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エッセイ453:謝 志海「トマ・ピケティに学ぶ経済学と我々の生活」

フランスの経済学者、トマ・ピケティ氏の著書「21世紀の資本」が世界的ベストセラーになっている。日本語版も昨年末に発売され売れ行きも好調。各誌がこぞってピケティ特集を組んでいる。日本の経済学者だけでなく、会社経営者たちもこの本、そしてピケティ本人に随分と影響を受けているようだ。新聞や雑誌のインタビューで彼の本と発言の引用をよく目にする。私も実はそれらの記事からピケティ氏を知った。そして今、本屋では「30分で理解する」などといった「21世紀の資本」の解読本のようなものがたくさん並んでいる。先日の衆院予算委員会でもピケティの名前が出てきた。

 

これまで話題性のあるカリスマ的経済学者というと、おきまりのようにアメリカ人もしくはアメリカの名門校の教授だった。彗星のごとくフランスから世界へ躍り出たトマ・ピケティ、話題の本の内容はというと「富というのは富があるところに集中する、よって格差が生じる。手を打たないとこの格差は今後どんどん広がるだろう」というものだ。すなわち、資産を持っている人は、その資産を運用することで、さらに富を増やすことができる。こういった資産の収入を不労所得という。資産がある人は自分が働いて収入を得ている間も、その人の資産も自分で働きお金を稼いでいる。では資産の無い人が資産を得ようとすると、自身が労働し報酬を得るしかない。不労収入が無ければ、その人の労働時間は長くなるばかり。この資産ある人、無い人の差をピケティ氏は指摘する。さらに現代の資本主義では、この格差は拡大の一途をたどるという。格差社会の先陣を切っているアメリカではあまり話題にしたくない題材かもしれない。

 

しかしこの本の英語版は昨年のアマゾンの売り上げランキング1位になった。賛否両論あるそうだが、アメリカの経済学者も肯定的な評価をしている人が多い。この本が経済学の内輪の世界にとどまらず、民間企業の経営者や一般市民までに知れ渡り、惹きつけられるのにはいくつか理由がありそうだ。まず世界中の経済学者がこの本に注目するのは、ピケティ氏が歴史を遡り、かつ過去の莫大なデータを集めて分析し実証的に示したからであろう。つまり、机上の空論では無いということだ。次に、経済学者だけにとどまらず、広く一般にこの本が読まれることとなった背景に、格差社会がどの国でも顕著な、極めて身近な課題だからではないだろうか。例えば、この本の日本語版が出版された昨年は、日本では4月の消費税の増額にとどまらず、さらに増税する時期について大いに盛り上がった1年だった。それだけではない、アベノミクスの下、日銀が掲げる「2%のインフレ達成」、どちらも日本人の日々の生活に直接影響する。なんと絶妙なタイミングで現れた本だろうという感じがする。

 

「21世紀の資本」をただの一過性の話題本で終わらせてしまうのか、それとも、我々一般市民が経済について一考するチャンスととらえるのか?私は後者を選ぼうと思う。

 

ピケティ氏の「21世紀の資本」の中で結論とされる「r > g」という不等式、今では本の題名と同じぐらいよく目にする数式になったが、簡単にいうと、債券や株、不動産といった投資による資本収益率「r」は、経済成長率 「g」をつねに上回っている。しかもこの状態はいつの時代においても起こっていて、このまま続くと富の不平等が固定化されてしまうという。この一見シンプルな不等式により表現されている現実には、我々がどの国に住んでいようが、資本主義社会に生きていることを痛感させられる。資本主義社会の基本的な仕組みである経済、その仕組みを知らずに生きていくのはあまりに無防備だ。今こそ経済というフィルターを通して、自分の立ち位置を知り、格差社会とどう向き合い、今後の世の中の動きを自分の考えで推測して将来に備える、いい機会かもしれない。日本のこのピケティ・ブームはそう教えてくれている気がする。

 

まず自分の立ち位置についてだが、ピケティ氏は現代の社会における不平等の現状として、所得に応じて、上位層(10%)、中間層(40%)、下位層(50%)と3つのグループに分けている。上位層は資本所得が多く労働所得を上回っている。グループの半分を占める下位層の資本所得は無いに等しく労働所得が収入だ。この分類だけで、経済学など知らなくても、格差と機会の不平等が浮き彫りになっていることがわかる。自分はこの3つのどの層にいるのかは、だいたいわかるだろう。なにしろ、90%の人が上位層ではないのだから。ピケティ氏と共同研究者によると、アメリカの上位層(10%)の富裕層が総所得に占めるシェアは50%近く、さらにこの10%の中の上位1%の所得シェアは約20%という結果だ。こんなショッキングな数字が出ればアメリカでこの本が売れるのは当然だ。日本のメディアもこぞって彼を追いかけるのは、動向があやぶまれるアベノミクスについてピケティ氏に聞きたいことがたくさんあるからだろう。

 

では、日本の格差はいかがなものであろう?今年の1月にピケティ特集を組んだ東洋経済誌によると、日本の所得上位層の上位0.01%に該当する人の年収(税引き前、各種控除前)は8057万円。アメリカだとこの階層はなんと8億円を超えている。さらに、注目すべき点として、上位1%の年収が1279万円であること。これはおよそ上場大企業の管理職クラスが該当するそうだ。「年収1千万プレーヤー」なんて言葉を日本ではよく耳にする。この年収1000万円のラインに何歳で乗れるか否かがよく話題になる。それに上場大企業といえども、管理職クラスの人々もおそらく皆と同じ電車通勤しているだろう。ということはこの上位1%の人の暮らしは、富裕層ではない人々にとって想像の範囲内であり、日本はアメリカほど格差が拡大していないと言える。一見安心な結果のようだが、日本では世代間格差や新卒の就職難、増える非正規雇用者など、雇用機会そのものが問題だ。しかし迫り来る消費税10%、物価上昇は全ての人にふりかかる。今後日本は所得格差が縮まるということはなさそうだ。今のうちに自分がどの階層に位置するかを知り、格差社会に負けない人生を構築しておきたい。

 

さしあたって、アベノミクスは今後どうなるだろう?と日々の日本の政治経済の動向を観察して、自分なりに日本の未来を占うのもいい。今は盛り上がっているアベノミクス、いずれ崩壊すると読むのなら、それが自分の生活にどう影響するのかも考えておく必要がある。もちろんこのような危機管理を以前からしている人もいるだろう、そういう人は意識的もしくは無意識に経済を気にかける生活を送っていると再確認出来る。またこのピケティ氏が警笛を鳴らす今後の格差の広がりと、アベノミクスを考慮して、なけなしの貯金で株を買いはじめる人もいるだろう。自分の身近なところから経済に対し自分の考えを持ち、出来ることはやってみること。ピケティ・ブームは我々と経済学をこれまでになく身近な存在に近づけてくれた気がしてならない。

 

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<謝 志海(しゃ しかい)Xie Zhihai>
共愛学園前橋国際大学専任講師。北京大学と早稲田大学のダブル・ディグリープログラムで2007年10月来日。2010年9月に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程単位取得退学、2011年7月に北京大学の博士号(国際関係論)取得。日本国際交流基金研究フェロー、アジア開発銀行研究所リサーチ・アソシエイトを経て、2013年4月より現職。ジャパンタイムズ、朝日新聞AJWフォーラムにも論説が掲載されている。
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2015年3月25日配信