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Chiang Yung Po “Academic Independence”

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SGRAかわらばん773号(2019年5月30日)
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SGRAエッセイ#597

◆江永博「『学問の独立』と私」

近年中国は、驚くほどの飛躍的な経済発展を成し遂げた。しかし、学問の世界では必ずしも同じように進展したわけではなかった。お世話になっている先生の中に、近年中国側の学者と頻繁に交流する方がいらっしゃる。中国で公開される予定であった論文が検閲に引っかかって公開禁止となっていたところ、中国側の先生の努力によって、一部黒塗りという形で公開されることになった。

この話を別の先生にお話しすると、その先生は一部黒塗りされた論文はもはや自分の論文ではなくなるのではないかと指摘し、早稲田大学の「学問の独立」の精神についても話された。早稲田出身者として、「学問の独立」の立場から見ると、このような妥協しない精神はまさにその通りだと思う。ただし、自分の中では少し葛藤があった。検閲に引っかかる度に情報発信を断念したら、最終的に如何なる情報も発信できなくなる可能性もある。厳しい環境の中で、検閲に引っかかる部分があっても諦めず、発信しつづけるのも、「学問の独立」の異なる在り方ではないかと考えた。

筆者の出身地の台湾では、上述したような検閲はないが、近年では別の意味で「学問の独立」が問われている。海外で台湾の話をすると、よく独立と統一とどちらを支持するのかと尋ねられる。実際のところ、台湾内部では独立にも統一にもそれぞれに相当の支持者がいる。自分なりの思想を持っていれば、独立でも統一でも個人の自由であり、自分と意見が異なるとしても、互いに尊重し合うのが民主国家である。

しかし、近年台湾社会では政治的イデオロギーの対立が激化し、自分の思想を主張するための論理的な根拠を得るために、研究の方法を「工夫」する研究者も現れた。その代表的な例として取り上げられるのが台湾人の血統論争であり、そのきっかけは、台湾大学医学院教授の林母利氏が提出した台湾人の85%は先住民族の血統を持っているという説である。
近現代史を研究している筆者から見ると、それは理解に苦しむ学説である。なぜなら、まず台湾の植民地時期に「台湾私法」を作った著名な法学者岡松参太郎は以下のような記述を残した。「我臺灣ニ於テハ其人民ハ悉ク皆支那人種ニシテ然カモ未開ノ民ニ非ス特殊ノ文化ヲ有シ特別ノ性情ヲ具フ」。この史料の中には差別的な用語が見られるが、ここから戦前の帝国日本に支配された植民地台湾はほとんど特殊の文化と特別な性情を有する漢民族によって構成されていたことが分かる。次に、その大多数の漢民族と先住民族の関係について、山地の麓周辺では双方間の婚姻関係を持つ人々もいたが、その数は決して多いとは言えない。さらに、両者は清国領有時代のように敵対していたわけではないが、互いに関心がなく、それぞれ異なる「世界」で生活していた様子を様々な史料から見て取れるからである。

戦前、総督府の立場に近い物事に対して、「御用」の二文字が付けられ、「御用新聞」・「御用商人」・「御用学者」などの呼び方が見られる。しかし、近年の研究によると「御用新聞」と呼ばれていた新聞でさえ、総督府の政策を批判する記事がたくさんあり、筆者の研究によると「御用学者」と思われがちな旧台北帝大の教授たちも、総督府側に命じられた業務に従事しつつ、学者としての矜持・責任を持ち、厳しい環境の中である程度の「学問の独立」を実践した。例として取り上げられるのは、1930年代台湾総督府主導の「史跡名勝天然記念物保存」であり、その中には政治的な意図が含まれる帝国日本の台湾領有関連の「新しい」史跡が大量にある。一方で、オランダ時期・鄭氏時期・清国時期の指定保存も見られる。これら帝国日本領有前の指定保存は現在の台湾にとっても貴重かつ価値のあるものであり、台湾のアイデンティティにも繋がる存在となっている。

今回取り上げた3つの事例は時期も地域も異なるが、いずれも「学問の独立」の重要性を実感させられるものである。近年、歴史修正主義が問題になっているが、筆者は歴史研究者として、歴史を評価するのではなく、如何に歴史的事実を偏りなく大衆に伝えるかが自分の使命だと考えている。そして、早稲田出身者として、今後も「学問の独立」を常に念頭に置きながら研究を進めていくが、「学問の独立」は決して早稲田出身の人々が独占するものではない。寧ろ様々な分野・異なる国または大学の研究者と共有したいものであるからこそ、筆者はこの文書を綴ったのである。

〈江永博 CHIANG,Yung_Po〉
渥美国際交流財団2018年度奨学生。台湾出身。東呉大学歴史学科・日本語学科卒業。2011年早稲田大学文学研究科日本史学コースにて修士号取得。2019年4月から一般企業で働きながら、研究生として早稲田大学文学研究科日本史学コースに在籍、「台湾総督府の文化政策と植民地台湾における歴史文化」を題目に博士論文の完成を目指す。早稲田大学東アジア法研究所リサーチアシスタント。専門は日本近現代史、植民地時期台湾史。

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