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LIM Chuan-Tiong “Complete Victory?”

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SGRAかわらばん817号(2020年4月30日)
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SGRAエッセイ#630

◆林泉忠「「孤立」する台湾がテドロスに「完勝」したワケ?」

(原文は『明報』(2020年4月20日付)に掲載。平井新訳)

4月8日、WHOのテドロス・アダノム事務局長は記者会見という公開の場で台湾を名指しし、台湾が彼に個人攻撃と人種差別を行なっているという異例の非難を行った。その後、「人から人への伝染」の可能性を警告する昨年12月末の台湾当局からのメールをWHOが無視したのではないかという国際社会からの疑念をめぐって、再度議論が紛糾したために、「テドロスvs台湾」というこの「意外な戦争」はさらに続き、しかも予想外の結果に至ることになった。

最大のポイントは、テドロスが積極的に仕掛けたこの「対等でない戦争」において、一方でテドロス本人に綿密な戦略的思考と有効な対応策の調整が欠けていたことと、また他方では台湾側が巧妙に「借力使力」(てこの原理のように相手の力をこちらの望みを達成するためにうまく利用すること)で立ち回り、自らが得意としている防疫の成功経験をうまく絡めて、機に乗じて“Taiwan_can_help”という国際戦略の大攻勢に打って出たということである。こうして台湾は、国際的な舞台において、ここ数十年で稀に見る高い露出度を獲得し、今回のパンデミックにおける台湾の防疫の優秀さがさらに世界的な注目を浴びるきっかけともなった。WHOの大門をもう一度叩いて開こうとする台湾にとって、これは有利な国際世論の環境づくりに成功したことになる。台湾は、いかにしてこれを成し遂げたのだろうか。

○テドロスの台湾批判における戦略上の「4つの失策」

言うまでもないことだが、WHOは国際社会が今回の新型コロナウイルスのパンデミックに対応する上で最も重要な国際機関である。しかし、事務局長であるテドロス氏は、この空前の感染爆発の初期には、「あからさまな中国贔屓」と見受けられるいくつもの発言をしていた。1月14日にはまだ「人から人へ」の感染の可能性を否定する声明を発表するなど、この感染症の流行状況に対する数々の「誤った判断」が目立っていたといえる。こうした対応がすでに国際世論の多くの批判を招いていたのであり、テドロスの受けていたプレッシャーが相当なものだったのは言うまでもない。

次第に積み重なっていく国際世論からの批判の荒波の中で、テドロスがついに耐えきれなくなって、WHOの記者会見上で「反撃」を試みたのだろうということは想像に難くない。しかし、テドロスのこの「反撃」は、その問題設定のあり方そのものが、内容、対象、タイミング、状況判断の全てにおいて、成功する策略家であれば犯すことのない過ちを多く犯したことで、国際世論からの再批判という衝撃を受け止める支えすら失った。その結果は、予期していた効果を得られないばかりでなく、かえって台湾に「逆転勝利」のチャンスを与えてしまったのである。

○テドロスの犯した過ちとは具体的には何だったのか。

第1に、証拠を欠いた非難だったことである。いかなる種類の「反撃」であっても、最も基本的な対応は十分な根拠を持って反論を行うことであろう。しかし、テドロスはただ単に「私に対する侮辱、「黒人」や「黒鬼(黒人であることを蔑んだ呼び方)」などという人種差別的表現を使った私への攻撃」が「台湾からだった」と指弾するにとどまった。確かに、テドロスは「台湾の外交部も、一部の人々が私に対して個人攻撃をしていることを知っていたし、しかもその中(そうした個人攻撃)に加わっていることを否定していない」と述べているが、ついに具体的な論拠を示すことはなかったのである。

第2に、場違いの状況だったことも問題であろう。それは「公私混同」、「公的機関の私的利用」と言われかねないやり方だった。実際、テドロスは、通常のWHOの記者会見の場において突如、彼個人に対する人身攻撃について語り出したが、いじめられていかにも辛そうなその表情を公に晒すことで、「国際機関を管理する指導者としての風格を失った」という印象を世間に与えてしまった。

第3に、タイミングも見誤ったといえる。3月に入って新型コロナウイルスはパンデミックに至り、欧米はまさに日増しに厳しい情勢になっていた。こうした状況において、テドロスが初期に「判断を誤った」とする国際世論の不満はどんどん高まりを見せていた。テドロスが記者会見で台湾を名指しで批判したちょうどその頃、テドロスの辞任を求めるネット上の署名運動に75万人ものネットユーザーが名を連ねていたが、こうした動向は決してそのすべてが台湾によって主導されたものだとは言えないだろう。したがって、こうした自己に不利な状況というタイミングで「反撃」を行ったテドロスが、国際世論の広い支持を得られなかったというのは、はじめから予測可能だったとさえ言えるだろう。

第4に、対象の選び方においても誤っていた。テドロスの「反撃」は、具体的な個人に対するものでもなければ団体に対してでもなく、また非常に具体的な一つの事件に関するものでもなく、一つの政治的な実体としての台湾そのものであり、しかも非難する理由として挙げたのは「人種差別」があったという非常に漠然とした内容であった。実際、テドロスの台湾への「反撃」は、国際世論の支持を取り戻すため以上のものではなかっただろう。しかし、この「反撃」の主体は、テドロスともしくはその秘書を加えた小さなグループがせいぜいのところであり、かたや相手は一つの社会全体である。しかも論拠も証拠も乏しい状況でこうした主張を行えば、相手方からどれほど強烈な「再反撃」の波が押し寄せるか想像に難くなかったはずだ。

果たして、テドロスの「反撃」が招いたのは、まさに台湾社会全体から押し寄せる「反テドロス」の怒号であった。この怒号は、民進党と国民党に珍しく与野党ともに声を合わせて「対外的に一致」する機会を与えただけでなく、島内の人々であれ海外からの留学生であれ皆が一致団結して、テドロスの「事実に沿わない非難」に対して抗議したのであった。

○台湾はいかにして「借力使力」の「完勝」を成し遂げたのであろうか?

