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エッセイ361:朱 暁雲「第2回SGRAカフェ『福島をもっと知ろう』へのお誘いに参加して」

今西淳子さんのお誘いで、SGRAが主催するカフェに参加しました。その集まりは、「福島をもっと知ろう」というテーマで、 福島県飯館村で牛を飼い、米と野菜を作り、土から生まれる命を育てる「生業」を営んでいる菅野宗夫さんを囲み、彼の身に実際に起った様々な出来事に耳を傾けて、生の声を聴く会でした。そこには「福島」を知る為のスタディツアーに参加したSGRA会員の方々と、日本の大学で教壇に立っている会員の先生方の報告に触発された学生達が参加していました。「報道」として作られた情報ではなく、目の前にいる人の口から発せられる苦悩や訴えは、心に直接響きました。

 

2011年3月11日、東日本に大地震が起った日、私は上海にいました。日本のNHK国際放送の映像から見た、巨大津波に飲み込まれて行く漁港と市場、押し流される家々、自動車。遠く離れている日本の東北の東海岸で、現実に起っている映像をリアルタイムで観ていたときの驚愕を、今も鮮明に思いだします。此の時の、言葉がないテレビの実況放映は、その後に報道された現場からの「報道」よりも生々しく、強烈でした。巨大津波の映像は世界中の人々を震撼させたにちがいありません。世界の人達の目が、日本の東北地方の町や村に生き残った人達を見つめました。

 

日本から発信された様々なテレビ放送からの「情報」の一部を、中国のメデアが採り上げ、上海の地下鉄のプラットホームやバスの停留所、街角のモニターTVから、地震と津波で破壊された街や田畑の惨状と避難所に身を寄せて身内の安否を心配する人々の映像が、上海の街中に流されました。上海市民の殆どが毎日、強い関心をもって画面を見ていました。その時市民にとって最も印象的だったのが、被災地の住人達が、静かな表情でテレビのインタビューに応えていた時の「日本人」の表情です。惨事にも人間らしさを失わない日本人の「尊厳の高さ」に感じ入り、インターネットでは感嘆の念を表すメッセージが飛び交っていました。

 

福島の原子力発電所の爆発は、津波のニュースとは全く違い、「脅威」として受け止められました。放射能汚染が上海までやってくる、海水が汚染されて塩がなくなるという流言が、サイバースペースを飛び交いました。「福島」は放射能汚染の代名詞となり、直接の被害を受けた福島の住人の苦悩は殆ど伝えられていませんでした。爆発した原子力発電所が与える「脅威」そのものの方が、その脅威に晒されている住人達の苦悩よりも、遥かにニュースヴァリューがあるからでしょう。福島県飯館村の菅野さんの発言は、私にとって初めて、福島の住人の生の声を聞く機会でした。

 

壊れた原子力発電所から飛び散る放射能に、家族が一緒に住む家を、手塩をかけて育てて来た牛達を、そして何世代にも渡って耕し続けてきた田畑を、見捨てなくてはならない無念さを、私は初めて身をもって感じました。菅野さんのお話を拝聴し、私が最も感じいったのは、菅野さんが抱いている「土」への念いです。飯館村の豊かな自然の中で「土」に根ざした生活を営むことは、生きることであり、生きる喜びと感じました。飯館村をこの上なく美しいと憶う故郷の風景への愛が、私の心の奥にも生き生きと映りました。菅野さんだけではなく、被爆地域の多くの住民達が共有する想いである筈だと思います。

 

私は今、上海市の北を流れる長江の中の島、崇明島の将来のために何ができるかを考えています。崇明島は「生態島」と呼ばれています。中国の中央政府が、国家の環境改善対策と持続可能な発展のシンボルとして、過去十数年以上も押し寄せる経済開発の波を押さえてきました。「生態島」という旗のもとで、有効な対策が立てられないまま、開発から取り残されて来たことが幸いして、崇明島の広大な湿地帯は今、生態環境保全のための研究プロジェクトの機会を提供するところとして注目されるようになっています。此の島の東端と西端に広がる湿地には多種の野鳥が棲息し、アジア大陸の東岸を飛来する渡り鳥に休息の場を提供しています。崇明島が「生態島」として生き残れるためにすべきことは何か。これが私の課題です。

 

長江の汚染はニュースになりません。しかしその河口にある崇明島の水環境は近年著しく悪化し、湿地の生態系を脅かしています。野鳥が姿を消し、渡り鳥が来なくなる日が遠くないと心配です。このようなことにならないように、科学的データを蓄積し、分析して、効力のある警告ができるようにしなくてはなりません。その一方で、崇明島の地元で漁業、農業、牧畜業を営む人々が、水と土の汚染を問題とは考えず、自分たちも汚染をしていることを気に留めず、生きる為の生業を営んでいます。私の活動は、目には見えない脅威を共有し、持続可能な生態環境を育てるため、研究者と技術者が地元の人達と対話できる場をつくることを目的にしています。そのような「場」が、地方の行政を動かし、中央政府に届く声になることを夢見ています。どのような場合でも、顔と顔を合わせて話し合うのが、最良の成果を産むと信じています。 

 

インターネットやマスメディアで得ることのできる情報は、そのままでは「知」として、思考の材料にはなりません。菅野さんは、ご自身の一家が四世代に渡って飯館村で農業と牛畜業を営んできた歴史を話してくださいました。彼の代になって、東京の銀座に安心できる美味しい食材を届けるようになり、新しい生活基盤をつくっていると語りました。そのお話の間で、何回も「自然の恵みに感謝しています。」と言っていました。原子力発電所の爆発によってその生活が断絶されたままになっている今、その感謝の言葉がより鮮明に「失われたもの」を浮き彫りにし、都会の消費者の意識を、生産者の心に結びつける力になるのではないかと、私は思いました。私がそう思ったのは、菅野さんが私の眼の前でお話ししてくださったからに違いありません。「福島をもっと知ろう」に参加したことは、マスメディアの波の中で虚像になってしまった「知」、「知ること」に意味を見つける機会になりました。

 

福島原発事故は、人類の貪欲な消費活動がもたらした自然破壊です。日本国民を始め、国際社会の多くの研究者や政治家や行政指導者達にも、深刻な社会問題としての危機感を触発しました。その一方で、飯館村の美しい原風景は、菅野さんの心の原風景であり続けると思います。この原風景が安全な美味しさを生み出す叡智となり、菅野さんと飯館村の村民達の共有財産になっていると信じます。アジアの諸国の人々にとっても、共有できる原風景は貴重な財産です。機会があればこの日の「集い」の感激を私は崇明島の関係者たちにも伝えたいと思います

 

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<朱暁雲☆Zhu Xiaoyun>
中国北京出身。1981年日本留学。日本大学理工学部建築学科卒業。東京芸術大学美術学部科建築科修士修了。現在中国発展研究院長江流域可持続発展研究中心研究員。上海崇明島低炭素街づくり計画をテーマに活動中。
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2012年12月20日配信