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エッセイ527:金律里「日本での生活をふりかえって」

(『私の日本留学シリーズ#8』)

 

・きっかけ
学部時代に読んだ日本人学者の本が、私が日本留学に興味を持ったきっかけであった。ずっと「宗教」と「死」に興味を持っていて、学部卒業後はどこかの大学院に進学して本格的に研究をしてみたいと考えていた時に、日本の学者はこんなに面白いことを考えるんだと思い、留学先を日本に決めた。それから、日本語の勉強を始め、日本の大学についても調べた。

 

・弟とともに日本留学生活を始める
しかし日本留学の情報は十分ではなくアドバイスをもらえる人もいなかったため、留学準備をして日本に来るまでは本当に大変だった。日本語で書かれた本が少し読める日本語のレベルだったが、日常会話がままならなかった。それでも心強かったのは、弟も同時期に日本の大学に入学して、兄弟2人で助け合いながら留学生活を始められたことだ。また、日本人と結婚した親戚のおばさんにもいろいろ面倒を見てもらえたし、良い助言者の留学生先輩もいた。

 

・修士課程では
紆余曲折の研究生生活を経て修士課程に入り、決めた論文のテーマは『水子供養』だった。死、お墓、葬送儀礼などに漠然と興味を持っていると先生に話したら、「水子供養について研究してみると面白いかもしれない」という助言をもらった。偶然に決めた、あるいは決めさせられた(?)研究テーマを現在も続けていることは不思議に思える。

 

・アルバイト
奨学金が無かった修士課程では、研究とアルバイトを両立する日々を過ごした。今考えると修士の時が最も頑張った時期だった。無事修士論文を提出して博士課程に進学した1年目までは奨学金がなく、アルバイトに時間をたくさん使った。韓国語講師や通訳のアルバイトがほとんどで、韓国語講師の経験は、人前で上手くしゃべれないことを克服するのに少し役立った。また、通訳の仕事は、臓器移植や遺伝子研究など自分の研究と関わりがなくもない分野もあったけれども、貿易や起業、発電といった普段触れることもない分野もあって、楽しい経験ができたと思う。

 

・女子寮生活
修士に入ってから民間の女子寮に入寮し、ずっと住んでいた。寮は7割くらいが日本人の学部生で高校生も何人かいる。残り3割程度が留学生で、入寮当時は韓国人と中国人がほとんどであったが、ここ数年、インド、ベルギー、ノルウェイ、ウズベキスタン、アメリカ、インドネシア等々国籍が豊かになった。週末はみんなで一緒に料理を作って食べたりもするし、お互いの国の文化や言葉について話し合ったりもする。寮では朝食と夕食が提供されるが、豚肉を食べないイスラームの人たち、牛肉を食べないヒンドゥの人、そして肉食をしないベジタリアンもいるので、食事を用意する寮母さんは大変だろうが、宗教文化に興味のある私としては食事の時間も楽しかった。

 

・博士進学後と現在
博士2年目からやっと奨学金を受給することになり、以前のように朝から晩までアルバイトをしなくても生活ができるようになった。また、奨学金の関係で年に数回関西地方に行くことになったが、そのおかげで旅行もできて楽しい時間を過ごせた。経済的精神的に余裕はできたものの、研究に費やす時間をそれほど増やさなかったことを、いまだに後悔している。「理系の人は博士3年で大体卒業するが、文系は3年以内に博士論文を提出することはそれほど多くはない」と聞いてきたが、自分も博士5年目となってしまった。運よく渥美奨学金もいただくことになったが、途中で所属大学の研究員に採用されたことで奨学金を辞退することになってしまった。昨年9月ソウルで結婚式を挙げてから日本に戻って博士論文を執筆し続け今年3月に論文を提出した。そして8年間生活した日本を離れ、現在はソウルに住んでいる。

 

<金律里(キム・ユリ)Kim Yullee>
東京大学死生学・応用倫理センター特任研究員。渥美国際交流財団2015年度奨学生。韓国梨花女子大学を卒業してから来日、2015年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程を退学。

 

 

2017年3月30日配信