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Emanuele Giglio “My Religion and Faith: On the Way of Being ‘Also'”

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SGRAかわらばん902号(2021年12月23日)

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みなさまどうぞ良いお年をお迎えください。
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SGRAエッセイ#691
◆エマヌエーレ・ダヴィデ・ジッリォ「私の宗教と信仰:「~でもある」という在り方について」

自分のこれまでの人生の中で、大きく分けて言えば2つの大きな宗教と出会い、細かく言えば4つの信仰を受け入れる機会をいただきました。このエッセイでは、4つの信仰を受け入れている自分の今の「在り方」に至った経緯と、現時点での私の結論について述べたいと思います。

13年間も日本で日本の仏教文学を研究しているイタリア出身の私ですが、「宗教は何ですか」「信仰は何ですか」と聞かれることがよくあります。ずっと同じ文化と同じ世界の中だけで動いている人間ではありませんし、違う国(日本)の精神文化にも興味を持ち、違う宗教と信仰(仏教)にも触れて理解しようとし、受け入れた人間です。ですので、答えはそれほどシンプルではありません。

家族の信仰はカトリックで、私は生まれた時からいわゆる「ボーン・クリスチャン」(幼児洗礼を受けた者)です。私の今の人生のパートナーは非常にオープンな人でありながらも仏教徒ではないのですが、日本で最初にお付き合いした方は仏教徒でした。もう私と一緒にいない方で、彼女の個人情報をこちらで一方的に持ち出すというのはよろしくないので、この場では彼女の仏教に「新しい教団」と「伝統的な教団」の両方がある、という説明だけにとどめておきたいと思います。

彼女の家族は「新しい仏教教団」の信者でした。私は、自分の家族と所属教会のお許しを得て、彼女の信仰も受け入れ、イタリアから彼女の宗教団体にも入会しました。所属教会の「お許し」というのは、「カトリック教会を出ないでキリスト教を否定さえしなければ大丈夫だよ」「もしいつか子供ができて洗礼も受けさせるように努力してくれれば、違う宗教(例えば仏教)の方と付き合い、その信仰も受け入れて良いよ」という内容のお許しです。彼女とは「もしいつか子供が生まれた場合、すぐには宗教団体に入れないで、キリスト教と仏教の両方を子供に伝えてあげて、大きくなったら自由に選ばせてあげよう」という話も何度かしました。

私のような外国人にとって、キリスト教とは違う精神性に興味を持ち、キリスト教とは違う宗教の方と関わることは全く当たり前のようにできることではありません。違う文化と精神性を持っている相手の信仰も自分のものにしようと、それ関係の研究をするために10年以上家族から離れるということも―私は一人っ子ですからなおさらです。イタリア人の仏教関係者は人口の0.5%ですが、ほとんどカトリック教会にも所属していて、キリスト教を否定までする方はそれほど多くありません。そのほうがイタリア国内でカトリック教会と問題にならないからです。

この話はイタリアのみならず、キリスト教文化圏の地域でキリスト教以外の精神性を何らかの理由で受け入れた方々に聞けば、すぐに確認できます。「洗礼は受けたのか」「「初聖体拝領」と「堅信式」までやったのか」「カトリック教会以外の宗教団体にも入ったとき、洗礼などの秘蹟(サクラメント)を取り消していただきたいという手紙を地元の司教区にちゃんと送ったのか(でなければ、まだ教会にも所属しているまま)」「それとも、家庭事情などで違う宗教団体にも入って一つ以上の信仰を持っていて良いかという話をちゃんと司祭としてみたのか(司祭は理解してくれて許してくれると思います)」と。他にカトリック教会には無断で違う宗教団体に個人として入会した方も多いのですが、これはあまりよろしくないパターンで、イタリア国内とキリスト教文化圏の他の地域で問題になる可能性はゼロではありません。

もう20年前の話になります。私は5歳から20歳まで、空手とその繋がりで瞑想的なこともやっていたので、幼いころから日本の精神文化に強い興味がありました。イタリアでキリスト教以外の精神性にも関心を持った方と共通している理由として次の3つがあります。1)西洋世界が思想的に行き詰まっているという危機感を抱き、外から違うものもどんどん取り入れたほうが西洋世界の再生に繋がるのではないかという感覚があった。2)西洋世界が忘れつつある重要な価値観(心と身体との密接な繋がりを説く教え、人間と自然環境との密接な繋がりを説く教えなど)が、東洋の精神性にはまだ残っていて、今でもちゃんと生きているという感覚があった。3)歴史的な宗教の権威主義的なところ(聖職者中心の構造や人間のあるべき姿をアプリオリに規定しようとするところなど)には不満を抱いていた、この3つです。

