SGRAチャイナフォーラム

第9回SGRAチャイナフォーラム「日中二百年――文化史からの再検討」報告

【1】フフホト会議

 

2015年11月20日、中国内モンゴル自治区フフホト市の内モンゴル大学で、渥美国際交流財団関口グローバル研究会主催の第9回SGRAフォーラムinフフホト「日中二百年――文化史からの再検討」が開催された。フフホトでのSGRAチャイナフォーラムは、2010年、2011年に続く3回目である。前2回のフォーラムは内モンゴル大学モンゴル学研究センターを中心に開催され、渥美財団の事業及びチャイナフォーラムを内モンゴルの若者たちに広く知らせる場を提供し、とても良いスタートを切ることができた。今回は国際交流基金北京日本文化センターの協賛を得、内モンゴル大学モンゴル歴史学部、清華大学東亜文化論壇、北京大学日本言語文化学部との共催であった。本大会は劉建輝教授(国際日本文化研究センター)を迎え、「日中二百年――文化史からの再検討」をテーマに進められた。

 

開会式は午後3時からはじまり、ボヤンデルゲル教授(内モンゴル大学)の司会で行われた。まず主催者側からソドビリグ教授(内モンゴル大学)の歓迎の挨拶があった。次いで本大会開催にあたって渥美財団の今西淳子常務理事からの渥美財団及びSGRA、チャイナフォーラムの現在にいたるまでの歴史の紹介、王中忱教授(清華大学)、周太平教授(内モンゴル大学)、孫健軍副教授(北京大学)から祝辞が述べられた。その後、劉建輝教授による講演がはじまった。

 

劉教授の講演は内容構成として1.前近代と近代における東アジア文化圏の異同、2.支え合う日中の近代文化、3.過去、現在から未来へ――「東アジア文化圏」再構築の可能性と課題、4.東アジア近代と張家口、とに分けて、当時の貴重な資料を交えながら、詳細なデータと豊富な写真をパワーポイントで紹介した。日本と中国の近代史は、東アジア地域に多大なものを残している。不幸と悲劇だけではない、お互いの交流によって誕生した出来事と文化事象をもう一度見直してみる。そこにはまさに支え合う関係があるという日中関係の新しい歴史視点を詳細にかつ具体的に述べ、内モンゴル大学のモンゴル人研究者たちと率直に議論を深めることができたことは大変有意義であった。

 

特に、張家口は伝統的に、モンゴルやロシアとの交易を行う中国の要衝で、また蒙漢両民族を分かつ「国境」の関口でもあった。本来、日本は直接的にはほとんど関係のなかった「周縁」地域だが、大正、昭和に入ってから、日中の軍事、経済的勢力の消長により、一時「蒙疆」と呼ばれていたように、「満洲」や上海などと並んで、日本ないし日本人がもっとも深く関わる場所の一つとなった。劉教授は「日本関連在外資料の調査研究」プロジェクトの一環として、張家口に関する現地調査や資料収集を行っておられ、その詳細な研究の方向性は高い評価を受けており、今後一層の研究交流が図られることが期待されている。

 

講演の後、質疑応答と活発な討論が行われ、講師からの回答及び補足説明などもあった。その後、閉会の辞があり5時に会議は無事に終了した。参加者は内モンゴル大学歴史学部、内モンゴル大学モンゴル学研究センターの研究者の他、内モンゴル大学の学部生、院生、日本からの留学生、他大学からの出席等百余名を数えた。

 

当日の写真

 

北京フォーラムと合わせたアンケートの集計

 

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<娜荷芽(ナヒヤ)Nahiya>

2012年東京大学総合文化研究科博士号取得。内モンゴル大学学士、東京外国語大学修士。2011年年度渥美奨学生。武蔵大学非常勤講師、和光大学非常勤講師を経て、2012年に内モンゴル大学モンゴル歴史学部に講師を務めた。SGRA研究員。

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【2】北京会議

 

11月22日に北京大学外国語学院の新しい建物の5階会議室で開催したフォーラムは、日曜日の上に大雪という悪条件にもかかわらず、50人以上の方々にお集まりいただき、熱のこもった議論が展開された。

