2018年蓼科ワークショップ報告



2018年7月6日、新宿の陽炎から蓼科の高原へと旅立つ。雨が降る中、西日本から向かっている仲間と連絡を取り合う。これがまさか200人以上の死者を出す「平成30年7月豪雨」になるとは、当時思ってもいなかった私たちは諏訪大社4本の大きな御柱に囲まれながら参詣、そして日本一大きなクリスタルを保有するガラスの里というとてもバブリーな施設に迷い込んでから、夕闇にやっとチェルトの森に到着。鹿島リゾート、チェルトの森は八ヶ岳の山腹から諏訪湖を見下ろす広大な施設で、その奥に大興蓼科山荘という、カナダの木材で建てられた立派な山荘が隠されている。

翌日の朝から始まるワークショップは「大学・職場で問題が!?ハラスメントおよび差別にどう対応するか、考えよう」という、#MeToo運動の広がりの中で非常にタイムリーなテーマで行われた。最近日本のキャンパスでも様々なハラスメントが注目されるようになった。今回再吟味した幾つかの事件のなか、特にフォーカスして一緒に考えたのは2015年の一橋大学アウティング事件。今回のワークショップの企画者、自分の母校である上智大学でもお世話になったソンヤ・デール先生は、一橋大学の専任講師で、当事者としても本題に突っ込む。

25歳の学生がゲイであることをばらされ、数ヶ月後校舎から飛び降りて亡くなってしまった。亡くなったAは2015年4月、仲の良かった同級生のBに「付き合いたい」とLineで告白したら、「付き合うことはできないけど、これからもよき友達でいてほしい」と断られる。そして2ヶ月後、Bは同級生9人が参加していたLineグループに、「おれもうおまえがゲイであることを隠しておくのムリだ。ごめん」と投稿し、他にも3人以上の同級生に同じように伝えていたという。

Aの返事は「たとえそうだとして何かある?笑」と誤魔化し、そして1時間後また「これ憲法同性愛者の人権くるんじゃね笑」と投稿した。プレゼンテーションでは触れられることはなかったが、私はその後のLineグループでのやりとりが気になった。数ヶ月後の自殺に至る直前までLineで会話に参加し続けるAを排除することなく、スタンプで(曖昧ではあるが)励まそうとしている動きから、AとBの対立を包む微妙な「空気」が見えてくる。同年8月、死亡する直前も、同級生のLineグループに「Bが弁護士になるような法曹界なら、もう自分の理想はこの世界にない」、「いままでよくしてくれてありがとう」と最後の投稿が記録されている。


今回のワークショップで、Aを自殺に追い込んだ犯人を突きとめるというよりも、その出来事を受ける大学の体制について談話できた時間はとても有意義だった。Aはアウティングされた後、Bと顔を合わせられないと教授、ハラスメント相談室、保健センターに相談したが、結局大学側は性同一性障害(Gender Identity Disorder)の受診を勧めただけだとA側弁護士はいう。自分の与えられた性別に違和感を持つのは、同性愛とは関係ないはずなので、確かに弁護士の言う通り「同性愛に無理解な対応」だったに違いない。

ただ、そういう結論に至ったのは、自分とそれほど変わらない立場に置かれている人たちだった。自分がAが相談しようとした者の一人だったら、どう反応したか?或いは、どう対応すべきだったなのか?いくら事件を検討してもこの議論は中々まとまらなかった。中でも印象に残ったのは福島社長の、組織内の責任を処理する仕方としてのコンプライアンスの話、辰馬さんによる「迷惑を掛けあう共同体」に関する発言や、今西さんの#MeToo運動に関するコメントもとても興味深いものだった。

性の直感や当たり前は文化の違いだけじゃなくて、世代による感覚のギャップも激しい。人によっては、まず欲望や告白があったからと言って、必ずしも「同性愛者である」という認識に繋がるとは限らない。また、グループの中にはハラスメントを受けたことのある者もいれば、J・Mクッツェーの『恥辱』に出てくる主人公のように、「自分の欲望を上手く処理してきた」つもりでいる人もいるかもしれないが、「加害者」の身になるのはそう容易なことではない。それでも皆さんと本気で考えたり悩んだりして、自分にとって非常に有意義な時間を過ごせた。難しいテーマで議論を導いてくれたファシリテーターたち、その場を開いてくれた渥美財団の方々、そして暖かくおもてなししてくださった大興山荘のマスターにも心から感謝の意を表する。

一橋大学のアウティング事件はHuffington PostやBuzzFeedというようなサイトで報道され、ソーシャルメディアではアウティングの典型例として取り上げられた。それはつまりアウティングを性的マイノリティが受ける、マジョリティによる構造的暴力の表現の一つとして位置付けている。しかし(無知な自分の知っている限り)アウティングは少なくとも終戦以降、性的少数者による戦略としても使われてきた。例えば、もっとも知られている事例の一つであろう、1975年にフォード大統領が暗殺されるところを救った同性愛者の元軍人をターゲットしたアウティングも、有名な同性愛者権利の活動家であったハーヴェイ・ミルク等による行為だった。一橋大学の事件を受けて今年の4月に国立市で施行された「アウティング禁止」の条例を始め、行政側もそういう表現の多様性に対応する必要があるかもしれない。

Bも「交際を断ったにもかかわらず、(A)が食事に誘ってくるなどしたため、精神的に追い詰められた。」同じくA側弁護士によれば「本人を避けるためには、自分が友人から距離を置かざるを得ず、苦境から逃れるには、仲間内で男子学生が同性愛者だと暴露するしか手段がなかった」と、ホモフォビアとはまた違う、ある種の被害者意識を育てていたようだ。同級生や教授に理解してもらえたかはわからないが、Aの遺族が2016年にBに対する損害賠償等を求める民事訴訟を起こした。適切な対応をしていたら自殺を防げたとして、大学側の責任も問うている。今年の6月に遺族とBの間で成立した和解の詳細は公開されていないが、大学に対する裁判は続くという。

(文責:ロヴェ・シンドストラン)

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