2008年に来日した時、私は日本の文科省認定の研究生として入国していたので、文科省との契約によって宗教活動も含めて、研究以外のアクティビティーは最近まですべて制限されていました。お付き合いしていた方の信仰とそのお勤めも、彼女と一緒に行い大事にするということは、家の中だけの話にしなければならない状況でした。しかし、私は同時に大学でも研究の形で仏教の歴史を理解しようとし、その精神性の様々な展開を必死で吸収しようとしていました。

その時、私を学生と若手研究者として大事に育ててくださり、やることをたくさん与えてくださったのは、残念ながら私が最初に一番期待していたグループ(当時お付き合いしていた方の「新しい仏教教団」)関係の方々ではなく、「伝統的な仏教教団」の方々だけでした。この場ではイニシャルしか記載しないことにしますが、要するに大学時代の指導教官で我が恩師であるM.K.先生と、その「伝統的な仏教教団」関係の大学と大きなお寺さんの方々のみでした。

「新しい仏教教団」の方々には、私はどうやら次のようなことを思われていたらしいです。「我々の仲間だと思われたくなくて大学と他のところで自分の所属を隠したり否定もしたりしているのではないか」とか、「我々の仲間でいたいかいたくないか、どちらなのだろうか」と。この方々とのコミュニケーションと関係は10年ほど前に博士課程に入った時点で既にうまく行かなくなっていて、私が若手研究者として彼らと関わろうとすることに関して自分の家族と当時お付き合いしていた方にまで心配をかけました。

私の最初のコミュニケーション不足もあったかと思います。また、個人的なことを誰にでも詳しく聞いたり打ち明けたりすることは日本人同士でもなかなかやらないし、日本の宗教者の世界では多くの場合に生まれつきの「所属」によって人の基本的な立場が最初から決まっているため、そのような話を何度もする必要もないという文化的な側面も関係していると思います。さらに、日本人は、日本人がやってきた行動だけを前提にして、外国人の事情まで解釈することもあるようですが、これは適切でないと思います。

幸いに、「新しい仏教教団」と「伝統的な仏教教団」の間には歴史的に仲が悪かった時期も沢山あったにも関わらず、そして最初から私のことをご存じだったにも関わらず(大学に入った時に、所属の研究室の先生方に自分のことを詳しくお伝えしましたから)M.K.先生とその「伝統的な仏教教団」関係の方々は私をよく理解し、受け入れて、今でも研究生活を支えてくださっています。私は、家族の信仰であるキリスト教とは違うものも受け入れることができた人間として、M.K.先生などの「伝統的な仏教教団」の方々の信仰と価値観をも理解し、受け入れています。

では、「宗教は何ですか」「信仰は何ですか」という、私にもよくある質問なのですが、答えはシンプルなものでは有りえません。私は自分のことをクリスチャンであり、仏教者でもあると思っています。私には信仰が1つ以上あって、自分の人生では4つも受け入れている、とういう答え方になります。1)家族の信仰(カトリック)、2)日本で最初にお付き合いした方の「新しい仏教教団」の信仰、3)M.K.先生などの「伝統的な仏教教団」の信仰、4)今のパートナーの信仰と価値観を私はすべて理解し、受け入れておりますので、すべてが今の私の精神性の大切な一部になっている、ということです。

例えば、私にとってカトリックの朝晩のロザリオか、私がお付き合いした仏教者たちの朝晩のお勤めか、どちらでもかまいません。同じように元気になれることを何度も経験しています。どのコミュニティーとお付き合いしても、同じような「元気」を何度も再発見することが可能だと経験しております。同時に、混ぜるつもりも全くありません。イタリア語で喋る時はイタリア語で喋り、日本語で喋る時は日本語で喋り、イタリアの文化で考える時はイタリアの文化で考え、日本の文化で考える時は日本の文化で考えています。

同じようにクリスチャンの方と喋る時はキリスト教の「言語」で考え、喋り、仏教者の方と喋る時は仏教の「言語」で考え、喋ることができます。クリスチャンの方をキリスト教の「言語」で元気づけることも可能ですし、仏教者の方を仏教の「言語」で元気づけることも可能です。クリスチャンたちには仏教の視点を伝え、仏教者たちにはキリスト教の視点をお伝えすることもあり、両側の共通点と類似性について述べることもあります。これは、違う宗教の方と結婚した人、その子供たちのアイデンティティ論、ハーフの方(=ダブルの方、要するに一つ以上の母国語、一つ以上の文化、場合によっては一つ以上の精神性の方)と同じです。

