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エッセイ458:李 婷「知らないおじいさんからもらったガム」

主人と娘が東京に会いに来た時の話である。

 

ある日、家族3人で電車に乗って、東京の郊外へ遊びに行くことにした。もともとすいている路線の各駅停車だからか、平日の昼だからか、電車はガラガラだった。乗客はみんなうまい具合に他人とスペースを残して、ゆったりと座席にすわっていた。郊外へ行けば行くほど、車窓から広がる景色が綺麗になり、それを楽しみながら親子の会話を楽しんで、すっかり観光気分になっていた。

 

どこからか、80代くらいのおじいさんがやってきて、ポケットから何かを取り出しながら、「何もないけど、どうぞ」と言って、目の前に差し出してくれた。私は反射的に「あっ、ありがとうございます」と言って、軽くお辞儀をしながら、目の前に渡された何かを両手で受け取った。受け取った後になって、自分でも不思議に思った。包装紙もきちんとしており、LOTTEの字もはっきりしていて、すぐガムだと確認でき、無意識に主人に一つ渡した。すると、おじいさんは空いている席がいくらでもある電車の中で、なぜか私のすぐ隣に座り込んでしまった。

 

日本語の分からない主人から、中国語で、小声で「知り合い?」と聞かれ、私は「知らない」と答えた。また、驚きを抑え「口に入れるなよ」と更なる小声で言われ、「大丈夫」と答えた後、手本を見せるかのようにガムを口に入れた。集中力を全部口の中に凝らしてみると、何も変な味はしなかった。驚きと疑いを隠して、冷静を装いながらも、なんでガムをくれるんだろう、と心の中は無数のハテナが舞い上がっていた。文字にすると、やや長めに感じるが、実際は本当に一瞬の出来事だった。

 

「どちらへ?」と隣に座ったおじいさんが再び口を開き、気まずい沈黙を破った。最初は警戒心が捨てられず、聞かれたら答え、相槌は打つが自ら話題を出さない聞き手に徹していたが、いつの間にか会話が弾んでいることに気づいた。私達が中国から来たのだと聞いて、おじいさんは中国語の「ニーハオ」で主人と娘に挨拶したり、娘は中国から持ってきたおやつを自分のリュックから取り出して、おじいさんにあげたりもした。おじいさんが降りる駅に到着したので、「じゃあ、日本を楽しんでください」との言葉を残して電車を降り、ホームで手を振ってくれた。

 

ガムをもらってよかったなあと、まだ喜んでいる中、「ママ、知らない人と話すなって言ったじゃん。人様のものまで食べちゃって。」と娘に指摘され、答えに詰まった。

 

本来、飴や果物などを誰かに渡すのは、好意を示すサインであり、話したい意思表示であり、交流のきっかけを作る極めて一般的なコミュニケーション行為である。しかし、こうした行為は、現代社会において、たとえ好意であっても不審に思われがちで、時には人に迷惑をかけ、人を困らせる行為にもなってしまう。都市化が進むにつれて人口密度が上昇し、人と人の物理的距離が限りなく近くなってきているにもかかわらず、人と人の心理的距離が限りなく遠くなってきて、心の砂漠化とも言われている。人々は他人の世界には入ろうとせず、自分の世界にも入ってこられないように、目に見えない厚い壁を作って、黙々と自分のことをこなそうとしている。さらに、詐欺や誘拐などに脅かされて、人間不信が蔓延するのも当然のことのようになっている。知らない人と話してはいけない、知らない人から物をもらってはいけない、知っている人の話も信じてはいけないなど、家族や自分自身を守るための信条となってしまい、次世帯へ押し付け、引き継がせていこうとする。

 

もっともこれは、毒りんごを食べた白雪姫の童話でわかるように、どうも現代社会だけの問題でもなさそうだ。険しい世の中というのは、いつの時代だって、どこの国だって、変わりはしないものかもしれない。とはいえ、いつまでも神経を尖らせ、心を閉じたまま人と接し、びくびくしながら毎日を送る必要もない。たまには、自分の心を開いてみたり、人の心の扉を叩いてみたりして、他人との関わりの中で、人生を楽しもう。

 

知らないおじいさんからガムを渡され、そしてそれを素直にもらったことがきっかけで、楽しい会話ができたのは、私にとって初めての経験であり、今後2度も3度もあるとは考えにくい。なぜ私達のところにやってきたのか、なぜガムを渡してくれたのか、そして、なぜ迷いもせずにそのガムをもらって口に入れたのかなど、謎は未だに解けないままである。

 

謎は謎のままでいい。心の温まる思い出を作ってくれた名前も知らないおじいさんに、そして、その好意を素直に受け止めたその時の自分にも、感謝したいと思う。

 

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<李 婷(り・てい)Li Ting>

早稲田大学大学院日本語教育研究科博士後期課程在籍。中国の曲阜師範大学で日本語教員として4年間教鞭をとり、2009年キャリアアップのため来日。

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2015年4月30日配信