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エッセイ663:陳昭「2020年の不完全的羅列」

 

このエッセイは去年(2020年)3月に書くべきものであった。

延滞したのは不測の事態が次々と起こり、その対応に追われ、書く余裕がなかったからだと、自分にはそう言い聞かせていた。しかし本当は「振り返るのが辛くて逃げていたから何も書けなかったのかもしれない」という気持ちも心のどこかにある。

 

目の前に起こっている予想外の現実には「臨機応変でいなければならない」と理性では分かっているつもりだった。しかし、そこにある現実があまりに予想外なゆえに、たとえ対処するために行動したとしても、リアリティとして受けとめるところまでは心が付いていけなかった。「嘘だろう」と思いつつも、拒絶不可能な実態に振り回されてばっかりだった。

 

こうした、現状への対応と現実の消化との間に乖離が生じてしまう1年であった。いまだに収束が見えない新コロナウイルス感染症の拡大において、こういう気持ちになるのは、決して私一人ではないだろう。

 

この1年の出来事を鳥瞰的通時的に記録できるなら、どんなに壮大なフィルムになるだろう。また、異なる国の政治体制と予防対策の関係、人種や社会慣習が持つ影響力など、このフィルムを見るフィルターも様々。しかし、コロナ禍の真ん中に生きる一人として、なにか書こうとすれば、やはり身を以て経験していた虫観的な世界になる。

 

2020年2月、中国は全面封鎖。予定していた中国への一時帰国の中止を余儀なくされた。3月には住んでいた寮の入居期間が切れ、残りの留学ビザは5月まで。もともとは帰国してしばらく中国で就活でもするつもりだったので、日本ではすぐに新しい住まいを構えなくてもいいと思っていた。そこから慌てて部屋探しを始めた。学校の近く、外国人可の物件に絞って探していたが、2ヶ月しかないビザが問題となった。更新予定と説明しても難色を示す大家さんが多い。

 

その中、今になっても思い出すと引っかかることがある。築40年も超えた物件だが、間取りはよくて広めだったのでさっそく申し込もうとした。申請して2日目になってから、仲介さんからの電話があって、大家さんは外国人がやはりだめだと断られてしまった。いろいろと聞いているうちに、大家さんはご高齢で、どうもコロナで中国人に貸すのは不安があるらしい。渡航歴がないとはいえ、付き合いも中国人が多いだろうから不安だそうだ。仕方がないと諦めたその夜、寮に帰ったら、事務室の方から武漢差別やコロナ差別について寮生を対象に調査依頼が都から来たと話を聞いた。幸い日本ではヨーロッパほど差別が深刻にならなかった。また、面白いことに「東大生はだめ」と電話で断わられた物件もあった。お爺さんぽい声だった。どうも駒場近辺の高齢の大家さんたちは「コロナ」と「東大生」が苦手だそうだ。

 

2020月3月、駆け足で引っ越しを終えた。疲労の重なりと季節の変わり目で体調を崩してしまった。風邪症状に半端ない倦怠感が伴った。手先が腫れているような、感覚が鈍くなる感じ。下痢と咳は症状発覚から3日目で出て、軽い症状が続いたが一週間以内には消えていた。38度超える熱は一晩だけで、ほとんど37.0度~37.3度の間であった。当時PCR検査は37.5度以上の熱で3日続くのが条件であったため、検査を受けることができず、自宅で外出を自粛していた。当初日本ではコロナ感染に対してまだ意識が低かったが、渥美財団の方々と相談の上、奨学金を受けた年度末に行われる研究報告会は資料提出のみとなった。発症から10日目ぐらいでほとんどの症状は消えた。倦怠感が繰り返し出てはいたけど、2週間目になるとそれも治った。

 

