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エッセイ358:韓玲姫「講演会『日英戦後和解(1994-1998)』報告」

2012年度の「渥美奨学生の集い」が2012年11月1日午後6時より、渥美国際交流財団ホールにて開催されました。31名の出席者を迎えた本年度の集いは、渥美伊都子理事長の開会の辞に続き、ゲストの元駐カナダ、パキスタン大使、在英特命全権公使の沼田貞昭様に「日英戦後和解(1994-1998)」という社会的に関心の高いテーマで大変貴重なご講演を頂きました。

 

本講演会は、沼田元大使の経験談を交え、第二次世界大戦後日本がいかに英国と和解に向けて取り組んできたかを主題とした、とても興味深い内容でした。沼田大使はまず、戦後処理について法的処理から謝罪、そして和解という三つの側面から概観した後、1991年から1994年まで外務副報道官として在任中、海部俊樹総理大臣のシンガポールでの演説(1991年5月)から、細川護熙総理大臣の所信表明演説(1993年8月)に至る間の、侵略行為や植民地支配などに対する総理大臣、官房長官の「反省」から「お詫び」への経緯について述べました。そのうえで、90年代になって英国との和解が主要争点となったのは、日本では、太平洋戦争の責任について未整理のままで、国内の「ベルリンの壁」を抱えたまま戦後50年を迎えたことと、アジアの問題としてとらえがちで、米英蘭等の元捕虜・民間人抑留者問題は大方の意識に上がらなかったとの解釈を示しました。

 

沼田大使はまた、1994年から1998年まで在英日本大使館に在任中、日本政府と民間の対応を中心に「恨みの噴出から和解」を成し遂げた事例を詳しく説明しました。対日戦勝50周年を迎え、1995年年頭より英メディアに対日批判が溢れ、英国政府はVE Dayに独伊の首脳を招いたのに、VJ Dayは英国国内及び英連邦中心の行事として日本の要人が招かれなかったことを挙げ、1945年に戦争が終わり帰国した際に「忘れられた軍隊」として英国国民から冷遇されたビルマ戦線の英国軍将兵の「恨みの噴出」を英国政府とメディアが受け止めたことを指摘しました。そして、8月15日に「村山談話」が発表され、それが英国人捕虜をも対象とした閣議決定に基づく日本政府の公式な謝罪となり、それが契機となって英メディアの対日批判が静まったと説明しました。また、和解に向けての対応は政府だけでなく、民間においても行われたことを強調しました。即ち、1990年に英国に「ビルマ作戦同志会」が設立され、日本全ビルマ作戦戦友団体連絡会議と相互訪問したことや、1997年2月に日英双方の有志・家族等36人がビルマで合同慰霊祭を行ったこと、さらに、サフォーク州の高校日本語教師であるMary Grace Browning女史と英国在住の日本人である恵子・ホームズ女史の和解活動等を挙げ、日英の和解の輪が政府だけでなく、民間、そして個人へと広がったことについて詳しく説明しました。一方で、沼田大使はBBCテレビ、ラジオ、民放テレビに積極的に出演して説明したことや、1997年10月5日にコベントリー大聖堂での英米日の和解の式典に参列したこと、そして、1998年1月9日の自らの離任レセプションに100人を超える元捕虜、和解関係団体代表、日英交流関係者が参加してくれたこと等を挙げ、自ら英国和解に関わったことについてお話をされました。

 

そして最後に、日英戦後和解は成功したのかについては、全体として良好な日英関係の中で位置付けられると指摘しました。

 

講演終了後、会場からは「戦後日英和解がなぜ90年代になって争点となったのか」、「日本の昭和史を見直す必要があるのでは」という意見と、地理的に遠い英国とも和解を果たしているので、尖閣諸島、竹島等の問題で緊張が高まっている隣国の中国、韓国ともねじれた関係が克服できるだろうとの感想が寄せられました。政府、民間、個人の努力により成し遂げられた「日英戦後和解」を通して、今後の日中、日韓の和解の行方を考えさせられる、とても有意義なご講演でした。
講演会終了後、引き続き同会場において親睦会が行われ、渥美国際交流財団評議員で日本プロテニス協会理事長の佐藤直子様の乾杯の発声により開宴されました。当日は中華料理を楽しみながら、ゲストと出席者達と様々な話題で盛り上がり、交流を深めました。

 

当日の発表資料
English Translation

 

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<韓玲姫(カン レイキ ☆ Lingji Han)>
中国吉林出身。延辺大学外国言語学及応用言語学修士号取得。現在筑波大学大学院図書館情報メディア研究科博士後期課程在籍。2012年度渥美財団奨学生。研究分野は比較文化、比較文学。
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2012年11月28日配信