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エッセイ669:劉怡臻「『わたしの青春、台湾』から見る対話の困難さ」

 

2020年は新型コロナウイルスの感染が広がり、非常に大きな変化があった一年だった。縁あって映画『私たちの青春、台湾』の字幕翻訳、映画監督傅(フー)・ユーの自述的著書『わたしの青春、台湾』の翻訳チームに参加する機会を得た。外出を控えなければならない不自由な生活の中、翻訳の確認作業のため、何度も映画を見直し書籍を繰り返して読んだ。母国語で書かれている内容でも、日本人の先生方に解説するために、歴史背景と用語についていろいろ調べた。傅監督と編集者が自分とほぼ同じくらいの年で、言及されている台湾近年の社会情勢とその変化について、実は私も体験してきた一人なんだと思いつつ、出身や置かれている環境の違いによって見方も変わることをあらためて実感した。

 

映画『私たちの青春、台湾』は傅監督の「ひまわり運動」(2014年)を回想するモノローグから始まるドキュメンタリーで、運動の中心人物陳為廷(チェン・ウェイティン)と中国出身で台湾留学中の蔡博藝(ツァイ・ボーイー)をめぐって、運動に参加した喜怒哀楽と葛藤が描かれている。最後に監督自身も被写体になり、陳と蔡の前で告白して、自分の矛盾や無力をさらけ出した。

 

日本で上映される際、ポスターやタイトルだけ見ると、台湾の社会運動の成功が描かれているものと思われるかもしれない。ところが、この作品はそのような期待を完璧に裏切るものである。運動を起こしたヒロインは偶像として作り上げられ、結局失意に沈んでいくことになってしまうありのままの様子が映し出されている。そして、監督も自分が最初にこの運動の主人公である二人にかけた期待が裏切られ、そういう状況に直面している「揺れ」を強く感じて、戸惑っている。その戸惑いまでもドキュメンタリーに呈している。

 

社会運動とは、英雄のような誰かに一方的に期待をかけることではなく、自分を投げ出し、行動しながら物事を理解していくことだということがドキュメンタリーを通してわかる。運動はただ起こせば良いものではない。その後にも続いていく反省と行動こそが本当の変化をもたらす。しかし、変化は簡単に起こるものではない。

 

今回お手伝いをさせていただいた機会に、映画だけではなく、監督の著書を読んでいろいろ考えさせられた。「もしわたしたちが前に向かって進みたいなら、まず自分が傷ついたことを意識することから始める必要がある。台湾では、わたしたちが経験してきた歴史と現在の政治状況によって、おそらく多くの人が、成長の過程の中でみな傷ついたり、排除されたり、自分で限界を線引きしてしまったり、コミュニケーションをとろうとしたときに生まれつきの立場の壁にぶつかったり、話したことが曲解されてしまうと感じたり、最も身近な人とさえ理解し合えなかったりしただろう」という監督のことばに何度も心を打たれた。

 

台湾は日本統治期、祖国光復、そして国民党一党支配の権威主義体制時代を経て、世界最長となる38年間の戒厳令を体験した。その中で、政府が反共産主義という理由で、時局を批判した人間を逮捕、処刑する白色テロが横行した。同時に、70年代からは外交的な孤立を体験してきた。台湾の民主化運動は最初、そのような反体制の社会運動から基盤を築いてきた。1986年になって初めて野党の結成が認められ、実質的な選挙が行われ、民主化への一歩を踏み出した。

 

それに伴い、労働運動や環境保護運動、女性運動などが高まっていった。ところが、選挙が行われるたびに、青陣営(国民党)と緑陣営(民進党)は支持を得るために台湾のイデオロギーをめぐる論議を繰り広げることになる。いわゆる台湾アイデンテイテイというものがしばしば取り上げられ、強調され、日常生活の家族や友人の間でも喧嘩のタネになっている。そのため、異なる出身の台湾人が感情的に傷ついたり、傷つけられたりすることを繰り返す。そのゆえ、対話の混乱と困難はますます増している。

 

イデオロギーをめぐって話しあう際に、先にラベルを貼り付けてしまうこと、あるいは先に貼り付けられることはよくある。しかし、これもまた台湾国内の話だけにとどまらず、外国で生活する際にもよく体験したことでもある。自分はなぜそう思うのか、なぜそういう風に思ってきたのか、その思いが生じる背景とは何か、いかなるファクターが作用しているのか、一歩進んで追求してみたら、絡まった情緒や見方の糸が解かれるチャンスになるのではないか。

 

翻訳作業の過程で、デジタル担当大臣オードリー・タンさんから推薦文をいただいた。翻訳チームを悩ませたものに「公共事務」という言葉があった。英語にすれば「Public affairs」にあたるが日本語には当てる概念が見つからない。民間の人や団体が政治に参加して行政に関与して活動するという意味だが、当てはまる概念が見つからないことはチーム内の日本人の先生に衝撃を与えた。それをめぐって、みんなで何度も意味の確認と訳語探しに腐心した。私たちはそれによって日本と台湾の社会システム構造上の違いを初めて認識するようになった。

 

人間同士、お互いの共通項を求める前に、まずお互いの違いに気づき、認めて、理解して伝えることはなかなか難しいことだと体得した。字幕を翻訳すること、監督の著書を読むこと、翻訳チームに参加する中で、この体験が自分への一番のプレゼントである。

 

 

英語版はこちら

 

 

<劉怡臻(リュウ・イチェン)LIU Yichen>
2020年度渥美奨学生、台湾出身。明治大学大学院教養デザイン研究科文化領域専攻。研究テーマは「植民地台湾における石川啄木文学の受容」。国立台湾大学日本語文学研究科学士、修士。思潮社編集部のアルバイト、2020台湾文学祭詩人楊牧/洛夫ドキュメンタリー映画(邦訳)監修協力などを経験。共著には『世界は啄木短歌をどう受容したか』(桜出版、2018)、『日本歴史名人:Nippon所蔵日語厳選講座』(台北EZ叢書館、2020)など。現在、東京語文学院に勤務、慶応義塾大学湘南藤沢高校第二外国語講師を担当。

 

 

2021年5月13日配信