2020月4月、自分の体調はよくなったが、日本の感染状況は悪化する一方だ。さらに、浴室で転んでしまった。後頭部を床にぶつけないようにバランスを取ろうとして足を極度に伸ばした際、膝の軟骨を傷つけてしまった。受診したところまず静養だと言われたが、1ヶ月経っても回復せず、足を伸ばすこともできなくなった。外出どころか、トイレへ行くのにも苦労する日々だ。今まで味わったことのない無力感。家族がそばにいない孤独感。「どこにも行けない、ここに閉じ込められているのだ」と、トイレの回数を減らすために水すら飲むのを控えてしまうたびにそう思う。支えになってくれたのは近所に住む研究室の仲間や友人だ。食材の調達やごみ出し、体調不良の時は中国の家族から送ってきた漢方の薬を玄関の前に届けてくれるなど、お世話になってばかりだった。

 

予定していた就活が頓挫し、「悪年」とでも言いたくなる不運が続き、収入がないのにアルバイト再開の目途も立たないままの日々。引っ越しの出費、オ-バードクターの学費免除が困難、予想外の治療費など、諸々の事情で経済的に非常に困難な状況に陥っていた。その中、渥美財団から届いた新型コロナ緊急支援金の連絡は本当に「雪中送炭(雪中に炭を送る)」だった。生活基盤を整えるのに大変ありがたい支援金だった。そして、大変な時期に温かいメールや電話で見守ってくださった事務局の方々、本当にありがとうございます!

 

2020年5月、別の病院で膝を再び検査した。静養中は足をぜんぜん伸ばしていないので、筋肉が著しく弱ってしまっていた。MRI検査で膝軟骨の損傷は手術なしの治療方針が決められ、6月からはリハビリが開始。キーボードで「リハビリ」を打つだけで、当時の激痛の記憶が蘇り「痛い」と感じるほど、痛かった。痛くて出た涙は「滴」ではなく、滴が繋がる「線」でもない。「面」なのだ。中国語では「涙流満面(顔じゅう涙まみれ)」と「汗流満面(顔じゅう汗まみれ)」という言葉がそれぞれあるが、リハビリはその合体だ。涙か汗か分からない、顔中が万遍なく塩味のある液体で濡れているから。

 

夏になると、リハビリもだいぶ楽になり、ようやく研究にも少しずつ復帰できるようになった。2020年1月、フィリピンで開催された第5回アジア未来会議で発表した時に平山昇先生からいただいたコメントに触発され、投稿する論文のアイデアが生まれた。2020年の後半は延滞してきた仕事をこなしながら充実した日々を過ごせた。足も普段歩く分には問題ないまでに回復して、気分転換のためによく散歩をしている。電線や線路、それに坂と低い住宅地。すべてが日本の日常風景を象徴する要素だ。会えない日はもうすこし続くと思うが、せめて身近にあるささやかな美しさを楽しみたい。

 

最後に、もし去年の経験から何かを教わったかと聞かれれば、それは「泣くは恥だが役に立つ」ということ。今まではどこか強がって何ができるかに拘っていたのかもしれないと気づかされた1年であった。できない事やできない時は当然ある。その「リアリティ」を受けとめるのも大事だと思うようになった。それこそ「リアル」の人生だ。今まであたりまえのように分かっていたつもりだったこの道理は、あたりまえでない個々の経験があるからだと、少し分かるようになったかもしれない。

 

あっ、言い忘れたことがある。「泣くは恥だが役に立つ」は確かだが、そのときは、柔らかめのティッシュの方がいい。あと、ティッシュは甘いのは知っている?満面の涙を拭いた時にたまたま口に入ったことで知った。個人的な経験だと、保湿ローション入りのタイプが最も甘い。これを読んでティッシュを舐めたくなる方は、どうぞご遠慮なく。

 

<陳昭(ちん・しょう)CHEN Zhao>
渥美国際交流財団2019年度奨学生。東京大学大学院総合文化研究科文化人類学コース博士課程。2014年同コース修士卒業。都市環境デザイン、景観生成、テクノロジーと社会について研究中。

 

 

2021年3月18日配信