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Kim Kyongtae “The 6th Dialogue of National Histories in East Asia Report”

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SGRAかわらばん892号(2021年10月14日)

【1】金キョンテ「第6回国史たちの対話『人の移動と境界・権力・民族』レポート」

【2】エッセイ:三谷博「コロナ禍下に国史対話は続く 国境と世代を越えて」
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【1】金キョンテ「第6回国史たちの対話『人の移動と境界・権力・民族』レポート」

今回の第6回「国史たちの対話」は、2021年1月に続き7ヶ月ぶりだった。近くになった距離はそう遠くならない。しかし、より頻繁に会えば会うほど親密さが増すことは言うまでもない。今回は皆が見慣れた顔であいさつを交わすことができた。

今回は一つの共通のテーマに対して一人の発表者が問題提起をし、複数の人がそれに対して討論をする方式だった。テーマは皆が話せる「人の移動」。これは一般的な意味でも学術的な意味でも議論が燃えるテーマだ。

円滑なオンライン会議の進行のために尽力してくださった事務局と通訳の皆さんに「ご苦労様でした」と、真っ先にお礼を申し上げたい。9月11日午前10時ちょうど、李恩民先生の開会挨拶から「対話」が始まった。村和明先生は6回目を迎える会議の経緯と趣旨を説明した。討論の時間が足りず、毎回心残りがあった経験から、今回は討論に重点を置く方式を選んだという。ただ、この実験的な試みがうまくできるかどうかは参加者にかかっているとの懸念があった。結果的に実験は成功だったと思う。

塩出浩之先生の問題提起は「人の移動から見る近代日本:国境・国籍・民族」というタイトルだった。歴史の研究は長い間、国と民族の影響を受けてきた。その枠から抜け出そうとする試みは多かったが、歴史研究の主流になるのは難しい。多くの見解を包容する方法論が必要な時だ。塩出先生が多様な角度から紹介してくれた事例は、これまで思いもよらなかったことを想起させた。

移動の自由というのは一体何か、何が人の移動を規定するか。先生は「大日本帝国」時代の朝鮮人と沖縄人の移動事例を挙げた。また、人の移動が何をもたらすか、何を作るかに主眼を置き、ハワイにおける中国、日本の移民者間の関係も紹介した。要するに、国が人の移動に及ぼす強い影響力についての悩みを投げかける発表であり、中国や韓国の研究者に、国史の中で人の移動をどのように扱っているのかを問う問題提起でもあった。生々しい写真を通じて蘇った人々の人生で一つの映画を見ているような感じだった。

これに対して、韓中日各国から2人ずつの指定討論者がコメントした。趙阮先生は経済的、政治的要因によるモンゴル帝国時代の移動を紹介。人々の移動が活発になる中で、帝国の中で異文化圏から来た人々の競争もあったということ、そしてこれらの移動がその後の歴史に与えた影響を指摘した。

張佳先生も同様に、中国史の移動を例に挙げた。戦争がもたらした移動とともに、政府主導の強制移動と政府が介入しない経済的移動との比較を行った。そして人々が様々な規制にもかかわらず、自発的に移動を続け、暮らしを続けた姿を見せてくれた。

榎本渉先生は古代と中世日本の具体的な事例を紹介した。古代日本は出入りの管理を厳密に行っていたのに比べ中世は国家の管理がなく、このため移動しようとする人が直接パスポートの役割を果たす文書を準備したという。国家が人の移動に介入しようとする試みの時間的・空間的多様性をうかがわせた討論だった。今のパンデミックの状況の中で見ると、移動の停止がオンラインでより活発な接触を引き出したような気もする。

韓成敏先生は近代韓国人の移動を3つに分けた。第1に生計のための半自発的な移動、第2に国家政策的移民、第3に植民地化以後の強制動員だ。さらに、弱者に対する愛情を盛り込んだ「トランスナショナル」観点の導入を提案し、移住先に住まなければならなかったディアスポラ(民族離散)の問題を勘案すると、移住者集団間の競争は特殊なものかも知れないという意見を提示した。

秦方先生はジェームズ・スコットの「ゾミア」(日本語訳では「脱国家の世界史」)を紹介しながら、中心と辺境、辺境と境界外のバランス、そしてその間を行き交った人々に対する関心の必要性を提起した。移動に対する国の管理とともにその裏面の姿も同時に見なければならないだろう。先生は自分のフィールド研究を簡単に紹介し、パンデミック以後変化したり、あるいは変化していなかったりする境界にいる人々の話を聞かせてくれた。

大久保健晴先生は、人の移動を別の視点から眺めた。近代化を推進していた国に雇用された外国人、南洋群島に行った日本人の原住民認識の事例だった。人々の移動であるだけに、様々な事例、反対の例を調べることがとても重要だろう。主権国家から離れていく難民はどう見えるかも重要な問題であることを確認した。一方、東アジアを越えて他の地域に対する見解も共有しようという意見を提起された。