この時、台湾はまさに防疫に成果を上げており、この防疫対応の過程で示してきた台湾の医療技術とイノベーション力が国際社会に評価されていた。民進党当局もこの有難いチャンスを生かして“Taiwan_can_help”の国際キャンペーンを打ち出し、積極的に国際社会との交流協力を通じて台湾の存在感を強化し、台湾の国際的なプレゼンスを高めた。

したがって、テドロスによるあからさまな台湾批判は、むしろ台湾に格好の「当たりくじ」を送ることになってしまった。まず、台湾外交部はすぐさま声明を発表し、「あまりにも無責任な責任転嫁」だとテドロスに抗議し、謝罪を要求した。蔡英文総統もフェイスブック(Facebook)上で立場を表明し、テドロスに抗議するだけでなく、「台湾はこれまでいかなる形式の差別にも反対してきました。私たちは国際組織から長年排除されてきたのであり、差別され孤立するのがどのような気持ちか誰よりもわかっているつもりです」と「借力使力」の対応を示した。さらに、この流れに棹さして、台湾はWHOとの関係が縮まるよう希望しているとし、そしてテドロスに対して「ぜひ台湾に訪問してもらいたい」という意思表示の中で「台湾人民がいかに差別と孤立に遭う中で努力を続け、世界に向かう歩みを堅持し、国際社会に貢献しているかを感じて欲しい」とまで語った。国民党も声明で、「WHOのリーダーは論拠が不明確な状況のもとで最近(WHOが)受けている批判の原因を台湾のせいにすべきではない」と発表している。

市民の間に広がる「反テドロス」の怒号の中でも最も注目を集めたのは、台湾のユーチューバー「阿滴」と著名なデザイナー聶永真などが、テドロスによる「台湾批判」の後に「ニューヨークタイムス」に掲載しようと始めた「台湾人が世界に宛てて書いた手紙」という募金活動である。この運動は、もともとは400万台湾元(約1300万円相当)を集めることを目標としていたのに、キャンペーン開始からわずか15時間ほどで1900万元(約6840万円相当)を超える寄付金額を達成した。この意見広告は4月14日に「ニューヨークタイムス」に掲載され、“Who_can_help?Taiwan”(誰が助けられる?台湾だ)というメッセージが伝えられ、「孤立させられた時、私たちは団結を選択した」という台湾の立場を強調した。

こうして台湾から寄贈されたマスク等の防疫物資が多くの国に続々と届いているまさにちょうどその頃、アメリカのトランプ大統領は4月17日には中国が感染症の流行拡大や実際のデータを隠蔽したと再度批判し、同時に台湾が去年12月末に「人から人への感染」を警告したことをWHOが無視したと指摘した。これと同時に、テドロスの最大の支持者であるはずの中国では、広州地域において現地在住のアフリカ人が人種差別的な扱いを受けるという事件が発生していた。まだ感染者であると確定していない状況にもかかわらず、黒人であれば強制隔離され、パスポートを没収し、場合によっては住宅やホテルから追い出されるような事態も起こっていた。こうした事態に、多くのアフリカ諸国が現地の中国大使を召喚したり、中国外相王毅に親書を送付し、この問題を注視していることを伝え、説明を要求したりした。

一方で、台湾が外国人に対して非常に友好的な社会であることは世界が認めるところである。たとえ、両岸関係が長期的にうまく行っていないとしても、機会があって台湾に進学した大陸の学生や観光客は皆が、台湾社会の友好的な態度と礼儀正しさにプラスの評価を与えている。国際世論のプレッシャーを受けてきたテドロスは、軽率にも台湾に矛先を向けて「人種差別」の謗りを以って台湾への非難の理由とした。もしかすると彼は、台湾が国際的な地位を欠いているために国際連合が承認する主権国家でWHOのメンバーでもないことから、こうした非難への反発はそこまで大きく広がらないと考えていたのかもしれない。しかし、結果はむしろテドロスにとって逆効果となったのであった。

テドロスの「台湾批判」という判断の誤りは、「WHOの外に排除されている」という問題について、国際社会のより大きな関心を台湾に獲得させることになった。現在、欧米や日本などの諸国は、5月に開かれるWHO総会への台湾のオブザーバー参加への支持を、次々に表明している。こうした逆境のもとで、WHOもついに4月18日の記者会見上で、台湾の防疫対応における成果を初めて公に評価せざるを得なくなったのである。

台湾がWHOに参加できるか否かは、最終的には北京の態度にかかっている。しかし、今回の「テドロスvs台湾」という意外な場外乱闘は、北京の主権的立場のために国際社会において長い間孤立してきた台湾に、これを機に自らの立場についてより多くの国際世論の関心と支持を得るチャンスを与えたのである。この点から言えば、台湾はまさに「完勝」したといえるだろう。

<林 泉忠(リン・センチュウ)John_Chuan-Tiong_Lim>
国際政治専攻。2002年東京大学より博士号を取得(法学博士)。同年より琉球大学法文学部准教授。2008年より2年間ハーバード大学客員研究員、2012年より台湾中央研究院近代史研究所副研究員、国立台湾大学兼任副教授、2018年より台湾日本総合研究所研究員、中国武漢大学日本研究センター長、香港『明報』(筆陣)主筆などを歴任。

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