渥美奨学生の集い2008



2008年度の「渥美奨学生の集い」は、11月4日(火)午後6時より、渥美財団ホールで開催された。渥美財団の評議員で、新生銀行会長の八城政基さんから、今、まさに私たちが経験している100年に一度の金融危機について、現場からのお話を聞かせていただいた。

特に、現在のアメリカ発の金融危機と1990年に日本を襲った金融危機との比較は、とても興味深かった。八城さんは、アメリカ発と日本発の金融危機の共通点は不動産バブルが弾けたあとから発生した点であると指摘された。1980年代後半における日本のバブル経済の引き金は、1985年のプラザ合意の円高による日本経済の減速を防ぐためにとった融資緩和政策にあるといわれている。お金が溢れていたことが、非合理的な不動産投資を招いて不動産の物価が高騰した。結局、バブルが弾けて、貸し出しを積極的に行った日本の銀行は膨大な不良債権を抱えてしまった。アメリカ発のサブプライム問題も同様に、アメリカの銀行が米国内の不動産バブルに乗って、マイホームというアメリカンドリームに膨大な貸し出しをしたが、結局、ウナギ登りの米国不動産価格が暴落し、アメリカの銀行部門は不良債権問題に悩まされている。そうして、日本発の金融危機と同様、銀行部門が余儀なく貸し渋り(CREDIT CRUNCH)を実施した。

米国発の金融危機の原因として、アメリカ当局が金融に対する統制をきちんとできなかったという点が取り上げられた。その結果、金融部門が高い利益を求めるために、高すぎるリスクを冒してしまった。リスクが高いということは、投資先が予想した高い利益を生み出す可能性があるが、その分その確率は低くなることを意味する。それに、米国発の金融危機では金融投資のハイテク化によりその仕組みが複雑になっていて、リスクを正確に把握することが難しくなっていた。

会場からの「そのような投資に日本の金融部門は、アメリカほど乗らなかったではないか」という指摘に対して、八城さんは投資銀行の行き過ぎた投資方法を批判しながらも、「日本の金融部門が万全かというと、必ずしもそうではない」と示唆された。

米国発の金融危機が日本と違う点については、少なくとも2点を取り上げた。日本発の危機は比較的限定的であり、殆ど日本に留まっていた。一方、米国発の危機は、今、世界にすごい勢いで感染している。これは、1980年代から2000年代までの金融のグローバル化の進展を物語っている。サブプライムの貸し出しは、あらゆる投資サービスの中に入り込み、世界中へ販売されていた。もう一つ異なる点は、日本発の金融危機のほうでは政府や銀行の対応が遅かった。膨大な不良債権を抱えている銀行に対する公的資金の注入や銀行の不良債権処理がなかなか進まなかったということだ。

会場からの質問に対しても、八城さんは丁寧に答えてくださった。明石康さんは、「現在のグローバルな金融システムに対してどう思われるか」と質問された。どちらかというと八城さんは、システムがあらゆる問題を解決するということに、依然として楽観的でいらっしゃると思われた。

(文責:F.マキト)

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