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エッセイ345:金キョンテ「朝鮮のトラ(虎)は誰が殺したのか」

朝鮮半島には野生のトラが住んでいるんだろうか。最近中国の放送で白頭山(中国名は長白山)のトラがカメラに映ったこともあったが、朝鮮半島にトラがいる確率は極めて低いと思われる。しかし、元々朝鮮半島にはトラが多かった。漢城(ソウル)の宮城内は勿論、海に面した南方の釜山(プサン)にもトラは出没した。韓国の全地域にはトラと関連した昔話が多く残っている。いったい朝鮮半島のトラはいつ、どうしていなくなったのであろうか。

 

時は1953年、韓国の初代大統領、李承晩(イ・スンマン)が非公式に日本を訪問した。対談の席で当時の日本の総理大臣、吉田茂がいきなり「韓国にはトラが多いんじゃありませんか」と聞いたらしい。そうすると李承晩は「壬辰倭乱(文禄慶長の役)の時、加藤清正がすべて捕って行ったので今はいない」と返答したという。この話の真意は疑わしいが、少なくとも、多くの韓国人がこのような(加藤清正とトラに関する)話を知っていて、事実だと思っていたから、一つの都市伝説のように広がったのではないかと思われる。だとしたら、果たして加藤清正が朝鮮トラを全部殺した犯人であろうか。

 

壬辰戦争(文禄慶長の役)の最中の1594年12月、豊臣秀吉の奉行、浅野長吉(長政)と木下吉隆が朝鮮に在陣中だった日本軍の武将(大名)たちに虎狩りを命じる書状を送った。秀吉の養生のためにトラを捕らえて「頭、肉、腸」何れも塩漬けにして送れ、ということだった。しかし、トラの皮には興味がなかったらしく、トラを捕らえた者に与えよと言っている。秀吉のこのような命令は忠実に履行された。武将たちに与えられた感謝状がいつくか残っているが、その一つを見ると(鍋島直茂宛)、命が下された後、即時に狩りが行われ、「皮、頭、骨、肉、肝胆」を送ったことが分かる。直茂は皮まで送ったのだ。勿論、秀吉子飼いの武将、加藤清正も秀吉の命令を忠実に履行しようとしただろう。後に秀吉は虎狩りを止めるように指示することになるが、その理由は秀吉の朱印状に書かれているように、「人など損候へハ如何候」からか、または養生に効果がなかったためか分からない。とにかく、この戦争の中で日本軍による虎狩りが行われたことは、当時の文書と共に、現在日本に残っているトラの剥製や骨などによっても分かる。

 

しかし、この時の虎狩りによってトラが絶滅したのではない。トラは相変わらず朝鮮半島のあちこちで出没した。朝鮮の砲手(鉄砲撃ち)は19世紀まで旧式の火縄銃で虎狩りをし、彼らの優れた腕は中国とロシアまで知られていた。

 

朝鮮時代―江戸時代、朝鮮の釜山には倭館という所があった。ここは日本と朝鮮の貿易と外交実務の為に設置された特殊な地域だった。ここには日本人(主に対馬人、男性)500名程度が常住していた。ここにもトラがたびたび出没した。1771年3月23日には2頭も現れた。

 

最初のトラが現れると、下級武士であった小平太を始めとする人々が飛び掛って、槍を突き刺して射殺した。しかし、しばらくしてまた一頭現れた。小次郎という者が鉄砲を撃って肩に当てるとトラは藪の中へ逃げた。逃げるのを見て、腰のほうにまた一発当てる。トラはたまたま開市(定期市場、朝鮮人と日本人の私貿易が行われた)に逃げた。一騒ぎの後、トラは山のほうへ逃げる。小次郎はこれを追いかける。ちょうど木の上にいた人がトラを発見して位置を知らせる。小次郎も木に登ってトラを撃とうとしたが、トラが飛びついて足を噛まれた。悲鳴を聞いた又吉が来て刀でトラの頭を刺したが、トラはなかなか小次郎を放さない。あちこちを刺された虎は、ようやく小次郎を解放したが、今度は又吉が噛まれる危機。飛んできた駕籠かきの甚介が持っていた山刀で頭を打ち、トラが倒されると、人々が飛び掛って息の根を止めた。この活劇の素晴らしさは当時、開市のため倭館に来ていた朝鮮人たちによって全国に伝えられた。

 

この事件は公式に東萊府使(倭館地域及び、現在の釜山地域を治めた地方官)に知らされ、翌日、褒賞の意味で白米2俵が与えられ、負傷した小次郎には「妙薬」といって鶏が4羽与えられた。日本からの褒美も5月に下されたが、活躍の目立つ5人は侍身分に上がり、名字を与えられ、名前に「虎」の字を使うことを認められた。殺されたトラの1頭は対馬に送られ、残りの1頭は焼いて食べたという。このときトラの肉を食べた小田幾五郎という通訳はその味を「老牛のように油気がない」と言ったが、食べた人たちは「何か力が湧き上がるような感じがする」と言ったとも伝えられている。

 

以後、近代化が朝鮮にも始まり、処々が開発されたが、20世紀になってもトラは依然として生存していた。しかし、近代化の視点から見ると、トラは大事な労働力の源泉である人命を脅かし、開発の邪魔になる妨害物に過ぎなかった。朝鮮を植民地化し、本格的な植民地開発に乗り出した日本帝国は虎狩りを進めた。「百獣の王」のトラも近代化された武器と組織による狩りには敵わなかった。トラはどんどん減り、韓国地域では1922年慶州で捕らえたトラを最後に捕獲された例がない(今の北朝鮮地域では1946年に捕らえたのが最後)。朝鮮半島の野生トラはこうして絶滅した。トラは今、動物園の中でしか生きていない。

 

トラと人間は同じ場所で住めない。人間の生活空間が広がり人間がトラの領域に侵入することにより、トラと人間は衝突した。トラはトラの為に人間を殺し、人間は人間の為にトラを殺した。そして、人間は残り、トラはいなくなった。

 

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<キム キョンテ ☆ Kim Kyongtae>
韓国浦項市生まれ。歴史学専功。韓国高麗大学校韓国史学科博士課程。2010年から東京大学大学院人文社会研究科日本中世史専攻に外国人研究生として一年間留学。研究分野は中近世の日韓関係史。現在はその中でも壬辰戦争(壬辰・丁酉倭乱、文禄・慶長の役)中、朝鮮・明・日本の間で行われた講和交渉について研究中。
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2012年8月8日配信