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エッセイ448:アロツ=ラファエル アインゲル「国とアイデンティティ:自分の居場所はどこか」

多くの人は、自分が何人であるかについて話す時、つまり「私は日本人です」、「私はスペイン人です」と言う時、おそらく何の違和感、疑問を感じないだろう。ただし、私たちが「私は日本人です」、「私はスペイン人です」と言う時、自らの客観的、正式的、パスポートに書いてある国籍を指しているだけではなく、自分がある国、あるコミュニティーへの帰属意識、いわば自分のアイデンティティの一側面を表現してもいると言えよう。

 

私は留学がきっかけで、自らの国・国籍とアイデンティティについてしばしば考えるようになった。そして、この課題についての私の考え方は留学によって大きく変わった。本稿では、私の考え方がどう変わったかを説明するために、まず私の背景について、次に10年以上前に初めて留学することによって私の観点がどう展開したかを、そして最後に国とアイデンティティについての現在の私がどのような立場であるかを述べたい。

 

私はスペイン北部にあるバスク地方で生まれ育ち、22歳までバスク地方の最大の都市、ビルバオに住んでいた。バスク地方ではスペイン語と違う言語が話されており、また、その歴史・社会構造・経済構造の面からも他のスペインの地方との相違点が多く、バスク人の一部はスペインからの独立を願っている。このような複雑な地域では、「あなたは自分をバスク人と考えていますか、スペイン人と考えていますか」というような質問を問いかけられることがよくある。しかも、バスク地方では、自分をスペイン人かバスク人かと認識することは、自分の家系や母語とは直接関係なく、むしろ自身の政治的立場や感情と深くかかわっている。例えば、自分の家族がスペインの他の地方の出身であって、自分の母語がスペイン語であっても、自らをスペイン人でなくバスク人と考える人もいれば、家族がバスク地方出身であり、バスク語を母語とする人で自らをスペイン人と考える人もいる。

 

私自身は、バスク地方に住んでいた時、自信をもって「私はスペイン人ではなく、バスク人である」と言うことができた。それは、バスク地方以外の地域に対して何らかの抵抗を感じていたからではなくて、むしろバスク地方の独自性、いわばユニークさに一種の愛着を持っていたからであり、また、私の周りの人々、つまり家族や友だちが同様な観点を持っていたからであった。

 

しかし、私は22歳の時にイタリアのボローニャ大学に留学することになり、初めてバスク地方ではない国で生活し、また、バスク地方以外のスペインの各地方やヨーロッパの各国から来た友だちができることによって、私が、自分自身が、バスク人であるということの意味を深く考え直すことになった。バスク地方に住んでいた時の私はバスク地方の特殊性、スペインの他の地域との相違点などを重視していたのに対して、イタリアで生活を始めた当時の私にとっては、相違点というより、むしろスペインの他の地域やヨーロッパ各国との共通点の重要性がわかるようになった。したがって、私はイタリアで国籍を聞かれた時、だんだん違和感を持たずに「スペイン人です」と答えるようになり、かつ、自分をバスク人だけと考えていた以前の私の立場を排他的で度量の狭い立場のように見るようになった。そうして私は、「バスク人」「スペイン人」というような名称が自分の背景をある程度説明していることを理解すると同時に、自分にとって実際それらの言葉にたいした意味がなくて、自分のアイデンティティとしてはむしろヨーロッパ人としてのアイデンティティがもっと重要なのではないかと考えるようになった。なぜなら、ヨーロッパという概念からは、国境を超えた豊富な歴史を背景としながら、多様で充実した社会を目的とする民主主義的プロジェクトを構築していくことができると考えたからであった。

 

しかしながら、私は2007年に、ヨーロッパから離れて日本に留学することになり、自分の立場をあらためて考えることになった。イタリアに留学することによって私の視野が広くなったと同じく、はじめてヨーロッパ以外の国で生活し、日本およびアジア各国から来た友だちができ、実際に人間同士をつなげるものは共通の文化的背景などではなく、むしろ価値観、世界観であることがはっきり分った。

 

こうして、日本に留学することによって、私のバスク人、スペイン人、ヨーロッパ人としてのアイデンティティが、いったいいかなるものであるかをふたたび反省することになり、国とアイデンティティについて、より明確に考えるようになった。つまり、国とアイデンティティの間の関係において二つの側面を区別することができると思う。一方では、「私はスペイン人です」、「私は日本人です」などの表現によって、私たちがどこから来ているか、どこで育ったかを説明しているのであって、例えば私の個人的な場合に、やはり私がバスク人であること、スペイン人であること、ヨーロッパ人であることのそれぞれが、私の背景、いわば私の個人的な歴史を語っていると言えると思う。他方では、「私はスペイン人です」「私は日本人です」などの表現が、ある国、あるコミュニティーへの帰属意識を表しており、すなわち自らがどこから来たかだけを表すというより、むしろ自らがどこに帰属したいか、どこを自分の居場所にしたいかということを表していると思う。この二つ目の側面は、一つ目の側面より自由であり、個人が各々の人生において、様々な経験を重ねるにつれて、変わっていくことが可能であろう。

 

留学生として日本で7年間生活してきた私は、自分がバスク人、スペイン人、ヨーロッパ人であるということが、上述したように私のある重要な側面を捉えていると思う。なお、上記の二つ目の側面については、つまり私がどこに帰属したいか、どこを私の居場所にしたいか、「何人でありたいか」と聞かれるとしたら、バスク地方はもちろん、スペインやヨーロッパももはや狭すぎて、ありふれたひびきのある言い方であろうが、おそらく私の居場所が世界、地球であり、私が帰属したいコミュニティーは各国の狭い国境を超えた世界の市民のコミュニティーであると答えるしかないであろう。

 

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<アロツ=ラファエル アインゲル Aingeru Aroz-Rafael

2005Deusto大学文学部歴史学科卒業(ビルバオ、スペイン)。2008年マドリード自治大学学部東アジア学科卒業。2008年同大学マドリード自治大学大学院哲学研究科比較文学専攻修士課程修了。2003年ボローニャ大学留学(イタリア)。2007年上智大学留学。2007年平和中島財団奨学生。2008年〜2012年国費留学生。2013年渥美財団奨学生。研究関心は近代日本哲学史、近代日本言語学史・国語学史・人文科学史、言語哲学。現在、東京大学大学院学際情報学府博士後期課程。

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2015年2月11日配信