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エッセイ550:彭浩「東アジア『公共知』への接近」

 

8月上旬、渥美国際交流財団の主催で、「国史たちの対話の可能性」というシリーズの第2回として、「蒙古襲来と13世紀モンゴル帝国のグローバル化」をテーマとしたフォーラムが北九州市で開かれた。日・中・韓、モンゴル4ヶ国の歴史家が集まり、さまざまな側面から、モンゴル帝国史とりわけ東アジアへのインパクトについて広く議論した。私は、ひとりの歴史研究者でありながら、本プロジェクトの企画にも携わったので、所感も多くそして多岐にわたる。この感想文の執筆を機会に、簡単に整理したい。

 

まず、この会議は、単なる「蒙古襲来」というキーワードの国際研究集会ではなく、1つの話題、または1素材の検討を通じて、国民国家の歴史叙述と異なる視角から人類の歴史を描き、それを通じて国民国家史観の影響で硬直化されつつある歴史認識の間違いを訂正し、政治手段化した歴史認識の問題によって阻害されている国家間の関係、および国民間の関係を改善していく、という大きな問題意識を抱えていることを再び強調したい。

 

会議中何人かの参加者が言及した通り、実は、日中韓3者、またはその中の2者間の歴史をめぐる「対話」が近年さまざまな形で展開されている。なかには、よく知られている政府主導型のものもあれば、個別の歴史テーマ・研究手法、または史料の利用方法などをめぐる専門性の高いものもある。それぞれの方向性と目的は、必ずしも一致しているとは限らない。また、三谷博先生が指摘された通り、参加者の間で、仲良くなったかそれとも悪くなったかという点を考えると、民間レベルの「対話」の方が進みやすいと言わざるを得ない。

 

一方、民間レベルの研究集会は、個別のテーマの議論や専門的知識の深まりという点では成果が出やすい反面、人文研究者の「癖」、または「惰性」でもあるためか、興味のあるテーマの話に夢中になり、その話の社会的意義をあまりよく考えず、専門的な議論がどのように共通の歴史認識の促進に活かせるかという大事な点を、結果的に疎かにする傾向がある。また、資金面の問題もあり、研究補助金を得ながら共同研究を長く継続することが困難で、中途半端の形で終わってしまった「対話」も少なくない。

 

この問題点と関わってくるのが、劉傑先生が起草されたフォーラムの趣旨文の「知の共有空間」「知のプラットフォーム」というキーワードである。この「知」の意味は広くて、少なくとも「知恵」「知識」両者の意味を包摂している。専門的な研究を通じて信頼性の高い歴史「知識」を創出し、それを広く理解してもらうことで、国民国家の限界や歴史認識の問題を解決する「知恵」をめぐらすという真意がある。これについては、具体的な研究レベルの議論を進めていく際に、やはり忘れがちなので、ここで敢えて加筆した。

 

次に、会議中のいくつかの論点を踏まえて所感を述べる。1つは「モンゴル・インパクト」の評価についてであるが、1本目の四日市康博氏の報告では、モンゴル帝国の東アジア進出の全体像が分かりやすく描かれていた。ほかの報告者の具体的な議論にも現れたように、そのインパクトには、モンゴル的要素が中国を含む東アジア世界に広がっていく面もあれば、中国を支配して周辺へ勢力を拡大することで、一部の地域に中国化をもたらした面もあった。「モンゴル・インパクト」が立体的に描かれていたことを、非常に面白く感じた。

 

最近、「新清史」の議論のなかでも、清の支配者は、中華の皇帝であると同時に、多様な顔を持ち、地域と民族に対しては異なる支配の仕組みと論理を築いていたという歴史像が提示されている。清史と比べると、モンゴル帝国史の場合、モンゴル語の史料が限られている中、東アジアに関わる側面は、主に漢文の史料で記録されていて、また現存されている史料は漢文で書かれたものが圧倒的に多い。それで、ひとつの中華王朝である「元朝」のイメージが定着しやすいが、モンゴル人の主体性、またはモンゴル帝国の多元性は表に出にくくなる。近年、杉山正明先生たちの仕事で、豊かなモンゴル帝国史の歴史像が浮き彫りになり、今回の発表者の報告を聞いて、ますます感銘を持つようになった。

 

これとの関係で、劉先生が全体議論の時にまとめた諸論点の1つでもあるが、今回のテーマにあたる時代は、中国史におけるモンゴル人の支配と、モンゴル帝国の一部である中国への支配との二重性があり、これを「公共知」として語る時、どう扱うべきかという課題がある。さまざまな意見があるなか、従来のように、中国史の一時代として「元史」を取り上げる一方、それを超えて東アジアの文脈、またはユーラシアの文脈でどう見るべきかに関しても加筆する、という重層的な叙述手法が、葛兆光先生の発言で提示された。国民国家がさまざまな問題を抱えるにもかかわらず、すぐ解消する気配もないため、国民国家の史観を完全に廃棄するのは現実的とはいえない。むしろ、こうした重層的な歴史叙述を通じて、いままで見えてこなかった多次元の歴史像を教科書に組み込むことが、長い目でみれば、「公共知」の構築に役立つと思われる。

 

また、一次史料が乏しい状況に対して、モンゴル帝国史の研究者はどのように過去と対話して史実を探求してきたかという関心もあった。各報告から、編纂物の史料批判、非文字史料からの接近、人類社会の「常識」と歴史背景を踏まえた推論などの創意工夫が講じられてきたことがよく分かった。扱う時代や地域の異なる歴史家の対話を通じて、方法論について互い刺激しあうこともあり、それはまた別の意味で「公共知」へのアプローチに繋がるのであろう。

 

<彭浩(ほう・こう)Peng_Hao>

大阪市立大学大学院経済学研究科准教授。専攻は日本近世史、東アジア国際貿易史。2012年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了(文学博士)。日本学術振興会外国人特別研究員・東京大学史料編纂所特任研究員を経て現職。主な研究成果は、単著『近世日清通商関係史』(東京大学出版会、2015年)等。

 

 

2017年11月2日配信