SGRAかわらばん

エッセイ516:高偉俊「アジア未来会議に思うこと」

(第3回アジア未来会議「環境と共生」報告#9)

 

第3回アジア未来会議が、20ヵ国から397名の登録参加者を得て、北九州市で開催されてからもう2カ月が過ぎました。元渥美財団の奨学生として第1回アジア未来会議の企画当初から係わり、また、私の所属する北九州市立大学が第3回アジア未来会議を共催することになり、現地連絡責任者として大会運営に携わった者として、いろいろな思い出が湧いてきます。

 

2009年ごろだったと思いますが、私を含めた数人のSGRA会員が渥美財団の今西さんとおしゃべりしているうちにだんだん話が盛り上がってきました。それは、元渥美奨学生(ラクーン)はすでに世界中に広がり、大学の教授になって学生や若手研究者の指導をしたり、研究所や企業等で研究活動を続けている。そのような元奨学生(渥美財団のこどもたち)や彼らが指導する学生や若手研究者(渥美財団の孫たち)が集まる国際会議を立ち上げ、渥美奨学生やSGRA会員の交流の輪を拡げ深めたいという話でした。

 

翌年、事務局長(当時)の嶋津さんも交えて話す機会があり、そのような国際会議をやりましょう、そして第1回会議は経済大国として台頭する中国の上海で開催しましょう、ということになりました。それから徐々に、会議の名前は「アジア未来会議」とすること、ネットワークを広げるために、SGRA会員だけでなく日本に留学し現在世界各地の大学等で教鞭をとっている方々や、その学生の皆さんにも交流・発表の場を提供すること、限定された専門家ではなく広く社会全般を対象に、幅広い研究領域を包括した国際的かつ学際的な活動を狙いとすることなどが決まっていきました。

 

2011年4月、第1回アジア未来会議の企画案が出来上がりました。テーマは「世界のなかの東アジア:地域協力の可能性」とし、参加者150人以上の規模をめざし、2012年8月上旬に上海で開催としましたが、その後、諸般の事情により、2013年3月に500人の規模で開催する計画に変更されました。2011年7月18日から21日まで、今西さんと一緒に上海を訪問し、メイン会場として3000人収容できる上海同済大学会場を視察、上海市僑務弁公室副主任蔡建国氏および複旦大学日本センター主任の徐静波先生に協力をお願いし、SGRA会員の上海財経大学の範建亭教授と打ち合わせを行いました。

 

2012年に入ってから、2回の現地訪問を重ね、着実に会議の準備を進めていましたが、2012年8月に尖閣諸島(中国では「釣魚島」)の「国有化」問題のために中国の反日運動が激しくなりました。国際政治に翻弄され、良き地球市民の実現を目指す渥美財団としては非常に残念ではありましたが、2012年10月に上海での開催を断念し、会場を上海からタイのバンコク市に移すことになりました。開催まであと4カ月しか準備期間がありませんから、慌ててバンコクを視察し、タマサート大学と北九州市立大学に共催を打診し快諾をいただきました。また当初イベント会社に依頼して企画してもらう計画も水の泡になりましたが、そのおかげで、その後の会議はSGRAネットワークを利用して、渥美財団が自ら企画運営する原型になりました。

 

SGRA会員の積極的な参加、多くの企業等の後援により、第1回アジア未来会議は20か国から332名の参加者を得ました。建築家隈研吾氏の公開基調講演には1200人が参加して成功へ導きました。フェアウェルパーティーにて第3回アジア未来会議の開催地の話が出て、当会議に参加した北九州市立大学の近藤学長から「ぜひ北九州で行いましょう」というお話があり、その場で決まってしまい、北九州市立大学の教授として私は重い責任を感じました。その後、2014年8月にインドネシアのバリ島で、第2回アジア未来会議「多様性と調和」が、17か国から約400名の参加者を得て開催されました。私としても北九州の開催に向けて益々緊張が高まりました。環境首都の旗を掲げた北九州での開催ですから、メインテーマを決めるのはそれほど時間がかかりませんでした。日本語の「環境と共生」の英訳には当初の「Environment and Symbiosis」より広い意味の「共生」を意味する「Environment and Coexistence」としました。

 

日本で初めての開催、また地方都市の北九州市での開催ですから、参加者が集まるか心配でした。しかし、論文の発表要旨の締め切りをした時点で700編を超える応募があり、改めてSGRAネットワークの強さを感じました。また会議開催に当たっては、投稿論文の査読やセッション座長から受付や会場案内まで、多くのSGRA会員がボランティアで手伝ってくださり、会議の成功に向けて奮闘してくださいました。最も感動したのは、渥美伊都子理事長がご高齢にもかかわらず会議に参加してくださり、大きな励みになったことでした。

 

北九州市立大学としても、第3回アジア未来会議を創立70周年記念の大行事と位置づけ、学長のリーダシップのもとに、副学長漆原先生を部会長としてアジア未来会議部会を立ち上げ、10回ほどの会合を開いて会議の開催に尽力しました。会議期間中に、職員の応援延べ86人、学生ボランティア延べ134人を動員し、休憩時のピアノの演奏や茶道のお点前など多くのイベントを準備しました。特に感動したのは漆原先生が食堂に立ち、自らマイクをもって、茶道のインベトの宣伝をする姿でした。このような大きな行事の開催によって、我大学としても大きなものを得たことを付け加えたいと思います。

 

以上のように、第3回アジア未来会議はみなさんのおかげで無事に成功裡に終了しました。渥美財団の元奨学生として、また今回の会議の運営組織の一員として振り返ってみると、アジア未来会議の開催は我々SGRA会員の交流を深めるばかりではなく、社会へSGRAの主張を広げることにより、良き地球市民の実現を目指すSGRAの目標に近づくことにもなったと思います。これからもより多くの方々にアジア未来会議に参加していただき、国境を越えたアジア未来を語っていきたいと思います。

 

<高偉俊(ガオ・ウェイジュン)Gao_Weijun>
北九州市立大学国際環境工学部建築デザイン学科教授。中国西安交通大学、四川大学、浙江大学等客員教授。SGRA研究員

 

 

2016年12月29日配信