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エッセイ369:董 炳月「『アジア』は身の周りに」

北京からバンコクへ。渥美国際交流財団の主催するアジア未来会議に出席して、奇妙な感じがした。空間が変わっただけでなく、季節も変わった。北京空港で搭乗する時はまだ寒い早春であったが、バンコク空港を出たら熱い空気が頬を打った。早春から真夏に飛んだのだ。タイの首都「Bangkok」と言う地名は中国語で「曼谷」と書く。「曼谷」は「北京」と「東京」と同様に、まったく左右対称の漢字である。なんとなく、この三つの地名の間に奇妙な繋がりがあるように思われる。

 

3月10日、つまり会議の3 日目の午前中の総括的な懇談会の議題は「グローバル時代の日本研究の現状と課題」である。懇談会と言うが、円卓会議のかたちで行い、テーブルの周りにアジアの違う国家或いは地域から来た日本研究者13名が座っている。タイ、ベトナム、インド、台湾及び日本はそれぞれ1名、韓国は2名、中国大陸は5名、それから在日中国人学者が1名、である。このメンバー構成そのものが確実な「アジア」を現している。バンコクのセンタラグランドホテルのその会議室の中では、「アジア」は一種の「想像」ではなく、一種の「主張」でもなく、一つの事実である。

 

司会はソウル大学日本研究所の南基正副教授であり、問題提起は王敏教授である。王敏教授は在日中国人学者で、法政大学国際日本学研究所に属しているから、氏が日本研究の問題提起をすることは最も論理に適うことであろう。氏の発言は2011年3月11日の東日本大震災発生後のアジア諸国の民衆と日本被災者との連帯感に触れている。おそらく、このような自然災害から生まれた民間の連帯感は「アジア」の頑丈な基盤であり、そして「アジア」を乗り越えるものであろう。「民間」は紛争を引き起こしやすい「国家」や「民族」とは距離がある。王敏氏の問題提起の後、タイ、ベトナム、インド、韓国、台湾、中国の学者が、それぞれ自国・地域の日本研究の歴史と現状を紹介し、グローバル時代の日本研究について意見を述べた。明らかに、地理的、歴史的な理由で、中国大陸、台湾地区と韓国の日本研究は早くから始まり、そして広く行われている。何しろ、近代の東アジアにおいては、日本は最も早い時期から近代国家の建設を始め、そして成功した国である。近代「アジア思想」という言説の発祥の地であり、戦後の東南アジア経済のエンジンでもある。したがって、アジア諸国が日本を研究することによって自国の歩む道を模索し、民間の相互理解を深め、アジアの繁栄を促進することは重要なことである。

 

北京において、韓国およびインドの日本研究者と交流したことがあるので、これらの国からの学者の報告にはわりとなじみがある。ところが、タイやベトナムの学者と一緒に日本研究について交流するのは初めてなので、新鮮感もあり印象も特に深い。タイのワリントン女史もベトナムのグエン・ビック・ハー女史も上品な学者で、上手な日本語で発言するのだ。私にとってもっと面白いことは、タイ、ベトナム及びインドの日本研究においては、中国と日本とはときたま入り交じっている、ということである。

 

確かに、その円卓会議においては、「アジア」は一つの事実である。空間の共有、日本語の共用、課題の共有、そして似ている有色人種の顔によって、国籍さえも覆い隠された。まず「アジア」が存在しているから、「アジアの未来」に関する議論が初めて可能になるのだ。

 

円卓会議はそろそろ終わり、主催者の今西淳子女史が呼ばれて発言した。本来、司会の南基正教授は招待を受けてシンポジウムに参加したのだが、今西淳子女史を呼んでコメントをしてもらう時に、彼がホストになる。これは面白い「位置交換」である。「アジア」の成立にとっては、このような「位置交換」は重要なものだ。今西女史のスピーチは優しくて短かくて日常的なもので、内容の一つはランチの手配である。場所はホテル地下1階のベトナム料理店だと言い、「エレベーターはありません、すみません。降りる時には気をつけてください」と。日本的な細かい思いやりである。長らく東京で暮らしていた私にとってその細かい思いやりに懐かしい気がした。

 

私は長い間近代中日両国の歴史と文化を勉強してきた。北京には20年以上、東京にも8年ぐらい住んでいた。ところが、バンコクに身を置いて北京と東京を振りかえって見ると、「北京」も「東京」もそのイメージにいくらかの変化が起こっている。バンコクは私の「北京」を変え、私の「東京」をも変えたのである。もちろん私にとって喜ばしい変化である。この変化によってわりと客観的な「アジア」像を獲得したからである。グローバル時代の日本研究にとっては、研究者の「居る場所」が重要なのだ。「居る場所」の変化によって「他者」の眼差しが得られる。「他者」の眼差しは研究対象を相対化することができる。相対化は対象の価値を解消することではなく、逆に、研究の質を高め、普遍的な価値を獲得することができるのだ。

 

私にとっては、円卓会議が開かれたバンコクのその会議室は一つの「場所」として、もう一つの「日本」であり、現実の「アジア」でもあった。

 

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<董 炳月(とう・へいげつ) Dong Bingyue>

中日近代文化専攻。1987年北京大学大学院中国語中国文学学科修士号取得、中国現代文学館に勤め。1994年に日本留学、東京大学人文社会系研究科に在学。1998年に論文『新しき村から「大東亜戦争」へ―武者小路実篤と周作人との比較研究』で文学博士号取得。1999年から中国社会科学院に勤め、現在は同文学研究所研究員、同大学院文学学科教授。2006年度日本国際交流基金フェロー。著書は『「国民作家」の立場―近代日中文学関係研究』、『「同文」の近代転換―日本語借用語彙の中の思想と文学』など。

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2013年3月27日配信