SGRAかわらばん

  • 2014.02.19

    エッセイ399:金 崇培「日韓関係のナショナリズムに関する一試論」

    日本と韓国の葛藤と摩擦は、21世紀に始まった問題ではない。20世紀の戦争と植民地の遺産が常に燻り続けていたものであり、それは現在でも突如として出現し、国家間に緊張状態をもたらす。国家を形成する主権、領土、国民の三要素はまるで共鳴するかのようにナショナリズム/民族主義を発動させる。特に領土問題はその領土の実質的な規模に関わらずナショナリズムを派生させ、この情緒的でありながらも強力な感情にも似た現象は歴史認識問題と重なり合い、過去から現在までを貫通する一つの認識を形成する。   ナショナリズムを煽り助長することは、瞬間的で容易であるが、問題を冷静に対処し和解の方向に導くには長期的な時間と共に知識や知恵、そして行動を要する。領土問題に関しては様々な意見や主張があると思われるが、それに関連する日韓関係のナショナリズムを巨視的に見る次の三点もまた考慮しなければならない。   第一に市場経済と民主主義。日本と韓国の共通項として市場経済と民主主義が挙げられてきた。両国の市場経済はグローバリズムと直結しており、特に資本と人は簡単に国境を越える。しかし、これらの移動は異文化との接触という新しい世界観の創出だけを意味するのではない。既にヨーロッパでも見られるように他者の流入によって自国で雇用機会を喪失した者は移民や異なった民族・人種に対して排他的、規制的思想と行動をとる傾向もある。グローバリズムに伴う資本と人の移動は一方で国家独自のアイデンティティを喪失しないようナショナリズムをより強固にする側面を持っている。   また、日本と韓国は異なる民主主義の歴史がある。戦後日本はアメリカの7年にわたる間接統治により、上からの民主主義を導入した。一方韓国は国内の独裁政治に対して、下からの民主主義の要求があった。民主主義が共通な価値であると安易に考えず、その形成過程の相違から両国のナショナリズムの本質を把握しなければならない。民主主義国家は互いに戦争をしないというテーゼが注目されてはいるが、民主主義国家からも独裁者は誕生し、国民も熱狂するという事例もまた歴史が示している。   第二に地域共同体。内在的に不安要素を残す東アジアに、EUのような東アジア共同体を形成しようとする努力が行われており、これが国民国家のナショナリズムの障壁を取り除くかもしれない。しかし、ヨーロッパは比較的類似した生活様態や文化、言語、宗教を有し、独自のアイデンティティや規範を見出しやすい基盤があった。EUの双璧であるフランスとドイツは、過去何百年において何度も戦争をしては和解してきた。両国を含めたヨーロッパの平和体制は戦争によって崩壊したが、その都度新しい国家間条約や平和条約によって平和体制を作り上げ、国境線を確定する作業も繰り返されてきた。EUの起源はそのような歴史と共に第二次世界大戦後にもドイツによって多大な損害を被ったにも関わらず、フランスがドイツに手を差し伸べて始まった。当時の東アジアの状況を考えるとフランスになりえる国はなかったであろう。   アメリカと共にG2の一角を担う中国の存在が東アジアはもちろん世界にもたらす影響は計り知れない。中国と地政学的に隣接している日本と韓国はより慎重な外交をする力が問われる。それは8千万人もの共産党員を有している現実の中国を直視しながら、その中国をも含めた共通する価値規範の模索が先決であろう。すでに日本と韓国、中国は共に高度な経済的依存の中にある。しかしこの関係がこのまま持続すればいいが、政治的確執によるナショナリズムはこの経済的依存さえも呑み込み、経済力という武器によって、その領域でも軋轢が生じる危険性をはらんでいる。 第三に帝国主義と植民地、そして国際法。戦争と平和の反復は過去の歴史に対する記憶と経験として学習され、今のヨーロッパを作り上げてきた。東アジアはこのような過程を経ずに19世紀に西洋の衝撃によって近代西欧国際法体制を受容、または編入された。