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エッセイ376:カトウ メレキ「トルコの反政府デモ:『アッラーがアダムをつくった。翌日カインがアベルを殺した。』」

「今度のオリンピックは、東京とイスタンブール、どちらが選ばれると嬉しいですか」とよく聴かれていた。それが急に「大変ですね、トルコ、大丈夫ですか?」と言われるようになった。トルコでは、現在、大規模な反政府デモが続いているからである。すでに死者がでており、500人ほどが逮捕された。デモ隊は6月16日に政府によって排除された。このデモは世界各国のメディアでも取り上げられている。デモ参加者の攻撃的な態度と、政府および警察のそれに対する姿勢が大きな批判の的となっている。デモ隊が反対しているのは、イスタンブールの中心街のタクシム広場に関する「ゲジ公園」という再開発プロジェクトである。環境保護団体のメンバー達は、この広場の木が切られることに反対であると訴えている。

 

2013年5月下旬から6月のはじめにかけて、エーゲ海の新緑が美しくなった頃、ちょうどトルコにいた。イスタンブール以外の都市は静かに(トルコの「静か」は日本のそれとくらべたら「うるさい」と感じられるかもしれないけれども)日常生活を送っていたときに騒動が起こった。それは、突然、フェイスブック(以下FB)上と、ランキングはそれほど高くない「ハルクTV(国民テレビ)」というテレビ局の両方で始まった。ハルクTVは、現場からの生中継の間に、トルコの左よりで革命派の俳優ギュネイ・ユルマズ主演の反政府映画とその主題歌アルカダッシュ(我が友)を放送した。その映像には銃などが出てくるシーンがあり、思春期の若者の気持ちを刺激し、彼らが自らのことを「反政府の英雄」と夢みてデモ隊に加わることになったと、新聞記者トルグット・セルダル氏が書いている。氏は、若者が犠牲になったトルコのクーデターを自ら経験しており、トルコではこのようなことが数年ごとに繰り返されると批判している。トルコという国の若者たちは、数年ごとに原因不明の「分裂病」にとりつかれるのだろうか。

 

ハルクTVを除けば、デモが始まったころメディアは無関心だった。しかしFBでの呼びかけをきっかけに、若者を中心とする多数のグループが、タクシム広場周辺でテントを張り、寝泊りしながらデモを始めた。その後子どもから高齢者まで、様々な年齢の人々が加わった。イスタンブールの知事が、自分の子どもを連れ戻しに来るように、母親たちに呼びかけたこともあった。それは警官隊が使用する催涙弾などが含んでいる有害物質の影響から若者を守るためだった。エジプトの反政府運動やシリアの内戦が始まったとき、トルコの世論は、アラブ諸国よりも自らの国がデモクラシーの面で優越していると自慢げだった。しかし今回のデモをきっかけにトルコのデモクラシーも問われるようになった。シリアの友人に「トルコの春がきたね」と言われた。

 

最初、デモ隊は、環境保護を訴えてタクシム広場の木が切られることに反対する人々であった。しかし参加者の中には、反政府組織のメンバー、野党支持者及びPKK(クルディスタン労働者党。クルド族の独立国家建設を訴える武装組織のメンバーも多く、トルコではテロリストとしても認識されることがある)支持者や、トルコ外部の勢力に支持されている違法団体の人々も入っていると、政府は認識している。それに対する最初の攻撃は、警察によるデモ隊の撤退を求めるものだった。しかし、参加者の多様性や、政府の過激な抑圧を観察するだけでも、今回のデモが単にトルコ政府の都市開発プロジェクトとそれに反発する民衆の衝突として単純化されない問題であることがわかるだろう。その背後には、無視することができないトルコの政治的、社会的、歴史的そして精神的な背景があるという事実は疑いの余地がない。

 

