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エッセイ373:高橋 甫「日本にとっての北東アジア地域協力」

(第1回アジア未来会議報告#4)

 

筆者は、3月8-10日バンコクで開かれた第1回アジア未来会議において、「地域協力の可能性–北東アジアの政治・経済・安全保障」をテーマとしたセッションの共同議長を務めた。この寄稿は、同セッションで発表された四つの報告に基づく討議のフォローアップとして掲題のテーマで筆者の考えをまとめたものである。

 

はじめに

 

国際的文脈での「地域協力」を「地理的に近い3カ国以上の国家が、あらかじめ合意された分野で継続的に協力を行う行為」と定義すると、北東アジアは、その種の地域協力のための制度的な枠組みが存在していない数少ない地域の一つとなる。欧州、北米、アフリカ、中南米、中東、東南アジア、南アジア、そして旧ソ連圏は政治、経済、関税同盟、安全保障と、政策領域や協力の濃淡の違いはあるが、いずれの地域でも制度的な協力の枠組は存在している。欧州では、EUという枠組で27もの国家が条約に基づき特定分野の国内制度を統一化した地域統合が進行しており、1967年に政府間協力機構として発足したASEANも、2015年には共同体に移行することに合意している。地域統合や地域協力の背景も地域によって異なるが、その主なものとして国際環境の変化、安全保障・危機管理上の要請、そして歴史的な理由の三つをあげることができよう。

 

グローバル化の進展等、一国を取り巻く国際環境の変化は、隣接する国家間の交流を拡大させる。そして、隣接諸国間の制度の違いがそうした交流の進展の障害として作用し始め、とりわけ企業や市民により認識され始める。また、国境を越えた問題が地域共通課題としての対処を要請するようになり、地域レベルで協働の必要性も政策当事者間で強く認識されるようになる。さらに、一国の経済政策もグローバル化や国内市場の成熟化への対応として、隣接する市場の発展や拡大を前提としたものに変質することとなる。日本にとっての「アジア内需」という新たな捉え方はその典型といえよう。こうしてみると、地域統合や地域協力は、グローバル化の進展と表裏一体といえる。そして、多国間貿易交渉の停滞も、二国間あるいは地域レベルの自由貿易協定の締結の動きを加速させている。

 

冷戦の終焉とともに、安全保障の焦点も、地域紛争、国際テロリズム、そして独裁国家による核の脅威に移ってきている。安全保障・危機管理において、地理的接近性はとりわけ重要な要素だ。同じ核開発の脅威であっても、日本にとってはイランによるものよりも北朝鮮によるものの方がより深刻な安全保障上の脅威であることはいうまでもない。地域経済統合や協力は、その地域の安全保障と平和構築の環境醸成に貢献し、また隣国からの平和への脅威に対する防波堤としての役割も担う。

 

これらに加え、隣接国は隣接国であるがゆえに紛争の危険にさらされ、また過去の遺産という問題を抱える場合が多いことも忘れてはならない。過去の遺産の二国間ベースでの克服の試みには、当事国の利害関係の衝突が直接的に発生する可能性が高くなる。そして歴史は、過去の遺産の克服には多国間の枠組みでの処理が重要な意味を持つことを示してきた。フランスとドイツ間の領土問題は、近隣4か国も参加した欧州石炭鉄鋼共同体の設立を通じて終止符が打たれた。東西ドイツ統一においても、EUという地域的な枠組の存在が統一ドイツへの脅威論を横に追いやり、歴史的な統一が実現された。北東アジアは、過去の遺産問題や領土問題が存在しているにも拘わらず、隣接諸国間で危機管理の対話やメカニズムの不在というきわめて危険な状況下にある。偶発事件が国民感情を刺激し、結果として、隣接諸国同士が戦争に追いやられた事例は枚挙にいとまがない。

 

1. 世界の趨勢と北東アジア

 

こうして見ると、北東アジアは地域協力を要請する三つの主要要件すべてを持ち合わせていることとなる。それでは、何故、北東アジアは世界の例外地域となっているのか。その背景の一つに、これまでの北東アジア地域協力に関する議論で再三陥る誤謬、つまり、議論の一般論化があるように思えてならない。地域協力や地域統合を論じるに当たり、前提として国家による地域統合、すなわち欧州統合プロセスをモデルとした地域統合を念頭に置いた議論だ。その結果、北東アジアは政治経済体制が異なり、依然として分断国家が存在し、経済規模と成熟度に格差がみられ、また文化的な同質性がないので、地域統合はもとより地域協力も困難ということとなる。

 

アジア未来会議において、統計データによる経済実態面での日本・中国・韓国間の経済・貿易の結び付きの深化が報告され、実態経済活動においては北東アジアで市場統合に向けた動きが加速しているにも拘わらず、制度面での地域協力・統合が進んでいないことが指摘された。地理的に接近した諸国間の制度化された協力関係を考察する際、協力の分野、深さ、主体に対して硬直的な捉え方をすると、具体的な成果を伴わない議論のための議論となりかねない。東アジア共同体構想はその一例といえなくもない。構想が壮大であればある程、既得権者の反発や抵抗を生み、政治的にもまた社会的な合意形成も困難となる。

 

2. 日本にとっての北東アジア地域協力

 

