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エッセイ381:李 垠庚「グローバル時代における講義の難しさ」

今年の春学期、女子大学生を対象に「日本の女性とその歴史」についてはじめて講義をすることになった。普段は半年を通して「日本の歴史」について講義をしてきた私にとって(「日本史」について話せることはどれほど多いだろうか。いつも時間が足りないほどである)、 もっぱら「日本の女性」というテーマについて毎週3時間ずつ全15回、あわせて45時間も話すことが出来るか、少し心配になった。学期が始まる前の冬休みからプレッシャーは徐々に増し、日本出張中には日本女性関連の書籍を漁り、使えるものがあるかと韓国人の書いた関連論文も一通り目を通した。

 

ところが、実際に学期がはじまると、予想外の問題が待ち受けていた。受講生の中に「日本」からの学生たちが10人近くも含まれていたのである。彼女たちの学生としての身分はばらばらであった。ある学生は正式な交換学生、またある学生は語学研修のための留学生。日本からやってきた日本人女子大学生たちの前で、「日本の女性」について講義をしなければならないということが新たなプレッシャーとなった。しかも、その中には講義の内容どころか、講義に関する連絡事項さえ十分に理解できない聴講生もいた。したがって、日本語を交えて講義をしなければならず、レジュメにも日本語を適度に書き加えることにした。試験の際は、問題を日韓対訳で作成し、同じく留学の経験がある者として、自分なりに彼女らに対し最善を尽くしたつもりであった。

 

ところが、その講義ではもう一つ気にかかることがあった。受講生の中には中国からの学生2人も含まれていたのである。彼女達は朝鮮族ではなく、大陸からの漢族であった。韓国語の実力はそれほど違和感が感じられないほどそこそこ高いレベルであったが、日本語だけを交えながら講義をするとなると、日本の学生だけに有利ではないか、気になるのも事実であった。もしかすると、これを差別かひいきと感じるのではないか、いや、私が実際に、または無意識に差別をしているのではないか、何度も自問をせざるを得なかった。

 

言葉の問題だけではなかった。正直に言うと、日本女性に関する私の講義を、「日中韓」の東アジア三国の学生たちが一緒に聞くという状況は、私の想像を超えたものであった。講義中、誰かが気分を害する内容はなかったか、いわゆる「口がすべる」ことはなかったか、講義を終えての帰宅時間はいつもこのような反省の時間となった。

 

たまに、歴史にかかわる科目を教える立場の人間が、学生の集中力を高めるため、または分かりやすさのため、他国の極端なケースと比較したり、さらには揶揄する場合がある。これらは学生の笑いをさそうもっとも簡単な方法である。彼らに悪意があるわけではなく、なるべく印象深く、そして分かりやすい説明をするためであるとはいえ、もし当事国の人々が目の前に座っている状況であったならば、とうてい考えられないことであり、しかも決して講義でしてはいけない内容である場合も少なくない。学生が皆韓国人である場合、「ここだけの話だけど」だとか、「私たちだけの話だけど」といいながら、冗談めいた表現をすることも多いが、 もうこのような「国内用」講義が通用しない時代になりつつある。

 

実際、ある先輩は、いつも通りに講義をしたものの、その後、ある国の留学生団体から「講義に我が国を傷つける内容があった」との抗議を受けたという。その国をこきおろすのが目的ではなく、いわゆるその「国民性」を分かりやすく説明するつもりで例えたのが度を過ぎたとの言い訳であった。私は直接その講義を聴いたわけではないため、どれほどの内容だったかはわかりようがないが、とにかく、講義の内容がそのような理由で問題化したのは、これまではあまり見られなかった現象であろう。ソウルにあるほとんどの大学には、もはや数百人以上、大学によっては一千名を超える外国からの留学生が生活しているという現実を認識し得なかった故に起きたミスと言えるだろう。

 

では受講生の中に外国人がおらず、韓国人だけのクラスだったとすればそれはそれでよかったのだろうか。講師本人は気づいていないかも知れないが、究極的にはそれこそがより大きな問題であるとも考えられる。なぜならば講師が勢いで他国の歴史や国民性について、なにげなく「冗談」のつもりで話をした場合、講義以外に日本に関する情報や知識に接するチャンスが少ない学生たちは、そのままそれを「事実」として受け止めかねないからである。一学期の講義が終わってからの学生たちの感想・評価を見ると、講義中の冗談がもっとも印象に残ったとの答えが多いことを鑑みても、講師が冗談のつもりで歪曲した内容だけを学生達は強烈に記憶する可能性が高い。特に他国と比較したり、他国の風習を笑いの対象とする行為は、学生や大衆の関心を引くにあたって、より陥りやすい誘惑の道なのである。

 

私が講義室に東アジアの三国の学生が一緒にいることを知り、少し慌てたのは、私自身も、そのような誘惑や習慣と完全に決別していないことを示唆しているのかも知れない。帰国後、講義をするチャンスは増えたものの、他の研究者たちの(研究発表ではない)講義を聞くチャンスは少なくなるばかりである。私が最近、先輩の研究者がどこかで公開講義をするといううわさを耳にすれば、なるべく足を運ぶ努力をしているのには、このような背景がある。彼らの「知識」が気になるのではなく、大衆または学生に向けてどれくらいの「レベル」で、どのような「言葉」と「表現」をもってして伝えようとしているかがより気になる今日この頃である。

 

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<李垠庚(イ・ウンギョン)、Lee, Eun-gyong>

韓国ソウル大学日本研究所研究教授。淑明女子大学・漢陽大学などで非常勤として講義中。専門は日本の近現代史で、主に日本女性の運動・生活・文化について研究中。ソウル大学で学士と修士の学位を、東京大学総合文化研究科で博士の学位を取得。2007年度渥美奨学生。著書としては、『日本史の変革期を見る』(共著、2011)、 『現代日本の伝統文化』(共著、2012 )、論文としては「大正期における日本女性運動の組織化と路線葛藤」(2011)、「戦後の日本女性の対外認識」(2011)、「近代日本キリスト者の戦争協力」(2010)などがある。

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2013年7月31日配信