以上の指定討論を通じて異なる時代、異なる地域で人の移動がもたらされる政治、経済的理由を探ることができた。歴史において国家の管理方式と理由、それでもそれを越えようとする人々の躍動的な姿。短い時間だったが視野が広がった。同一のテーマについて、自分の専攻分野と関連して短くて簡明に問題意識を語る形式は、効用性があると思った。

指定討論者が参加する自由討論では南基正先生が司会を務めた。ここでは移動の「自発性と非自発性」の区分が議論の中心で、塩出先生は、「個人が様々な目的で移動することを見せるのが、今回の問題提起だった」と述べた。しかし、その移動を左右するものの一つが国家であるという点を忘れてはならないという立場だ。国家と個人は一方的ではなく緊張関係であることを改めて確認することができた。移動と移住を分けるかどうかの問題についても議論があり、民族とはネーションかエスニック・グループか、エスニック・グループも歴史の中で作られたのではないか、などの議論が続いた。

3、4セッションはパネリストが参加した自由討論で、議論の幅がより広がった。まず、劉傑先生が論点を整理した。ポイントは何が移動を規定するか、移動は何をもたらすか、各国の国史教育が移動の問題をどのように扱っているか、今、人の移動を考えることの意味など。これによって自由討論に先立って考え方を整理することができた。

多様で細かい専攻分野を持つ研究者たちの質問と論点提起は、対話をさらに深めた。「人の移動を考える時、人類に普遍的に影響を与えた宗教に焦点を当ててはどうだろうか。忘れられた移動にも関心を持つべきであり、一般の人々と問題意識を共有する必要がある」(平山昇)。「自発と非自発は大差ないかも知れない。『中動態』という概念、すなわち自発的ではないが環境的にそうせざるを得ない状況がある」(大川真)。「人の移動を基軸としてグローバルヒストリーを描くということは重要な試みである。今回のテーマにより、古代~近代国家社会というものをより客観的に見ることができるようになった」(浅野豊美)。

「移動した移住民が現地との関係で生じる問題、移住2世代たちのアイデンティティ問題」(南基玄)。「移動と労働力の密接な関係」(佐藤雄基)。「人の移動に密接に関わる感染症が現代社会において自国民保護と矛盾をなす場面で感じた不思議」(市川智生)などの指摘が記憶に残った。また、本セッションの司会者であった鄭淳一、彭浩先生は専攻分野である日本と中国の旅券、戸籍の事例を詳しく紹介し、時代の理解に大きく役に立った。韓国の事例が十分に紹介されなかったのは残念だが、これは韓国史専攻者である筆者の責任でもある。

討論の後、宋志勇、三谷博先生の総括、趙珖先生の閉会挨拶が続いた。討論をもっと展開したいという発言が聞かれるとともに、この会議が充実していたことには皆が同意した。三谷先生は、多くの参加者が年長の世代が思いもよらなかった研究や発表もしているという点で明るい東アジアの未来を感じたと語り、こうして出会った仲の良い友達と一緒にこれからもこの対話を導いてほしいという希望を述べた。

今回の対話で、多様な時代と分類史を研究する研究者たちが集まり、共通のテーマを語るということのすごさに気づいた。問題提起は議論の幅を広げ、知的刺激は新たな疑問を引き出した。点から線へ、線から面へと広がることになるだろう。討論は終わらないものだ。9月11日の討論時間は終わったが、3国間の対話は終わっていないに違いない。国史たちの対話が続く一方で、研究者たちが自分の所属する場所で「対話の場」を広げることもできるだろう。

当日の写真
http://www.aisf.or.jp/sgra/wp-content/uploads/2021/09/Kokushi6Photoslight.pdf
アンケート集計
http://www.aisf.or.jp/sgra/wp-content/uploads/2021/09/Kokushi6Feedback.pdf

■ 金キョンテ(キム・キョンテ)Kim Kyongtae
韓国浦項市生まれ。韓国史専攻。高麗大学韓国史学科博士課程中の2010年~2011年、東京大学大学院日本文化研究専攻(日本史学)外国人研究生。2014年高麗大学韓国史学科で博士号取得。韓国学中央研究院研究員、高麗大学人文力量強化事業団研究教授を経て、全南大学歴史敎育科助教授。戦争の破壊的な本性と戦争が荒らした土地にも必ず生まれ育つ平和の歴史に関心を持っている。主な著作:壬辰戦争期講和交渉研究(博士論文)

 

【2】SGRAエッセイ#684

◆三谷博「コロナ禍下に国史対話は続く 国境と世代を越えて」
(第6回「国史たちの対話」会議に参加した翌日にFacebookアカウントに投稿された文章です)

