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エッセイ370:沼田貞明「アジアの戦後処理と歴史和解」

筆者は、3月8-10日バンコクで開かれた第1回アジア未来会議において、アジアの戦後処理と歴史和解についてのワークショップの議長を務めた。

 

第二次世界大戦後日本が直面して来た「戦後処理」には、(1)法的処理(平和条約、戦争犯罪の処理、および補償)、(2)謝罪、(3)和解の3つの側面がある。また、日本政府対相手国政府、日本政府対相手国被害者(捕虜、強制連行者、慰安婦等)、日本企業対相手国被害者、日本国民対相手国国民と言った様々なレベルの問題が存在する。特に、小菅信子教授が「講和後あるいは平和の回復された後も旧敵国間にわだかまる感情的な摩擦や対立の解決」と定義する戦後和解は、人の心の内部に関わるだけに最も解決が困難である。

 

今回のワークショップで、李恩民桜美林大学教授は、鹿島建設(旧鹿島組)と中国人強制連行者との間の「花岡和解」を取り上げた。これは、企業側が法的責任は認めないが政治的道義的責任を認めて謝罪し、受難者全員へ補償金を支払う全体解決方式を取り、解決に当たり日本国内の市民活動が大きな役割を果たした等の点で、「日本型歴史和解」のモデルとなったと論じた。この裁判上の和解に至るまでの過程で、1989年から鹿島側が真剣に取り組んで中国人生存者との間で「自主交渉」を行い、1990年に「共同発表」まで漕ぎ着けたことは、その後10年の紆余曲折を経て裁判上の和解に至る布石として大きな意義を持った。

 

従軍「慰安婦」問題については、韓国などとの関係で、日本政府対相手国被害者、日本政府対相手国政府、日本国民対相手国国民の各レベルの問題が複雑に絡み合っている。岸俊光毎日新聞学芸部長は、村山内閣の下で被害者への償いを目指して1995年に発足し2007年まで事業を展開した「アジア女性基金」が、日本の国民と政府が責任を分かち合うとの対応を取ったことについて、政府補償を主張する人たちは「国の責任を免れるごまかし」と非難する一方、歴史の暗部を認めようとしない人たちは、「慰安婦」に対する国の関与を否定ないし過小評価するとの基本的対立があることを指摘した。さらに、日本ができることと、被害を受けた当事者が求めていることとの間に大きなギャップが存在する状況の下で、高齢となった被害者の救済と共に、韓国等の民族感情を傷つけた日本による植民地支配の問題にも向き合った解決策が必要なことを主張した。

 

太平洋戦争の末期、日本国内で唯一地上戦が行われ、県民の3分の1の人が亡くなり4人に1人が犠牲となったとされる沖縄には、多数の朝鮮人軍夫が連行され慰安婦も強制動員されていた。青山学院大学非常勤講師の洪ユン伸女史は、これら朝鮮人軍夫と慰安婦の体験を「調査」し、「記録」し、慰霊碑の建立等により犠牲を悼む「祈念」の営みが沖縄の住民の証言に基づいて行われた経緯を辿り、そこに、自らが「捨石」とされたと言う沖縄住民の「被害」の体験と朝鮮人の「被害」の体験が重なり合っていることを指摘した。このことは、すぐれて「心」の問題である戦後和解において、被害者に対する感情移入(empathy)が一つの重要な要素であることを示唆している。

 

1990年代後半に英国において自らボランティアとして英国人元捕虜との和解のために努力した小菅信子山梨学院大学教授は、戦時中の捕虜収容所における過酷な経験から日本との和解に至った元捕虜、民間人抑留者の心の軌跡と、それを記録し、史料化する歴史学者の役割について論じた。同教授は、個人の苦悩の体験や記憶に向き合おうとする時に、「日本国民」とか「英国国民」と言ったナショナリズムの緊縛から逃れることは困難であり、それを「同じ人間の内面にかかわるもの」、すなわち、人間ゆえの苦痛や苦悩の問題としてとらえるならば、ナショナリズムを多少なりとも拭い去ることができるだろうとしている。これは、小菅教授と同じ時期に在英大使館において日本国の代表として元捕虜などの「被害者」と向き合わざるを得なかった筆者として痛感していたことであった。日英和解に当たっては、日英両国の民間ボランティアが、国の裃を脱いだ心の触れ合いの触媒として重要な役割を果たした。

 

今回のワークショップは、日中韓等からの参加者が、未来を志向しつつ過去を見つめるとの問題意識を共有しつつ、それぞれの国の裃を脱いで率直に議論したことが特色であった。筆者としては、この問題が政府対政府にとどまらず、被害者の人たち、企業、民間ボランティア、市民団体等様々な当事者にかかわるものとして、色々なレベルでの地道な努力を通じる積み木細工のような対応を要することを改めて感じた。筆者自身は、1995年8月15日の村山総理大臣談話はこの積み木細工の重要な一部として 維持しつつ、未来に向かって何ができるかを考えていくべきであると思う。

 

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<沼田 貞昭(ぬまた さだあき) NUMATA Sadaaki>

東京大学法学部卒業。オックスフォード大学修士(哲学・政治・経済)。 1966年外務省入省。1994-1998年、在英国日本大使館特命全権公使。1998-2000年外務報道官。2000-2002年パキスタン大使。2005-2007年カナダ大使。2007-2009年国際交流基金日米センター所長。鹿島建設株式会社顧問。日本英語交流連盟会長

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2013年4月3日配信