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エッセイ359:オリガ・ホメンコ「バロック美術品を救った先生」

数ヶ月前にテレビのニュースでウクライナの有名な美術館の館長が交通事故で亡くなったと知り、強いショックを受けた。リビフ美術館の館長だったボリス・ヲズニツキ先生、86歳だった。最後まで自分で運転をしていて、あちこちに出かけていた。その日は暑い日だったが、運転中の交通事故で亡くなったのだろう。

 

去年、先生とお会いする機会があった。背が高くてスラッとした体で、エネルギーが溢れている方だった。ヲズニツキ先生は50年前から多くの美術品を収集し保存に努めていたが、ある彫刻家の作品に夢中になり、一生をかけてその人の作品を探し続けた。その彫刻家は、18世後半に西ウクライナで活躍したヨハン・ゲオルグ・ピンゼリで、「ウクライナのミケランジェロ」とも呼ばれている。ソ連時代には宗教が弾圧されていて、教会は破壊されたり、倉庫にされたりした。昔の教会にあったルネサンスやバロック時代の美術品は宗教と一緒に捨てられた。暖房用の薪にされないために、ヲズニツキ先生は、そのような美術品を守ろうとした。1960年代から90年代まで、ヲズニツキ先生が副館長だった美術館のトラックを使って、壊された教会から、また破壊させられた墓地から、昔の彫刻家が作った彫刻やイコンなど、数多くの美術品を救い、自分が働いていた美術館の倉庫に隠していた。美物館を管理する上司から「宗教関係の粗大ゴミはもう持って来るな」とも言われたが、彼は止めずに密かに持ち帰って隠した。

 

ピンゼリの作品は、その中でも特別で、先生は一生をかけて探した。この彫刻家がどこで生まれ、どこで亡くなったかさえも分からない。名前からすればおそらくウクライナ出身ではない。だが彼の偉大な作品は西ウクライナで作られた。彼は謎の人物であり、神話の人物でもあるのかもしれないと思われたこともあった。記録がないので、ドイツ、イタリア、ポーランド、あるいはチェコからの旅人とも思われていたかもしれない。

 

最近の研究によれば、彼はおそらく1740年代半ばに西ウクライナのリビフ市の美術を支援していた、風変わりなお金持ちのミコラ・ポトツキの所に招待されて、そこで制作をしていたと考えられている。謎の人物ではなく、本当に存在していた人間であるという記録がいくつか見つかったのだ。この時代に残っているものは、教会に残る出産、結婚、死亡の記録に限られる。先ずは、リビフ市の聖ユーラ教会の彫刻を作った時に、その制作費が支払われたという記録。それから1751年5月3日に、未亡人マリアンナ・ケイトワと結婚し、2人の息子、ベルナルド(1752年)とアントン(1759年)が生まれたという記録。しかしながら、次の記録は、マリアンナが1762年10月に「未亡人で再婚した」という記録である。これにより、ピンゼリは、彼の下の息子が生まれた1759年とマリアンナが再婚した1762年の間に死亡したということになる。

 

彼の人生についての記録はあまりに少ないが、作品はいくつか残っていて、今でも美術家に注目されている。なぜなら、同時代のヨーロッパのバロック時代の建築や彫刻には、まだ、ピンゼリの作品ほどドラマティックなものはなかった。そこが面白いところなのだ。彼は初めの頃は、石像を作っていた。しかし、木像の方が有名である。教会が破壊されても、残って有名になった作品はほぼ木からできたものである。300年もの長い年月を経ても変形しなかったのは、ひびが入りにくく、かつ柔軟性のある菩提樹を素材としているからである。彼の彫刻の特徴は衣装のダイナミズムやドラマ性である。衣がとても悲劇的に身体を覆っており、この像が教会で祈る信者の前にあったと想像すると、非常に印象的なものであったに違いない。彼の作品には、イエスキリスト、アブラハム、マリア、聖ヨアキム、聖アンナなど、聖書をもとにしたモチーフが多い。

 

ウクライナが独立するまで、その作品は全てリビフ美術館の倉庫で眠っていた。独立後にヲズニツキ先生はリビフ市にピンゼリ博物館を設立させた。そこに28点のピンゼリの作品が展示されている。この10年の間に、ピンゼリは注目を浴びるようになった。数年前リビフ州は「ピンゼリの年」を定め、この彫刻家の作品やその歴史について、いくつかの展覧会が開かれた。2010年、ウクライナの郵便局はピンゼリのマリアと天使の切手を発行した。中央銀行は5グリブナのピンゼリ記念コインを5千枚も発行した。また2人の作家が、彼の人生や作品をもとにした小説を書いた。さらに、数種類の画集や写真集も発行された。そして今、以前「粗大ゴミ」とも言われたピンゼリの作品のために、ルーブル美術館で特別展が開催されている。ヲズニツキ先生の努力が報われた最高の結果でもあるといえるだろう。残念なことに、先生はそれを自分の目で見ることができなかった。

 

しかしながら、これからも、先生が救った美術品が、世界中で多くの人々の目を喜ばせることになるだろう。

 

ピンゼリの作品 ルーブル美術館の展覧会

 

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<オリガ・ホメンコ ☆ Olga Khomenko>

キエフ生まれ。東京大学大学院の地域文化研究科で博士号取得。現在はキエフでフリーのジャーナリスト・通訳として活動中。2005年 藤井悦子さんと共訳で『現代ウクライナ短編集』を群像社から刊行。

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