文明国を自負していた西欧諸国は東アジアに国際法を適用した。当時の国際法には、いうまでもなく、帝国主義と植民地の問題に関連する法規範と意図が付随されていた。人類は戦争と平和とは何であるかを長い歴史の中で問い続けてきたが、帝国主義と植民地に対する認識の変化は比較的最近である。1910年代後半にアメリカ大統領であったウィルソンが主張した国際連盟(League of Nations)は植民地支配を受けている人々の民族自決を反映させず、国際連盟規約の前文にあるように、国際連盟に参加できた諸国家の平等を理念とした。その国際連盟の理念を一部継承しながら1940年代半ばに発足した国際連合(United Nations)は憲章で平和を掲げたが、国際連盟規約にあった委任統治の変容である信託統治を採用し、帝国主義と植民地に対する解決策や清算を提唱しなかった。国際連合の下では1960年に「植民地諸国、諸国民に対する独立付与に関する宣言」を採択することで、植民地支配を受けている人々の独立の要求を是認した。この時期はひとつの転換期ではあったが、60年代以降も植民地を海外領土として保持する国もある。   1905年の竹島/独島に関連した国際法や、アジア・太平洋戦争を終結させた1951年のサンフランシスコ平和条約もまた帝国主義時代の潮流からは自由ではなかった。ナショナリズムを呼び起こす日韓の領土問題は二国間の問題でありながらも同時に帝国主義と植民地、そして国際法とは何であったのかを想起させるものであり、その世界史的な脈絡での帝国主義の残骸が今現在のグローバル社会において、どこにどのような形態で拡散しているのか追究すべきであろう。   衝突するナショナリズムに対して、簡単に解決策を述べることはできない。外交力と市民力という二つの柱を中心に段階的な改善策が求められる。以前から提唱されてきたように、引き続き東アジア共同体の構築、政府間での対話、市民レベルでの交流、学術的交流など多様な外交政策と交流が同時進行されなければならないであろう。政治家であれ、学者であれ、またはそのような職業に属していない者であっても、ある国を背景にして生まれた一人の人間であるならば、社会的責任と同様にナショナリズムを有していても不思議ではない。問題はナショナリズム自体でなくナショナリズムの方向性である。両国の主張と立場を理解しながら発するメッセージや行為は、時に第三者的立場として追いやられ、両国のナショナリズムの批判対象となる。それにも関わらず閉鎖的なナショナリズムに巻き込まれずに開かれたナショナリズムを保つためには、他者を排除せずにその存在を認識し、自分の思考を整理する「主義」を養うしかない。   -------------------- <金崇培 (キム・スウンベ)  KIM Soongbae> 政治学専攻。関西学院大学法学部法律学科卒。韓国の延世大学政治学科にて修士号取得。博士課程修了。現在博士論文執筆中。2011年度に慶應義塾大学へ訪問研究員として滞在。研究分野は国際政治史。特に日韓関係史、帝国史、反共史について研究。 在日韓国人三世。 --------------------   *本稿は、2012年9月12日にSGRAかわらばん432号で配信したものを、著者の了解を得て再送します。     2014年2月19日配信    
  • 2014.02.12

    エッセイ398:小林聡明「尖閣海域を再び「生活の海」にするために-沖縄と向きあう」

    今、東アジアがきな臭い。その一つが、尖閣諸島をめぐる領有権問題であることには言を俟たない。2012年9月、野田政権は尖閣諸島を構成する魚釣島、南小島、北小島の国有化方針を固めた。これら3島は、1932年まで日本政府が所有し、その後、民間人に払い下げられた。「尖閣国有化」は、ふたたび民間から政府へと所有権を移転させるものであった。だが、中国は、現状変更を目的とする「領土化」とみなし、激しく反発した。以後、日中関係は急速に冷却化し、日中国交正常化以来、最悪の状態に陥っている。