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エッセイ811:崔民赫「『郡県制』から明治維新を考える」
リニア中央新幹線ができると東京―大阪間が約1時間でつながります。東京と大阪が一つの生活圏内に入ってしまうのかもしれません。大阪はどのように変わるでしょうか。既に東日本の地方都市、例えば新潟市や松本市の若者の間では、方言があまり使われていないと聞いています。若者が使う大阪弁にも標準語が大量に取り入れられるなど変化が指摘されています。20年後、30年後の大阪弁は消えることはないとしても標準語の強い影響のもとにおかれるかもしれません。
「明治革命」(政治学者の渡辺浩や苅部直は、明治維新が「革命」であることを強調している)以前の日本は、西と東の国言葉が通じないのはもちろん、江戸から少し離れるだけでも言葉遣いが異なるほど、非常に多様で豊かな方言を誇る社会でした。1894年に朝鮮を視察した政治家の荒川五郎が、違う地方からきた人でもコミュニケーションできてしまう朝鮮の事情に驚愕したように、明治前半期までの日本には全国統一の「標準語」は存在しませんでした。それが「廃藩置県」を契機として、日本社会は大きく姿を変えていくことになります。
政治学者の河野有理が指摘しているように、福沢諭吉は当初、この廃藩置県による日本社会の「郡県制」への転換を高く評価しました。「郡県制」とは簡単に言えば全国が統一された中央集権制のことでしょう。それに対して「封建制」は世襲する領主が地方を治めている分権的社会です。『学問のすゝめ』等において、福沢は徳川時代の「封建制」を、門閥に縛られ自由な活躍を阻まれた「怨望」の蔓延する社会であると批判し、「郡県制」こそが人民の解放をもたらすと考えたのです。
ところが、1877年の西南戦争以降に著した『分権論』において、福沢の論調は一変します。廃藩置県で実現した「郡県制」の弊害、とりわけ「東京一極集中」のリスクを強く懸念するようになりました。政治学者の松田宏一郎が指摘しているように、福沢は、かつての封建制下における諸藩の「競争」が、実は日本人の活力や「報国心」を育む原動力であったと再評価したのです。
藩が無くなり、あらゆる権力や富、人材が東京に一極集中する社会。表面上は学問や芸術が進歩し、穏やかで洗練されて見えるものの、福沢はそれが最終的に「薫もなく臭もなき群民の居処」となり、日本人が「無気無力」の極地に沈むことを危惧しました。誰もが政府の官職を狙える流動的な社会になった結果、限られたポストを巡って「怨望、嫉妬、阿諛追従(あゆついしょう)」ばかりが蔓延する事態を恐れたのです。
歴史学者の與那覇潤は、福沢が維新を「封建制」から「郡県制」への転換として捉えていたことを、「中国化」と表現しました。これは、宋代中国のように経済や社会を自由化する半面、政治秩序は一極支配で維持するシステムへの移行を意味します。
視点を変えて隣国・朝鮮を見ると、そこでは日本よりはるかに早く「郡県制」が定着していました。政治学者グレゴリー・ヘンダーソンは、朝鮮社会を中国の政治制度の縮小版であり、社会的流動性が極めて高く、ソウルを頂点とした中央集中的な「渦巻型構造」を持つ社会だと分析しています。 江戸時代の朱子学者・雨森芳洲も、「朴射夫」という朝鮮人から本質を突く話を聞き留めています。「わが国は郡県制であり、身分上昇が容易なため、常に賄賂や政争が絶えず世の中が騒がしい。身分が定まっている日本が羨ましい」というのです。
朝鮮の「郡県制」がもたらしたのは、福沢が恐れた「無気力」とは異なる現象でした。それは、流動的社会のなかで原子化された個人が、ソウルという中枢に向かって激しい上昇気流を生み出すダイナミックな政治構造でした。この構造は、植民地支配や朝鮮半島の南北分断を経て、現代の韓国にも引き継がれています。李承晩大統領の独裁や軍事クーデター、歴代大統領の逮捕・自殺といった激しい政治的葛藤や 最近の尹錫悦前大統領による非常戒厳も、この「ソウルへの渦巻き」に由来します。しかし同時に、そのエネルギーが韓国のダイナミックな政権交代を実現する原動力になっているのも事実です。
現在、日中韓の「郡県制」の在り方は大きく枝分かれしています。韓国がダイナミックで、たまには危険そうな民主主義体制を築き、中国が「民主集中制(共産党一党体制)」へと着地したのに対し、日本の「郡県制」は、政権交代があまり起きない独特の民主主義体制を見せています。(その原因を與那覇潤は「再江戸時代化」と語りますが、非常に大胆な話なので、今後じっくり検討する必要があるでしょう。)
政治学、とりわけ日本政治思想史の研究者たちは、19世紀後半に日本で起きた明治維新という急激な変化を、当時の知識人が、「郡県制」と「封建制」という問題から、どのように考えていたのかを取り上げてきました。その議論を東アジア諸国に拡大することもできるでしょう。19世紀後半から20世紀初頭は、明治維新をはじめとして辛亥革命など東アジアに大きな変化が起きた時期です。この時期、それぞれの国では、「封建制」と「郡県制」をめぐってどのような議論があったのでしょうか。この問いから歴史を捉え直すことで、各国の近代化をめぐる議論の違いがより鮮明に浮かび上がってきます。そして、「近代」と言われるこの時期を研究することによって、初めて現代の東アジア諸国の社会を理解できると思います。東アジアの「近代」という問題を理解する上で、思想史は重要なヒントを与えてくれます。
<崔民赫(チェ・ミンヒョク)CHOE Min-hyeok>
東京大学大学院法学政治学研究科附属法・政治デザインセンター特任研究員。東京大学大学院法学政治学研究科で法学(博士)を取得。2024年度渥美国際交流財団奨学生。専門は近代政治思想史の日韓比較研究。韓国聖公会大学社会科学部卒業。韓国海軍士官学校日本語教官を務めた。