 

午後3時に開会が宣言され、最初に、特別ゲストの北京大学元培学院の孫華院長より、優れた人材育成において国際的かつ学際的な視点をもたせる教育が必要という、SGRAにぴったりなお話をいただいた。次に、国際交流基金北京日本文化センターの吉川竹二所長より、鏡を例に文化交流の大切さについて示唆に富むお話をいただいた。

 

続いて、劉建輝先生が、パワーポイントを見せながら、「日中二百年――文化史からの再検討」というタイトルで、「東アジアの歴史を語る時、ほとんどの識者が古代の交流史と対比して、近代の抗争史を強調し、両者の間に一つの断絶を見出そうとしてきた。しかし、もしこの間の三国間の文化的交流、往来の足跡を精査すれば、そこには近代以前とは比べられないほど多彩多様な事実、事象が存在していることに気付く。そしてその多くはいずれも西洋という強烈な『他者』を相手に、いかに互いの成果、経験、また教訓を利用しながら、その文化、文明的諸要素の吸収、受容に励む努力の跡にほかならない。その意味で、東アジア、とりわけ日中韓三国はまぎれもなく古来の文化圏と違う形で西洋受容を中心とする一つの近代文化圏を形成していたのである」という主張を熱く語った。

 

先生のご研究では、「支え合う」というキーワードの下で、キリスト教研究、植民地研究、都市史、文学、経済など、従来個々の分野で展開されがちのものが統合され、超域的研究のアプローチが試みられている。日中関係は二国間で見るのではなく、200年という長さで見れば、西洋化の流れにどう対処するか、両国が補完し合ってきた実像が見えてくる。つまり、両国は近代化に当たり、隣国(日本にとっての中・韓、中国にとっての日本)との関係の中で自己のアイデンティティーを確立したのである。漢文の近代的発展、新漢語の造出、近代文学者の足跡、近代思想の発祥と伝播など、いずれも「支え合う」特徴が色濃く残り、確実に検証することができる。

 

ご講演の後半には、当時の近代国際都市である「張家口」が「支え合う」実例として登場し、鋭い洞察と該博な知識に満ちた見解が出され、会場全員の関心が一層高められた。

 

短い休憩の後、本フォーラムを共催する清華東亜文化論壇の主宰者の1人、清華大学中国文学科の王中忱教授の司会によって、北京大学日本言語文化学部の王京副教授、清華大学歴史学科の劉暁峰教授、同じく清華大学日本言語文学研究科の王成教授からコメントがあった。

 

大雪警報にも関わらず、劉建輝先生の情熱的なご講演のおかげで、参加してくださった方々から「先生方に様々な角度から中日の200年を探っていただいたおかげで、歴史をより深く理解することができました。」「最も重要なのは、問題を発見する方法をいくつか学べたことでした。」「もっと勉強・研究・探究したくなったほど、久しぶりに好奇という気持ちを抱きました」などの暖かい反響をいただいた。

 

12月の北京は晴れた日が少なく、ひどいスモッグの日が続いた。スモッグ対策はまったくできておらず、基本的に風任せだと揶揄されている。そんな日には、張家口の話がいつも脳裏をよぎる。北京は北西を除けば盆地状となっている。冬には北西の風が吹けば晴れる。さもなければ、汚い空気が溜まってしまう。張家口はその風の通り道に位置するため、昔から重工業が規制されてきたようである。張家口は北京の空気をよくするために重要な役割を果たしている。70年前の張家口の都市文化も今の北京の空気改善に役立つのでは、とつくづく思う。

 

当日の写真

 

 

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<孫建軍 Sun Jianjun>

1969年生まれ。1990年北京国際関係学院卒業、1993年北京日本学研究センター修士課程修了、2003年国際基督教大学にてPh.D.取得。北京語言大学講師、国際日本文化研究センター講師を経て、北京大学外国語学院日本言語文化系副教授。現在早稲田大学社会科学学術院客員准教授、早稲田大学孔子学院中国側院長を兼任中。専門は日本語学、近代日中語彙交流史。

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2016年1月14日配信