現在、日中双方は、尖閣の領有権をめぐって、激しい神経戦/宣伝戦を繰り広げると同時に、海上では、日中のにらみ合いが続いている。尖閣海域は、物理的な衝突可能性も孕んだ緊張の海となっている。   もともと尖閣の海は、海洋資源の豊かな平和な海であった。1960年代まで、尖閣海域では、沖縄・八重山の漁民や台湾・宜蘭県蘇澳の漁民たちによるマグロやカツオ漁などが行われ、両漁民の交流も盛んに行われていた。また、彼らは魚釣島などで、アホウドリの卵や羽毛を採取していた。尖閣海域は、緊張の海とはほど遠い沖縄・台湾漁民たちにとって生活の海となっていたのである。   1960年代末、ECAFE(アジア極東経済委員会)が尖閣周辺海域における石油埋蔵の可能性を明らかにするや、尖閣の海は、にわかに波立つことになる。70年12月、中国は、新華社通信を通じて、尖閣諸島に対する領有権を対外的に初めて主張した。これに続いて71年6月、台湾外交部も尖閣諸島の領有権を公式に主張した。それまで地元の人々だけが関心をむけていた「生活の海」は、一転して、国家がせめぎ合う「対立の海」へと変化した。重要なことは、ECAFEの報告が、尖閣諸島に対して、中国や台湾だけでなく、日本の関心も呼び起こしたことである。折しも沖縄の本土復帰が確実となり、尖閣諸島に対する日本本土の関心は益々高まっていった。そこには、沖縄と日本本土との経済一体化を基本的前提とする「沖縄開発計画」の推進が目標としてたたみ込まれていた。1950年から沖縄の研究者らを中心として、尖閣諸島の生物学・植物学的調査がたびたび実施されていた。沖縄の研究者らによる尖閣調査に、本土側が参加するようになったことは、尖閣諸島に対する本土の関心の高まりを如実に示していた。   ECAFE報告に加え、沖縄と日本本土との「合同」の尖閣調査が実施された1969年から70年にかけて、沖縄では、「尖閣列島の石油資源は沖縄のもの」「県民の資源を守ろう」という声が日増しに強まっていった。そこには領有権を主張する中国や台湾だけでなく、本土側に対する警戒感も含まれていた。「沖縄開発計画」の名の下に、尖閣海域の石油資源が、沖縄には利益をもたらさず、本土側の利益にされてしまうのではないかという不安と懸念が、沖縄で広がっていた。尖閣問題の登場は、日本・中国・台湾の間での緊張関係だけでなく、沖縄から日本本土への不信感も呼び起こした。   こうした不信感は、いまや完全に一掃されたと言えるだろうか。2013年4月に締結された日台漁業協定は、尖閣問題を打開する一つの方法であった。だが、それは事実上、沖縄漁民に大幅な譲歩を迫るものであった。にもかかわらず、沖縄の頭越しに東京と台北で交渉がまとめらたことに、沖縄市民の間では不満が渦巻いている。本土への不信感は、普天間移設や辺野古移転などの基地問題などにおいても、しばしば姿をあらわす。尖閣問題が浮上したときに見られた沖縄から本土への不信感は、形を変えながら、重奏低音のように、現在も継続しているように思われる。   こうした点を念頭に置くならば、「尖閣問題」を克服するためには、日中関係、日台関係だけでなく、本土と沖縄との関係も考えていかなければならない。尖閣の海は、いまはもう地元の人々が、近づくことすらできない世界でも有数の「危険な海」となってしまった。私は、本土の人間の一人として、尖閣を再び「生活の海」にするために、中国や台湾との対話をすすめるだけでなく、沖縄と向き合い、これまでの数百年にわたる本土と沖縄との関係を考えることが、何よりも重要であると思っている。   ----------------------------------------------------------   <小林聡明(こばやし・そうめい) Somei Kobayashi> 一橋大学社会学部卒業。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。博士(社会学)。ソウル大学や米シンクタンクなどで研究を行ったのち、現在、慶煕大学哲学科International Scholar. 専攻は、東アジア冷戦史/メディア史、朝鮮半島地域研究。単著に『在日朝鮮人のメディア空間』、主な共著に『原子力と冷戦』『日米同盟論』などがある。日本マス・コミュニケーション学会優秀論文賞(2010年)。 ----------------------------------------------------------     2014年2月12日配信
