」の道を歩んできた私にとって、6年間の「マイノリティー」としての経験は非常に良かった。韓国でも常にマイノリティーの問題に関心を持っていたつもりではあるが、やはり自分が同様の立場に置かれない限り限界がある。特に様々な財団にお世話になったため、同じ立場の外国人同士の交流ができたことはマイノリティーとして色々と考えさせられる契機となった。

「日本とは何か」「日本をどう見るべきか」というのは、私の研究人生を貫く問いである。答えが見えてくるかと思えば、また遠ざかる。この繰り返しではあるが、少なくとも6年前と比べ知識の量だけは増えた気もする。研究生活の中では専ら「学問をやる」ことを意識し、なるべく「ジャーナリズム」的な発信は抑えてきた。これからは「学問とジャーナリストの両立」を真剣に考えていくつもりである。正直、大学院生という身分は息苦しい面が少なからずあり、社会人大学生が少数の日本では特にそう感じた。早く抜け出したいという気持ちは常に強かった。

最後に仕事で痛感したことを一つ言わせてもらいたい。人とはどこで、どのような形でまた会うかわからないということである。当然のことのように聞こえるが、以前会った人に偶然再び会い、それが様々な縁につながったという経験を何度もした。「人に対して悪いことをしてはならない」という教訓でもあるだろうが、刹那の人間関係だとしても、どこかでまた何かの繋がりがあるかもしれない。めぐり合わせというべきだろうか。コロナ禍中の1年間、渥美財団の奨学生の中で一度も対面していない人も少なからずいるが、縁があれば近いうちにどこかで会えると思う。6年間の修行が終わり、再び社会人へ戻ろうとしている今、肝に銘じたいことである。

<尹在彦(ユン・ジェオン)YUN Jae-un>
一橋大学法学研究科特任講師。2020年度渥美国際交流財団奨学生。2021年、同大学院博士後期課程修了(法学博士)。延世大学卒業後、新聞記者(韓国、毎日経済新聞社)を経て2015年以後、一橋大学院へ正規留学。専門は東アジアの政治外交及びメディア・ジャーナリズム。現在、韓国のファクトチェック専門メディア、NEWSTOFの客員ファクトチェッカーとして定期的に解説記事(主に日本について)を投稿中。

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【2】メッセージ紹介

前号で新刊書をご紹介したSGRA会員でキエフ経済大学助教授のオリガ・ホメンコさんからのメッセージをお届けします。
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『国境を超えたウクライナ人』・・・今更このタイトルは皮肉的に聞こえるかもしれません。ウクライナ史、国境に対するウクライナ人の思いを書きました。ウクライナ出身の画家、技師、音楽家、作家、歴史家、哲学者などなどの9人、今よりずっと大変な時代を生き抜いて世界文化を豊にした人の物語です。
歴史的な観点から西と東の国境の存在について、また国境に対するウクライナ人の想いについて詳しく書いたこの本の最終章を是非、海に囲まれた島国の日本の皆さんに今読んで理解を深めていただきたいです。
2月27日に被害を受けたロバノフキー通り6Aの建物は、私がキエフで通っていた学校の隣にあります。ソ連時代にそこは軍事基地だったのですが、その後取り壊され、高層マンションがたくさん建てられました。どうして?ロシア軍は古い地図を使っているの?信じられない。ロバノフキー通りはサッカーで有名です。例えば、有名なサッカー選手でコーチのOleg_Blokhinは私の学校を卒業した有名人の一人です。そう、とてもスポーツの盛んな学校です。マンションの住民は大変な目にあいました。一般市民も被害を受けています。ウクライナの人はブラックジョークで、ウクライナがNATOに加盟するのではなく、NATOがウクライナに加盟するべきと言っています。確かに!ただし、させてもらえるかどうか別問題ですけど。
それにしても出版した本の題名がそのまま現実化するとは悪夢にも思いませんでした。空爆が始まった次の日に、私の家族は苦労してキエフを離れることができました。昨日30時間以上ドライブして国境を越えました。難民。信じられない。辛い。でも命が助かって良かったです。キエフの親戚、友達、教え子、同僚のことを祈っています。
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※興味のある方はオリガさんのTwitter(@olga_khomenko)をお読みください。

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