さらに、「違う信仰も受け入れた時点で『自分の宗教と信仰は特にあれではなくこれだけだ』というような次元からは、私は最初から飛び出てしまっている」という答え方もできます。私のような人間に対して「宗教は何ですか」「信仰は何ですか」という問いかけは実は、私のような人への適切な理解を導かない可能性もある、と言わざるを得ません。

私はこの2番目の答え方のほうを好んでいます。私の出身の教会(カトリック)と日本で最初にお付き合いした方の「新しい仏教教団」、M.K.先生などの「伝統的な仏教教団」のそれぞれのカテゴリーで言えば、私はカトリック出身で、M.K.先生などの「伝統的な仏教教団」の関係者であり、昔お付き合いした方の「新しい仏教教団」の理解者でもある、という言い方になりますが、これらのカテゴリーは私のような人にいつでも完璧にフィットするとは限らない、とも言わざるをえません。

ここで、違う文化と価値観とのふれ合いが少なかったという事情もあって、たった一つの世界の中だけでしか動けなかった人たちが登場します。そして、彼らの、とある「こうあるべき論」と「立場主義」とよくぶつかったりもします。例えば、「今の話はあくまでも「~教団」の一員として言っているよね?」とか「どっちだ!?」とか「考えすぎだ」「気にしすぎだ」などと。ハーフの方などもよく受ける扱いです。申し訳ありませんが、「今の話はあくまでも…」というような次元からは、私は最初から飛び出てしまっています。「どっちだ?!」という設定からも、私は最初から飛び出てしまっています。本当に申し訳ありません。

「どっちの仲間だ!?」というような設定を押し付けられてしまうとすれば、私は所属と信仰を問わずオープンな方と仲間でいたいとは思いますが、次のような選択を迫られることになると思います。1)違う宗教との関わりを最初に許してくださったカトリック教会だけにするか、2)再び自分の家族とカトリック側のお許しを得た上で、日本で私を一番理解し、学生と研究者として大事に育て、やることと役割をたくさん与えてくださったM.K.先生などの「伝統的な仏教教団」を選ぶか、どちらかにせざるを得ないという話になります。日本でどちらのほうが私をオープンに活かし、そして私が最終的にどちらのほうによりお世話になったのかという倫理の問題になります。2番目の選択肢の場合、カトリック側は「お仕事のためなら」ということで、また20年前と同じような「お許し」を下さるそうです。

どちらにしても、私は架け橋のように造られた人間であるということに変わりありません。一つ以上の世界の両側に付くのが架け橋です。もしこれをどうしても理解できないという方がおられるならば、どうかご自身の不理解や、外国人の様々な事情に対する知識不足のようなものを、私のような人間の問題や罪に捉えないでください。架け橋を壊さないでください。

どなたについても言えることなのですが、人がそのように造られ、生まれてきたことには必ず意味と使命があるのです。世の中の一部の方々はこれからも理解しないかもしれません。多くは、たった一つの世界の中だけでしか動いてこられなかったのかもしれません。しかし、そういった方々にも「飛び出る」方法は全く無いわけではないでしょう。例えば、それぞれの価値観と精神性の歴史をよくよく学んでいけばいいです。そうすれば、どなたでも受け継いだ大事な精神的な遺産の現状を相対化し、その影響に対して創造的になり、どなたでも自分を自分たらしめる全ての要素をより深く味わうこともできるであろうと思います。

<エマヌエーレ・ダヴィデ・ジッリォ|Emanuele_Davide_Giglio>
渥美国際交流財団2015年度奨学生。2007年にトリノ大学外国語学部・東洋言語学科を首席卒業。外国語学部の最優秀卒業生として産業同盟賞を受賞。2008年4月から2015年3月まで日本文科省の奨学生として東京大学大学院・インド哲学仏教学研究室に在籍。2012年3月に修士号を取得。2015年に大田区日蓮宗池上本門寺の宗費研究生。仏教伝道協会2016年度奨学生。2019年6月に東京大学大学院・インド哲学仏教学研究室の博士課程を修了し、哲学の博士号を取得。現在、日本学術振興会外国人特別研究員。身延山大学・国際日蓮学研究所研究員。

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