  • 2014.01.31

    エッセイ397: 沼田貞昭「特定秘密保護法制定の教訓」

    最近の北朝鮮、尖閣諸島をめぐる緊張の高まり、あるいはアルジェリア人質事件など、日本の安全保障環境が厳しさを増している中で、2012年に民主党政権下で秘密保全のための法制の在り方に関する有識者会議において検討されていた機密保全法制が、自民党安倍政権の下で昨年12月特定秘密保護法として成立に至った。   筆者は、わが国の安全に対する様々な脅威が存在する中での日米同盟の運用の実務にかかわっていた経験を通じて、国家公務員法の守秘義務や1954年の日米相互防衛援助協定に伴う特別防衛秘密、2010年の改正自衛隊法による防衛秘密などのわが国の機密保護法制は、他の先進国に比べて十分に整備されておらず、同盟国であるアメリカを始めとする関係国が重要な機密情報(インテリジェンス)を日本に流すことを躊躇する原因となっていると感じて来た。この背景には、インテリジェンスについてのアレルギーと言うか、戦前の日本を連想して諜報、スパイと言った暗いイメージを伴うものとして忌み嫌う国民感情があり、インテリジェンスは国家安全保障のために存在するいわば「必要悪」であるとの意識がなかなか浸透してこなかったとの事情がある。   今回の法案について、「基本的人権である表現の自由を侵し、言論を封鎖し、日本を軍国主義国に持って行く危険性がある。治安維持法の悪夢を再現させないためにも、この法案は廃案とすべきである。」と言った非現実的な極論があった一方、「国ひいては国民の利益、安全を守るためには必要。特に敵性外国に国の秘密情報が漏れてしまうようでは、ひいては国民全体が不利益を被ることになる」と言った声もあった。世論の反応について、マスコミの調査とネットの調査の間には大きな乖離が見られた。たとえば、朝日新聞社が2013年11月30日~12月1日に実施した全国緊急世論調査(電話)では、法案に賛成が25%で、反対の50%が上回ったが、12月6日~12月16日にYahooが行った調査では、法案が成立して良かった45.7%、成立して良かったが手続きは良くなかった12.3%、そそもこの法案に反対38.5%と賛成が反対を上回っており、この背景にはマスコミ不信があると見られる。法案提出以来採択に至るまでの国内論議を振り返ってみると、取材の自由・国民の知る権利の侵害、不当な処罰・逮捕勾留のおそれと言った点についての一部マスコミの誇張された報道もあり、全体としてバランスの取れた議論が不足していた。   この問題は一般国民には馴染みが薄く、筆者自身、法案の条文、概要、自民党のQ&Aなどを読んでみて、しばらく目にしていなかった法律用語などが沢山並んでいて、素直に頭に入ってこない点がいくつかあった。以下、筆者なりに本件法案のポイントを整理してみると次のようなことかと思う。   1.本法によって保全される特定秘密の範囲は、わが国の安全保障(国の存立に関わる外部からの侵略などに対して国家および国民の安全を保障すること)にとって重要な情報に限定されている。たとえば、防衛に関するものでは、自衛隊が収集した画像情報、誘導弾の対処目標性能、外交に関しては北朝鮮による核・ミサイル・拉致問題に関するやり取り、公電に用いる暗号、スパイなどの特定有害活動に関しては、外国の情報機関から秘密の保全を前提に提供を受けた大量破壊兵器関連物質の不正取引に関する情報、情報収集活動の情報源、テロ防止に関しては、外国の情報機関から秘密の保全を前提に提供を受けた国際テロ組織関係者の動向、情報収集活動の情報源などが法律の別表に具体的に列挙されている。