昨日、第6回目の「日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性」の研究集会がオンラインで開かれた。これは渥美国際交流財団の支援の下、2016年から東アジアの自国史研究者の間に対話の道を開くために開催してきたものである。国際関係や隣国史を研究している人たちは留学をきっかけに隣国人と日常的に対話してきたが、「国史」の研究者はそうした経験を持たない。20世紀から尾を引く東アジアの歴史摩擦を解消するためには、まず閉鎖環境で暮らしてきた「国史」学者たちに直接に対話してもらうことが必要である。早稲田大学の劉傑さんの首唱により、渥美財団のご理解を得て日・中・韓の歴史家たちが、ほぼ隔年に対話集会を繰り返してきた。

今回のテーマは「人の移動と境界・権力・民族」で、塩出浩之氏による基調報告の後、日中韓三国からそれぞれ二人が指定討論に立ち、その後、10人のパネリストたちによる自由討論を約3時間半にわたって展開した。以前と異なって発表はただ一人で、後はその場の展開に任せるという冒険的な試みだったが、実行委員会の村和明、李恩民、南基正、彭浩、鄭淳一氏らの周到な準備とチームワークのおかげで、充実した討論とその連鎖が実現された。今回の主力となった三国の中堅と若手の歴史家たちは、着実な史料研究を基礎として専門分野と所属国を越える対話に積極的に踏み込み、学術討論を立派に成し遂げた。年配者としてうれしいことである。

この国史対話は、元来は東アジア三国、とくに日本と隣国との間にわだかまる歴史摩擦を解消し、国際関係への負担を軽くするために始められた。今世紀初頭、「歴史認識」問題が争点化したとき、私と同世代の歴史家たちは何度も対話を重ね、少なくとも歴史の専門家の間では、相手側が異なる解釈を見せた時、なぜ相手がそう考えるかを理解しようとするまでにはなった。しかし、その後、東アジアの諸政府は領土その他生々しい問題を敢えて争点化し、それによって歴史問題は後景に退くことになった。いま、20世紀前半の厳しい歴史について議論できる場は失われている。

しかしながら、今世紀初頭の東アジア歴史家たちの成果は見捨てるに忍びない。一歩退いて、せめて学術レヴェルだけでも次世代の歴史家たちに日常的な交流と連携の場を用意しておきたい。学問的にも各国の歴史家たちが自国の学界に閉じこもるより遙かに生産的となるだろう。国史対話はこの度、当初と違った方向に舵を切ったわけであるが、それは同時に世代交代の機会ともなった。昨年1月にフィリピンでの集会に加わった学者たちが渥美財団の元奨学生たちと協力し、新たな問題設定の下に動き始めたのである。今年1月には、コロナ禍を意識しながら「19世紀東アジアにおける感染症の流行と社会的対応」を取り上げ、その際、内容はともかく討議が十分に行えなかったとの反省に基づいて、若手自らが「人の移動と境界・権力・民族」を問題として設定し、学校教科書の「国史」を超えた歴史ナラティブを探り始めたのである。

無論、取り上げられた諸テーマが十分に討議しつくされたわけではない。しかし、中には「国境通過証明書」のように、古代から近世に至る議論が続いたセッションもあって、これらはいずれ共同論文集を編む可能性も見て取れた。

いま東アジア3国の国際関係は最悪であり、各国の世論の相互敵対関係は今世紀初頭には予想もされなかったほどである。しかしながら、今回の研究集会はそれと全く異なる潮流が存在し、若手がその担い手であることを世に示した。世は政治ばかりに規定されるのではない。学術を通じた絆が太く強靱なものに育ち、コロナ禍は無論、国家間の敵対関係を超えて、世に公益をもたらしてくれることを願う。今回の会議はその期待を大きく膨らませるものであった。

<三谷博(みたに・ひろし)MITANI_Hiroshi>
1978年東京大学大学院人文科学研究科国史学専門課程博士課程を単位取得退学。東京大学文学部助手、学習院女子短期大学専任講師・助教授を経て、1988年東京大学教養学部助教授、その後東京大学大学院総合文化研究科教授、跡見学園女子大学教授などを歴任。東京大学名誉教授。文学博士(東京大学)。専門分野は19世紀日本の政治外交史、東アジア地域史、ナショナリズム・民主化・革命の比較史、歴史学方法論。主な著作:『明治維新とナショナリズム-幕末の外交と政治変動』(山川出版社、1997年)、『明治維新を考える』(岩波書店、2012年)、『愛国・革命・民主』(筑摩書房、2013年)など。共著に『国境を越える歴史認識-日中対話の試み』(東京大学出版会、2006年)(劉傑・楊大慶と)など多数。

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