そうはいえ、成熟した民主主義国家、そして少子高齢化の進む日本にとっては、地域的な協力のための制度づくりは他の北東アジア諸国以上に緊急の課題といえる。北東アジアの地域協力を阻むと論じられてきた要因こそが、グローバル化の時代での成熟国家としての日本が地域協力を必要としている理由であることに目覚めるべきだ。安全保障、危機管理、自然災害への対応、環境保全、保健衛生、治安、漁業の安全操業、人の自由移動、交易、領土保全、そして将来の発展のための潜在市場の有効活用等、これらは全て近隣という地理的な要因が大きく介在する政策課題といえる。そして、近隣諸国間の共存共栄こそが地域協力の究極目的であることはいうまでもない。

 

日本にとっての中国、韓国を含んだ地域協力の遅れは、納税者である日本国民や企業が行政サービス上の不利益を被っていることを意味している。EU諸国の国民は欧州市民権を得ることにより、国家行政サービスに加え、地域という付加的な行政サービスを享受している。この付加的な国境を越えた行政サービスは、欧州大陸を舞台とした人の移動や居住の自由、EU加盟国間の資格の相互承認、就職機会の自由、そして安全保障面での安心に及ぶ。また企業にとっても、EUが提供する付加的な行政サービスの効果は、人口5億の統一市場、EU基準の事実上の国際基準化、EUが第三国との間で締結している自由貿易協定、経済連携協定に伴う国際市場での競争上の優位性といった具合に広範にわたっている。東南アジアの諸国民も2年後に国境を越えた新たな行政サービスを享受しようとしている。日本の産業空洞化の背景として、高い人件費、重い法人税等の理由が挙げられてきたが、こうした理由以外に、地域協力の制度的枠組の不在の結果、日本を舞台とした経済活動が国際競争上不利となっている事実があることも忘れてはならない。

 

そうした中、日本はTPP交渉、日・EU経済連携協定締結交渉、そして日中韓自由貿易協定交渉へ向けて舵を切った。これは確かに大きな政治決断といえるが、これら3つの大規模交渉が並行的に行われることが、それぞれの交渉の進展にどのような影響を与えるのかは明らかではない。交渉を担当する人材の確保の問題、それぞれの交渉内容の整合性確保の問題等、地域協力や経済連携協定の進展を必要としている日本の利害関係者の心配はつきない。

 

3. 現実的アプローチの重要性

 

こうした状況に対して、日本の利害関係者はどう対処すべきなのか。先ず、地域協力とは広い概念であり、選択肢も広いことに注目すべきだ。究極の形態としての国家主権の一部移譲を伴う統合、国家主権の移譲を伴わないが主権の制限を伴う制度化された政府間協力、そして制度化されない協力も有り得る。地域協力の分野についても同様である。理想論としての包括的地域協力もあれば、政策分野別かそれとも個別的なものも有り得るのだ。個々の利害関係者にとっては、地域協力は必ずしも包括的である必要はない。そして、地域協力の主体は決して国家や政府である必要もない。地方自治体でも 企業でも個人でも市民社会でも、地域協力の枠組み作りは可能なのである。スポーツ競技団体同士の近隣諸国との地域競技大会の開催や交流はその一例といえる。鳩山首相の提唱した「東アジア共同体」構想は、理念と現実が余りにも遊離された形で当事者間の信頼醸成のプロセスを経ないまま提言された。その結果、まともな議論や検討に付されないまま、葬り去られてしまった。「欧州統合には青写真はなかったこと、実際の統合は分野別漸進的であり、具体的実績をベースに次の統合段階に進んだ」という欧州統合の事例は北東アジアの地域協力にとって参考となりそうだ。

 

アジア未来会議では、北東アジアを逆さにして日本海と東シナ海を中心に据えた地図が披露された。そこに現れたのは、日本海と東シナ海を中心に存在するロシア極東であり、日本であり、朝鮮半島であり、中国であり、台湾であった。正しく北東アジア湾岸地帯の存在である。北東アジア諸国を新たな湾岸諸国と捉え、共通の海を面した国家間あるいは地方間、分野別あるいは個別的な協力関係の構築、そしてそれに伴う実績と信頼関係の構築が将来の北東アジア地域協力の現実的な第一歩と思える。そこで重要な政府の役割は、そうした地域、都市レベルのイニシアティブの邪魔をしないこと、そしてそうした協力の環境作りを行うことである。

 

自民党の教育再生実行本部は、国際社会で活躍する人材を育成するため、英語の検定試験TOEFLで一定以上の点数をとることを大学受験の条件とすることなどを盛り込んだ教育改革の提言をまとめ、本年3月末、安倍首相に提出した。これは日本の将来にとって重要な提言といえる。同時に、「国際社会で活躍する人材を育成するための英語」教育に加え、「地域協力という視点から北東アジアで活躍し得る人材を育成するための中国語と韓国語」教育や地域内相互理解のための教育上の環境整備も教育改革に含めるべきだ。事実、アジア未来会議では、北東アジアの地域協力との関連で、草の根レベルの交流、協力や相互理解、信頼醸成にとって語学の果たす役割の重要性が指摘された。

 

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<高橋甫(たかはし・はじめ)Hajime Takahashi>

 SGRA渉外委員 1947年生れ、東京出身。1970年:慶応義塾大学法学部法律学科卒業。1975年:オーストラリア・シドニー大学法学部修士。1975年~2009年:駐日EU代表部勤務、調査役として経済、通商、政治等を担当。2007年~2012年:慶應義塾大学法学部非常勤講師(国際法)。2013年1月よりEUに関するコンサルタント会社であるEUTOP社(本社ミュンヘン)の東京上席顧問。これまでにEU労働法、EU共通外交安全保障政策、EU地域統合の変遷と手法に関して著述。

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2013年4月24日配信