いずれも、これが漏洩された場合には、わが国の安全保障に著しい支障を与える秘密であることは明らかである。   2.そもそも秘密を漏らす恐れがないと「適正評価」によって認められた者(行政機関の職員および委託を受ける民間の職員)のみが特定秘密を取り扱う業務を行うことが認められる。「適正評価」と言うとやや耳慣れないが、秘密漏洩の程度を総合的に評価し、取り扱う適性を判断するセキュリティ・クリアランスを意味し、これは欧米諸国などでは既に導入されている。また、民間企業においても企業秘密を守る観点から同様の判断が必要とされよう。   3.さらに、処罰範囲は最小限に抑えられている。罰則の対象となるのは、上記の適正評価を経て特定秘密を取り扱う業務を行う者が知るに至った特定秘密を洩らした場合であり、最長10年までの懲役ないし罰金刑が課される。特定秘密を取り扱う立場にない者が特定秘密を取得する行為に対する処罰は、人を欺く、暴行、脅迫、施設への侵入、不正アクセスなどの犯罪行為や犯罪に至らないまでも社会通念上是認できない行為を取得の手段とするものに限られている。例えば、外国情報機関等に協力し、特定秘密を敢えて入手したような例外的な場合を除き、特定秘密を取り扱う公務員等以外の人が本法律により処罰対象となることはない。「オスプレイが飛んでいるのを撮って友達に送ったら懲役5年」と言った報道があったが、これは明らかに処罰の対象にはならない。   4.本法は、国民の知る権利や取材の自由との関係で種々の問題を提起しているが、政府当局の立場は次の2点に要約されよう。   (1)情報公開法により具体化されている国民の知る権利を害するものではない。(本法の特別秘密は、国の安全、外交等の分野の秘密情報の中で特に秘匿性が高いものであることから、そもそも情報公開法の下で開示されない情報と解される。)   (2)正当な取材活動は処罰対象とならない。 (取材の手段・方法が刑罰法令に触れる場合や社会観念上是認できない態様のものである場合には刑罰の対象となる反面、正当な取材活動は処罰対象とならないことは最高裁の判例上確立している。)       他方、政府当局とマスコミ、市民団体等との間で国民の知る権利や取材の自由との関係で緊張関係が存在することは事実であり、本法に基本的には賛成している一部のマスコミも、公務員が懲役10年と言う厳罰を恐れて報道機関の取材に対して萎縮するのではないかと言った懸念を表明している。   5.本法立法の経緯から、次の教訓を学ぶことが必要である。   (1)安全保障ないし機密保持のプロの世界では当然の常識になっていることであっても、一般国民の理解を得るためには、丁寧に意を尽くした説明が必要である。民主党政権下のねじれ国会における「決められない政治」から脱却して、「決める政治」を示そうとした安倍政権の本法国会審議に臨んだ姿勢は、性急さが目立ち、結果として本法の内容についてはいささか消化不良のまま審議が終わってしまったとの感は否めない。   (2)本法成立の後、安倍内閣への支持率が10%程下がったことは、政府の「奢り」ないし「強引さ」に対する国民の反発を示しており、今後の国会運営等について注意を促す黄信号とも考えられる。   (3)本法の運用を一たび誤れば、国民の重要な権利利益を侵害する恐れがあるので、政府としては十分に注意して運用して行く必要がある。特に、秘密指定が恣意的に拡大されるのではないかとの懸念に応えるべく、特定秘密指定等の運用基準について、有識者会議で十分論議を尽くし、特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価を国民の納得の行くように進めて行く努力が求められている。   -------------------------- <沼田 貞昭(ぬまた さだあき) NUMATA Sadaaki> 東京大学法学部卒業。オックスフォード大学修士(哲学・政治・経済)。 1966年外務省入省。1978-82年在米大使館。1984-85年北米局安全保障課長。1994−1998年、在英国日本大使館特命全権公使。1998−2000年外務報道官。2000−2002年パキスタン大使。2005−2007年カナダ大使。2007−2009年国際交流基金日米センター所長。鹿島建設株式会社顧問。日本英語交流連盟会長。 --------------------------     2014年1月29日配信