トルコの政治的な構造をみると、主に4つに分かれる。政権を握っているAKP公正発展党はイスラム主義を掲げている中道派である。その次に支持されているのはCHP共和人民党であるが、左よりでライシテ(政教分離や世俗主義)、アタチュルク主義(トルコ共和国初代大統領ムスタファ・ケマル・アタテュルク)的な思想を持っている。第3勢力はMHP民族主義者行動党であり、ナチスドイツまではいかなくても民族崇拝的な色が濃く、イスラム思想を重んじる傾向を持っている。最も少数派であるBDPはクルド人住民を代表する左派政党である。もちろんこのような説明の仕方は大雑把で、支持者を単純にグループ化することは容易ではない。

 

トルコでは同じ家族の中でも、支持する政党や思想がかなり異なる場合が多い。時には兄弟の間で摩擦の原因にもなる。トルコで政治が話題になっている時に、忘れてはならないことが一つある。子どもから年配の方まで、政治や政治家のことを話せば絶対に盛り上がる。政治は常に日常化した熱心な議論のネタである。職場の同僚に嫌われるのは、彼はAKP支持者なのに自分はMHP支持者であるから、ということは十二分にある。トルコの某国立大学で働いていたCHP寄りの研究科長の某先生は、昨年、新しく入ってきた学長がAKP寄りであったから、強制的に他の国立大学に勤務先を変更させられた。とにかく日本ではおとぎ話にも聞こえるような出来事が沢山出てくる。

 

トルコの政党の話が長くなったが、こうした政党や、その支持者同士の摩擦が長年続いてきた。今回のゲジ公園プロジェクトに反対するデモ隊の中には、AKP以外の党を支持するグループも多く、結局、異なる政党支持者間の衝突まで始まった。AKP側の若者たちがCHPの別館を石や棒で攻撃したのもその一つの事例である。それはCHP側の人々が、最近のエルドアン政権の行いに対して不満を抱くようになったこととも関係している。AKPは、2002年以来続いている政権の中で、国民の多くに認められたように厚生、社会福祉、経済、国際関係の分野で大きな発展を成し遂げた。しかし、だからといって信条や習慣が統一されたわけでは全くない。

 

トルコでは、飲酒やお酒の販売に関しては様々な法令の提案があったが、今回のゲジ公園プロジェクト抗議運動の直前に、午後10時以降お酒の販売が禁止された。この法令はイスラム主義のエルドアン首相やその支持者である国民の一部にとって望ましい変化であった。イスラム教ではお酒は禁止されており、その販売も宗教的に禁止である。トルコでは飲酒の習慣が日本とは異なる。トルコでお酒を飲むのは殆ど男性であり、その中でも、飲む人と、生涯飲まない人とではっきり分かれている。これは宗教的な選択である。田舎の街角でビールを購入すると、中身が「バレないように」缶を新聞紙に包んで渡される。かたちであれ、心からであれ、宗教的な生活を好む住民が多いトルコでは、飲酒は、どことなく白い目で見られがちな習慣なのである。

 

それと反対に、左よりのCHPやアタチュルク主義を訴え世俗主義的な生活を好む住民にとって、お酒販売の制限は大きな抑圧である。さらに、観光業が大きな収入源であるイスタンブール、地中海およびエーゲ海などで観光業に携わる経営者達にとっては、お店が賑わう夜10時以降は客にお酒を出してはいけないという政府からの制限は、厳しい打撃となった。お酒販売の制限であっても、トルコでは2項対立の反応が常にあるのである。

 

また、エルドアン首相の最近の独裁者的な言動も、国民の間で不満の的にもなっていた。確かに大規模な集会などでのエルドアン氏のスピーチを聞くと、驚くほどオスマントルコのスルタンの口調で話す例が少なくない。最近のデモを受けて、トルコの有名な心理学者キョクネル・オズジャン教授は、「演説などを分析したところ、ヒトラーという独裁者でさえ、エルドアン氏ほど暴力的な口調では話さなかった」とある電子新聞の記事に書いた。6月16日、イスタンブールの市内のタクシム広場でデモが続いていた時に、エルドアン首相が同じ市内の別の場所で大規模な集会を開催し、自分の支持者の前にたって演説を続けたこともかなり批判されている。

 

