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エッセイ特別号:「『蒙古襲来』という言葉をめぐって:国史たちの対話のための対話(葉文昌⇄三谷博)」

SGRAエッセイ547(三谷博「東アジアにおける歴史対話の再開-北九州での『蒙古襲来』会議」)に関して、著者と読者の葉文昌さんとの興味深い「対話」がありましたのでご紹介します。

 

【葉→三谷】

 

エッセイを拝見しました。

大変クリアで科学的なアプローチで面白いと思いました。アナクロニズムも困ったものです。

また「国際会議に出て質問せえへんかったら、罰金やでー」も大変良いと思いました。

会議によっては現場からの質問がない、または受け付けないのもあり、澱んだ雰囲気になってしまうので。

 

一方で一つ気になった所があります。

タイトルが「蒙古襲来...」なのですが、「襲来」とは主観的な言葉であります。

宇宙人にでもなった第三者的な立場で歴史を表現するのが理想なので、「蒙古出兵」「蒙古進出」「蒙古侵略」(侵略は恨みの感情が入るので好ましくないが)にするべきではないでしょうか?

なにか先生なりのお考えがあるのでしたら教えてください。

よろしくお願いいたします。

 

【三谷→葉】

 

はい。「蒙古襲来」は、日本の日本史教科書や学界で慣用される言葉です。「襲来」とは、ある土地から見て外部から別の集団が襲ってくるという意味です。歴史用語は、どの位置から見ても、どの主体から見ても「等価」というものは少なく、多少なりとも、特定の観点を内在させています。

 

代替用語としてご指摘の言葉にも、それぞれの観点が内在しています。

「蒙古出兵」・「蒙古進出」は、「出兵」や「進出」する蒙古の側からの視点で用いられ、それを受け止める側への想像力が欠けがちです。かつて世界史教科書の近代の部分で、「日本の進出」という用語が使われて、隣国から非難されたことがありますが、それはこのためです。

「蒙古侵略」は、侵略する蒙古と侵略される日本の両方を意識させ、後者の観点からの「侵略」への非難も含意します。「日本の中国侵略」という場合も同様です。

 

というわけで、人間社会を記述するときは、単一の観点から全体を表現することは難しく、理想的には複数の観点を同時に使うしかありません。

 

この度の「蒙古襲来」は専ら日本人の関心を引くために使ったもののようです。

タイトルの中でこれに続いている「グローバル化」は、まさに地球の外から見下ろす用語なので、主動者と被動者という関係への関心は薄くなります。

 

いかかでしょうか?

 

【葉→三谷】

 

ご回答大変ありがとうございました。

私の言葉に対する誤解かも知れませんが、私は「出兵」は「軍隊を出す」なので、事象の記述と思っております。(一方で「進出」は兵隊を送ったことをオブラートに包みすぎと思っています)

仮に「出兵」自体が片側の視点であるとしても、これをやめて、他の事象を表現する形容詞を使ったらいいのではと思っております。

歴史に、「特定の観点を内在させているもの」が許されるのであれば、歴史は二面性を持っているということになります。これは非科学的と思います。また、他国に対する主観的な表現も許されることになります。これはご指摘されたアナクロニズム(時代錯誤)とはそう変わらないです。

かたや自分の位置で物事を表す、かたや自分の時間で過去を表わす、だけの違いですので。

また「特定の観点を内在させている」こと自体が、アジアでの共通な歴史認識を不可能にしていると思います。

歴史教科書では、欧米の歴史や、本国の王道と外れた歴史に関しては、第三者的な表現となっています。

本国の歴史も、特定の観点を排除した、事象の表現に徹した、誰がどこで読んでも一様な、歴史教科書が良いのではないかと思っております。

 

以上、私の歴史記述に持つ理想でした。

 

【三谷→葉】

 

話が込み入ってきたので、一からやり直します。

社会を表現する言葉は、そのコンテキストが分かるように表現するのが「科学的」なのです。

自然科学では、一つのモノ、一つの現象に、一つの用語を対応させる慣行がありますが、それは何のためでしょう。それは、個々のモノ、個々の現象が、均質なものの一部で、かつ互いに干渉しないと仮定し、その間の関係を方程式で厳密に記述するためです。

 

翻って、社会の単位はそれぞれに異質で、かつ他との関係でのみ成り立っています。ここでは単純な方程式は成り立ちません。

人は自然科学的にはヒトの一部ですが、人Aと人Bを均質なもので互いに置き換え可能と考えることはできません。同じ条件下でも彼らは別の行動を取ることがしばしばです。

かつ、彼らは孤立した原子ではありません。生まれたときから家族に育てられ、生計も別の個人との関係なくしては成り立ちません。社会関係の中にあって初めて、生き続けられるのです。

 

鉄の粒が磁性を帯びて、互いに引きつけ合ったり、反発し合ったりすることがありますが、その振る舞いを理解するために個々の粒を調べる必要はありません。社会は違います。

社会を構成する個人は、そのため複数の名を与えられ、それぞれの名は特定の文脈のなかで使われます。

例えば、私の呼び名はいくつもあって、公的書類には「三谷 博」と記されますが、両親からは「ひろし」、幼友達には「ひろっちゃん」と呼ばれて育ち、学校の先生と同級生には「三谷君」、下の学年からは「三谷さん」と呼ばれ、社会に出てからはもっぱら「三谷さん」と呼ばれてきました。アメリカ人と友達になると「ヒロシ」と呼ばれるようになりましたが、今でもこれにはなじめません。日本の社会関係にあるべき、上下の関係と親しさの距離による使い分けの慣行からはみ出す用語法だからです。