  • 2014.01.22

    エッセイ396:マックス・マキト「マニラ・レポート2013年冬:フィリピンで戦いを繰り広げる日本」

    3.11の直後、SGRAかわらばんにエッセイを書く機会があった。日本が今まで経験したことがない震災の中で必死に戦う日本の国民、そして、応援にやってきた地球市民たちの姿に、僕はとても感動したので、この危機は、今までに日本が世界へ提示した独自の理念を改めて見直す良い機会でもあると書いた。この「見直し」は、失われた数十年のように、日本の良いところまで批判的に扱う「抜本的改革」ではない。むしろ、あのとき僕の心に響いたのは、日本は守るべきところを見直して、それを更に活かしていくことができるということであった。日本が守るべきところとは、平和憲法、非核三原則、そして僕の研究対象でもある共有型成長である。これらを更に活かせば、震災に素早く、かつ効果的に対応できる自衛隊、原発ゼロを含む非核三原則、そして、海外にも展開する共有型成長という見直しができると思ったのである。   しかしながら、今、上記3つの見直しについて、日本国内では、まるで紛争勃発の様相である。そして、この戦いは海外にも展開しようとしていて、フィリピンにおいても、戦いが繰り広げてられている。   2013年11月7日にフィリピンを襲った世界最大と言われるスーパー台風30号は、甚大な被害を及ぼし、今も復興に向けて努力中である。多くの国の支援をいただいて感謝で一杯だ。日本からも、史上最大規模の自衛隊を被災地に派遣していただいた。この台風で一番被害を蒙ったレイテ島は、第二次世界大戦で日本軍に侵略された時に、マッカーサー将軍が、フィリピンに「私は必ず戻ってくる」と約束し、その約束を果たすために、大規模な連合国軍が上陸した島でもある。その島に、日本の国民を守る自衛隊が、フィリピン人を助けるために、こんなに大勢やってくることは、以前は誰も想像しなかったであろう。海外援助の透明さを確保するために、フィリピン政府がこの台風をきっかけに作成したウェブサイト(Foreign Aid Transparency Hub、2013年12月20日アクセス)によると、現在、この台風による被災地の支援に対して、日本は最大援助国の3カ国の内に入っている。イギリスが最大援助国で9600万米ドルを、日本は2番目で7400万米ドルを、米国が3番目で6200万米ドルを公約している。3.11からまだまだ復興中の日本からの寛大な援助は特に有り難い。東日本大震災の時のフィリピンからの支援に対する「お返し」ということもあるらしい。   フィリピンには、およそ30年前に国民の反対運動によって建設中止になった原子力発電所がある。中止になったのだから、その建物は劣化して殆ど売却されたか、或いは売却できなかったので設備は錆びついて敷地は草がボウボウだろうと、僕は想像していた。しかし、昨年10月にSGRAの福島スタディツアーに行った後に、フィリピンにおける原発をめぐる最近の議論を調べてみたら、驚いたことに、その原発は新築並みの状態に維持するために、フィリピン政府がメンテナンス予算を数十年にわたって組み続けていたことがわかった。理論的には、核燃料を投入するだけで、稼働可能のようである。福島スタディツアーの最後の日、ふくしま再生の会の皆さんに、「せっかくこのような体験をさせていただいたので、皆さんの力を借りて、フィリピンが永遠に原発ゼロの国になるように、微力ながらもSGRAフィリピンは頑張りたい」と申し上げた。その後、更に調べたところ、福島の高校生達が、一昨年、稼働中止中のフィリピンの原発を訪問したことがわかった。