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Hourieh Akbari “We are still in Japan”

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SGRAかわらばん776号(2019年6月20日)
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SGRAエッセイ#601

◆フーリエ・アキバリ「日本にまだいる自分たち」

今から30年前の1980年代後半、父の留学にともない、私が3歳の時に、イランから日本に初めて来た。当時はイランから日本への留学生は珍しく、父はイラン人留学生の最初の世代だった。

その頃は日本のバブル景気が始まり、経済も絶好調を迎え、その噂はイラン国内にも広がっていた。なぜなら、イラン革命後に多くのイラン人が仕事を探していたから。1974年、イランと日本の間で「ビザ相互免除協定」が結ばれ、イランからビザなしで日本へ入国できることになったという条件が重なり、仕事を求めて多くのイラン人の若者が日本に滞在し始めた。一番ピークの1992年には4万人いたともいわれている。したがって、過去最高に多くのイラン人が日本にいたころ、私たちも日本に住んでいたというわけである。

そして、イラン人が多く集まる場所がなぜか東京の上野公園であった。日曜日の公園は、イランの食べ物や情報交換の場でミニペルシアタウンとなっていた。時にはイランの有名な歌手やアーティストも来日し、コンサートを開いていた。私も小さい時は家族と一緒に、イランの食材や音楽、映画を目指して上野まで行った記憶がある。

当時を振り返ると、父について不思議な思い出が残っている。
私が小学校3年生のころ、博士論文の執筆で忙しくしていた父が、夜の11時頃になると週に何回か高級車が迎えに来て、そして朝方に帰ってくる。昼間は大学で忙しいから、夜にバイトでもしているのかと気になった私は、ある日母に理由を尋ねた。すると母は、「今、不法滞在などで多くのイラン人が刑務所に入っているため、ペルシア語と日本語ができる通訳者が不足している。警察が父のような留学生にも通訳の依頼をしている」と教えてくれた。

父の留学が終わり、1995年に私たちはイランへ帰国した。同時に日本に労働に来ていたイラン人も帰国し始めていた。

イランに帰国後も、私は時々街で日本で働いていたイラン人と出会うことがあった。私はたまに、母と日本語で会話をすることがある。まさかイランで、イラン人には分からないだろうと思い、人が多くいる場所でも気楽に何でもおしゃべりしてしまう。しかし、タクシーやスーパーで日本語で会話をしていると、「わたし、日本語分かるよ!」とか「日本語上手だね!」とか、イラン人のドライバーなどに声を掛けられびっくりしたことが何度もある。

また、学生時代にテヘラン大学で一般市民を対象に日本語を教えていた時も、日本に住んでいたことのあるイラン人が多く勉強をしにきていて、日本人の生真面目さや礼儀正しさ、日本での80年代の思い出を話してくれた。

初めての来日から18年後の2013年、今度は自分が留学生として来日した。博士課程では、社会言語学という分野で、5年以上日本に滞在しているイラン人を対象に調査を始めた。私の研究は、彼らの日本語使用の実態を明らかにすることを目標としていた。日本語を習得し、話せるようになるまで、それぞれの日本での生活経験や職業もかかわってくることから、私は決まって被験者から「ライフストーリー」を聞くようにした。

対象者の中には学生もいるが、80年代後半に労働者として日本に渡ってきた人も多くいた。現在、日本で結婚し、家庭を持ち、そして立派なペルシア料理のレストラン、スーパーマーケットや会社を経営しているイラン人もいる。

私は彼らの前に座り、「自分のライフストーリーを話して下さい」と調査を始めるとき、いつも不思議な気持ちになる。20代に来た彼らは、今40代、50代になり、いつの間にか、小学生だった私も大人の女性になっていた。そして、今、研究者として彼らの前に座っている。歩んでいる道は違うかもしれないが、私は何か彼らと共通点があるような気がする。それは、日本にまだいる自分たちである。日本を愛し、楽しい思い出もつらい思い出もこの地にもっていること。日本という国が自分たちを成長させてくれ、たくさんの経験を学ばせてくれたことである。私たちは、日本という大きな共通点をもっている。

これからも、私は、日本に住んでいるイラン人コミュ二ティを見ていきたい。さまざまな背景や理由で日本に住んでいる私たちであるが、今後も日本でたくさん成長しそれぞれの道を歩んでいくことだろう。この小さなコミュ二ティの話をもっと日本人に伝えたいと思っている。

<フーリエ・アキバリ Hourieh_Akbari>
渥美国際財団2017年度奨学生。イラン出身。テヘラン大学日本語教育学科修士課程卒業後、来日。2018年千葉大学人文社会科学研究科にて博士号取得。現在千葉大学人文公共学府特別研究員。白百合女子大学の非常勤講師。研究分野は、社会言語学および日本語教育。研究対象は、日本在住のペルシア語母語話者の言語使用問題。

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