その舞台となったイスタンブールでは、二人の兄弟がいれば、一人がエルドアンの演説を聞いて拍手しながら盛り上がっている最中に、もう一人の兄弟がデモ隊の中で警官隊と衝突しているということは、全く普通の話である。その兄弟は翌日同じ家で生活し同じ食卓を囲む。しかし、話題が政治に変わると、この二人は必ずと言ってよいほど殴り合いになる。兄弟であっても憎しみでいっぱいになる。今回のデモでは4人の命が失われた。これは中東的な落ち着きの無い性格なのだろうか。または気性が激しい国民性といったところだろうか。

 

エルドアン首相やギュル大統領はデモ隊を無視し続けているが、その姿勢について彼らの言い訳はAKP支持者がトルコ住民の半数に及んでいるからということである。そのようなAKP政権を全くの「悪党」とみなすのは不平等な理解の仕方になるだろう。長い間AKPは国民に支持されてきたのである。CHPやMHPは野党としてしか政治に関与できず、そのメンバーや支持者は政権交代を訴え続けて10年あまりが過ぎている。その歳月の間、AKPが様々な分野で多くの業績を残しているのは明確である。病院、学校や職場など公の場で、トルコに帰国するたびに観察できる変化が著しい。国民の経済的なゆとりも顕著である。携帯電話やPCを2台以上持っている人も多いし、iPhoneを片手に友達と話している中学生も少なくない。果物、野菜やパンなどの食料がゴミとして大量に捨てられるほど余っている。それなのに、人々の間では、とにかく政権を批判することが盛んになっており、トルコの最近のトレンドである。

 

今回のデモが起こったのは、トルコの最近の発展成果を示す重要な出来事がいくつか重なっていたことも指摘されている。デモ開始の2週間前の5月14日、トルコは国際通貨基金(IMF)から借りていた膨大な借金をやっと完済した。1969年1月1日以降、トルコ政府が借りた4億米ドルのことである。

 

6月1日から16日の間、140カ国からのトルコ語学習者の学生たちがトルコを訪れ、第11回目のトルコ語オリンピックが開催された。このオリンピックはギュレン運動(ギュレン・フェツフッラー氏がリーダーである中立的な宗教団体で、政治と距離をおき、イスラム教の掟を守りながら、自らや周りの人々の教育に熱心なグループであり、最近米国などで国際学会も開催されるようになった)が開催しているもので、どちらかというとエルドアン首相やイスラム教に積極的な人々が応援しているイベントである。

 

トルコ経済が軌道に乗り、国の借金が完済され、トルコ東部で長年続いたテロ問題もそろそろ落ち着いてきた今、トルコ語オリンピックも開催されているちょうどその時期に反政府デモが起こるのは、政府に言わせればエルドアン政府の支持率を下げるための一つの仕掛けであり、政府の業績よりもその欠点を前面に出そうとする試みなのである。

 

そのような主張をする政府も、国民を政府側と反政府側という二つのグループに分けて扱おうとする。国民も、ときには非常に意識的に、ときには無意識的にこの二つのグループに自ら別れる。一方はデモ隊に入って棒や石で警官隊のパトカーや救急車を襲う。もう一方は警官隊側に立って「人だかりの方に催涙弾を投げろ!」という命令に従いデモ隊を攻撃する。この二人とも同じイスタンブールの市民であり、制服やデモ用のマスクを脱げば、翌日同じスーパーで何もなかったかのようにアッラーの作った野菜を購入して晩ご飯のおかずにする。そしてまたその翌日兄弟を棒や石で襲う。モナリサはトルコを見ていたに違いない。

 

アッラーのために、一日5回、礼拝堂のミナレットから人々に祈りに集まるように呼びかけられる。その日もその翌日も、カインのようなトルコ人が、アベルのようなトルコ人を殺しつづける。

 

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<カトウ メレキ(Melek Kato)>

トルコ出身。トルコのエルジエス大学日本語日本文学部を卒業後、筑波大学人文社会科学研究科・文芸言語専攻にて文学修士号を2006年取得。同研究科で20011年学術博士号取得。現在白百合女子大学非常勤講師。研究分野は比較文学、比較文化、翻訳研究。SGRA会員。

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2013年6月19日配信