つまり名前は社会関係を表現するためにあるのであって、これを「三谷博」の一つに固定されたら、どれほど居心地が悪いことでしょう。

 

これは日本に限られた現象ではないはずです。しかし、人類の近代には政府が税負担者を特定し、学校と試験の制度を管理するために、どの国でも名の一義性を強制してきました。このため、歴史教育の世界でも、一つの事象に正しい名は一つしかないという、現実に反する思い込みが広がっています。

日本の江戸時代には、人は複数の名を活用して生きていました。政府との関係では公式の名を名乗らされましたが、それ以外は管理の対象外で、世襲身分でがんじがらめの社会にあっても、お茶席に入り、茶名を名乗れば、互いの上下関係は消滅しました。俳句の俳名もそうです。学問の場合でも、学者たちは号を使い、身分差を越えた対話を楽しみました。つまり、名を使い分けることによって、当時の人々は場面ごとに異なる社会関係を生きていたのです。

 

国と国との関係も同じことで、名は当事者の関係を表現するために用いられます。社会関係を正確に、科学的に表現するには、当事者すべてを包み込みながら、それぞれの立場を表現できる言葉が必要で、ときには複数の言葉を併用せざるを得なくなるのです。

 

グローバル化のような、宇宙から見下ろしたような表現が可能になったのはスプートニク以後のことで、これを使った場合でも、地上にいる人間同士の関係を十分に表現できるわけではありません。無論、個々の町村、個々の府県、個々の国を超えた視野を人類が持てるようになったのは、人類始まって以来の画期的なことではありますが。

 

【葉→三谷】

 

詳しいご説明ありがとうございました。

人は均質ではなく、それぞれ複雑な考えを持つことから、

一つの事象に対して違った表現は可能であるとのことについて、先生のお考えはわかりました。

それだとアジアでそれぞれ独自の歴史記述が存在してまとまらないので、

シンプルで一様な表現にしましょうというのが私の考えでした。

お互い理解できない溝があるように感じています。

それはアジアの歴史の対話の難しさを物語っているようです。

 

私はグローバル化を今始まったことではなく、原始時代から絶えず続いていることと捉えています。

互いに独自文化を持っていた村落などの集合体が拡大によって他の集合体との接点を持ち(出兵もあり)、

より複雑な多様性を持ったまとまった集落を形成して行く過程がグローバル化と考えております。

直近の日本では、廃藩置県により地域の隔てがなくなり、かつテクノロジーによって文化などの伝達速度が速まった明治維新の頃と思います。

このため、私は今起こっているグローバル化を画期的とはとらえておりません。

国内の歴史でも、王道から外れた部分の歴史記述は、宇宙から地球を見下ろす表現となっております。

そのような記述を今のアジアに求めているのです。

 

昔攻めあっていたヨーロッパ各国の歴史は、今やEUという統一ユニットを形成しているので、

それぞれの国の歴史記述は、アジアにとって多いに参考できるのではないかと思います。

英仏の百年戦争はそれぞれどういう記述がなされているか、興味を持つ所です。

あるいは英国はEUと陸続きではないので、英国よりもEU大陸内が良いかも知れません。

今西さんの持つネットワークで、お願いしたいものです。

 

【三谷→葉】

 

返信が遅くなり、失礼いたしました。私も基本的には先生と同じ事実認識と理想を持っています。日本史をグローバルな視点から見直すことが私のライフワークです。

 

各国内部の視点を越える俯瞰視点が一つ見つかれば、それはありがたいことです。

しかし、私の知る限り、EUでのポーランドードイツ、フランス-ドイツが作製した共通教科書は、内容が表面的なものに留まったため、結局、使われなくなったようです。まして、東アジアでは、国の規模やそれぞれの直近の経験が大きく異なるため、一つの視点で書くのは無理があると思います。稀な例として、日中韓三国共通教材『新しい東アジアの近現代史』上・下、日本評論社、2012年がありますが、三国を同じ枠で書こうとしたために、一部にはかなりの無理が生じています。

 

というわけで、私は、いま可能なことは、各国それぞれに、同じ歴史事象を、国の内部からと第三者に分かるような視点(審級と哲学者は呼んでいます)と、二層を意識しつつ書くことくらいでないかと考えています。東アジアの外部の人が聴いても理解できるような言葉で語ると、自らが生まれながらに抱いている偏見に気づき、反省ができるようになり、歴史を距離を取って眺め、隣国の人とも冷静に語れるような態度が生まれるのではないかと期待しています。

 

【葉→三谷】

 

私の歴史に関する素人質問に時間をかけて真摯に向き合っていただき大変ありがとうございました。私も今週になって、ヨーロッパの歴史記述について調べた所、独仏共通歴史書があることがわかりました。両国はEUになってもなお、共通歴史書の作成には結局は失敗に終わったようで、難しさを感じます。

 

 

 

2017年10月ア19日配信