高校生達は、「こんなに綺麗な自然に恵まれたフィリピンで原発を稼働させるべきではない」というコメントを発表していた。日本の失われた数十年間の影響で、様々な問題を抱えている、そして、これから原発という「遺産」の担い手になる日本の若者が、このようにしっかりとした意見を述べたのは、あっぱれである。   僕の専門の共有型成長の面においても、日系企業の進出のおかげで、フィリピンにも共有型成長のDNAが伝えられている。SGRAかわらばんの読者の皆さんは既にご存知の方が多いと思うが、日本は高度成長期に、GDPは増加しながらも貧富の格差が縮まるという「東アジアの奇跡」を実現した。残念ながら、フィリピンはこの奇跡を経験できなかったが、僕の調査では、日系企業が進出しているフィリピンの経済特区やそこに立地する企業群、そして、それぞれの企業、というあらゆるレベルで、共有型成長が根付いていることが確認できた。   フィリピンにとって、共有型成長は夢のようなものである。東南アジア諸国と比べても、フィリピンの一人当たりのGDPは低く、貧困の格差は依然として大きな問題である。日本が実現可能と示したこの共有型成長についての私の研究は、SGRA設立時から継続して行い、たくさんの方から支持をいただいている。当初は、「グローバル化の中の日本の独自性」チームにおいてこの研究を進めさせていただいた。僕は、この共有型成長は(グローバル資本主義経済とは違う)日本の独自性に支えられていたと信じている。僕は日本から学んだことを伝えるべく、2004年から平均年2回、フィリピンでSGRAマニラセミナーを実施している。第17回日比共有型成長セミナーを2月11日(火)にフィリピン大学で開催するので、ご興味がある方はプログラムをご参照ください。   しかし、これで3つの戦いが終わったと考えたら大間違い。   温暖化により、気候変動がこれからも続き、益々大きな被害が想定外のところで起きる可能性がある。自衛隊のような、体系的な、しかも命がけの任務に対応できる組織がこれからも必要になる。ただ、東アジアでは政治外交の緊迫状況が高まり、自衛隊結成の基本理念である日本国憲法を改正する可能性までが浮上してきた。フィリピンもこの緊迫状況のど真ん中にいる。   福島で原発の問題が発生したあとでも、世界のいくつかの国々で原発建設が止まらない。フィリピンでも大物達が、再び原発を立ち上げようとしている。建設中止に至るまで、あれだけ膨大な借金や長引いた停電時代のコストを、フィリピン国民が払ったにもかかわらず、である。   そして、フィリピンにおける共有型成長は依然としてラマンチャの男の夢である。格差がなかなか改善できない。それに、いわゆる「中所得の罠」に陥っている。他の東南アジア諸国と比べて、日本の投資家にとってそれほど人気のない国である。国内においても、海外においても、成長が実現されても、それが全国民に共有されていない現状である。   この3つの戦いは結びついている。共有型成長が実現できていない国では、自然災害の被害が深刻で、そこからの立ち直りが遅い。国民の大半は構造が貧弱な住宅に住み、社会的インフラは乏しい。立ち直るための設備や貯金なども殆どない。共有型成長が実現できない国であるがゆえに、甘い誘惑でパッケージされた原発に弱い。いくら国民がNOと思っていても決断をする連中が便益をもらえば、原発が建設されたというケースがよく見られる。2月11日のセミナーでは、これらの課題を議論する。その上で、行動が起こればと思う。   英語版はこちら   -------------------------- <マックス・マキト  Max Maquito> SGRA日比共有型成長セミナー担当研究員。SGRAフィリピン代表、フィリピン大学機械工学部学士、Center for Research and Communication(CRC:現アジア太平洋大学)産業経済学修士、東京大学経済学研究科博士、アジア太平洋大学にあるCRCの研究顧問。テンプル大学ジャパン講師。 --------------------------     2014年1月22日配信