理事長のことば

 

20年ぶりの韓国訪問

渥美伊都子

 

 渥美国際交流奨学財団が、本年4月を以って設立5周年を迎えることが出来ましたことは、皆様の多大なご支援とご協力の賜物と心より感謝申しあげます。そして優秀な若者たちによる国際的なネットワークの輪が、年々大きくなっていくのを感じ、大変嬉しく思っております。

 先日、私はアジア婦人友好会の親善旅行に参加して韓国へ行って参りました。ちょうどソウルは桜と連翹の花が満開のとても美しい季節でした。大統領夫人主催のお茶会や日本大使公邸の夕食会等など、盛り沢山のスケジュールでした。大使公邸では、韓日婦人友好会の会長、副会長等、日本と関係の深い方々にお目にかかることが出来ました。特に元首相夫人の金紅淑様は、私の母校日本女子大学の先輩でいらっしゃることがわかり、とてもなつかしく思って下さいまして、何時までも昔話は尽きませんでした。

 その後、私は予定を一日延ばし、韓国在住の渥美財団の元奨学生の皆さんにお会いすることにしました。ソウル市内及び近郊に住んでいる7人の元奨学生たちが、何とか都合をつけて全員集まってくださいました。第一期生の尹錫姫さんのご主人がヒルトン・ホテルのマネージャーをしておられるので、すっかりお世話になりました。夕食会は、個室を用意してくださり、垂れ幕を張り、氷の彫刻を飾って、ご馳走も大サービスでした。この日の為に東京から今西常務理事と娘の真帆も駆けつけ同席することが出来て、一層盛り上がりました。海外で、このようにラクーン会を開催できるとは思いもよらず、話もはずみ本当に楽しい一夜を過ごしました。

 この日の午前中は、第三期生の李香哲さんご夫妻の案内で、ご出身校の延世大学を見学しました。桜のピンクと連翹の黄色の花が咲き乱れ、美しい校庭に沢山の学生達が三々五々昼休みを過ごしていました。日本の慶應大学のような学校とのことでした。図書館の前を通り過ぎた時に、李さんが「鹿島守之助先生の外交史を読んだことがあるのですけど、どういうご関係ですか?」と尋ねられたので、「私の父よ」と答えると、驚いて「お父様は建設業の経営者ということは知っていましたが、学者とは知りませんでした」と。そこで、私は父のことを簡単に話しました。「父は元外交官で、最初ドイツに赴任し、結婚してイタリーの大使館勤務となり、ローマで私が生まれたので『伊都子』という名前をつけてくれました。そして任期が終わって帰国し、すぐに退官してしまいました。それから外交史の研究を始め、『世界大戦の原因の研究』という論文を書いて東京大学より博士号を取得しました。その後、母方の家業である鹿島組に入社したのが昭和10年頃のことでした。その後、戦争や戦後の厳しい時代を通りぬけ、昭和28年には参議院議員に当選して政治家にもなりました。戦後の復興の波に乗り、会社も順調に進展していきました。父はもともと学者肌の人でしたから、時間があれば本を読み、執筆を続けていました。しかし、このような学術書を出版してくれる出版社がなかったので、仕方なく、自分で鹿島出版を設立しました。そして、次々に自分の本を出版しましたが、これを売ってくれる本屋がありません。そこで、周囲の反対を押し切って、夢に描いた日本一の本屋を設立することにしました。それが現在の八重洲ブックセンターですが、残念ながら、父は竣工を見ずして他界してしまいました。」

 李さんは、この話を聞いて、自分にこの本を教えてくれた教授に是非紹介したいと電話をしてくださいましたが、あいにく不在でお会いすることはできませんでした。私は、このように他国の図書館にも父が出版した本が残り、若い研究者達に今尚読まれていることを知り、とても感銘を受けました。

 20年ぶりに訪れた韓国は、すっかり美しく変貌していました。各方面の方々にお目にかかり、親しくお話をさせていただいて、とても親しみを感じました。このようにお互いの交流が積み重ねられれば、徐々に過去の問題も解消されるのではないかと思いました。