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エッセイ446:葉 文昌「遂客令」

歴史は繰り返すとよく言われます。なかにはスケール等を変えて繰り返されることもあります。グローバル化は、同質(なかま)の中に異質(よそ者)を取り込んで、より進化して多様化された新たな同質を作る過程だと思いますが、それはつい最近始まったものではなく、どの国でも内部で多くの邦に分れていた時期に幾度か経験しているはずです。

 

これから紹介するのは、2250年前の中国で、秦がまだ中国を統一していなかった戦国時代の出来事です。当時の中国は多くの国がひしめき合っていました。一部の国では技術や政治戦略の専門家を外国から招へいしていました。ある人材が持つ技術が高度であるほど、代替性はなくなり、一部の人材は国境を跨いで仕事していたことは想像に難しくありません。

 

ある日、灌漑工事の技術指導で秦に招へいされていた韓国人の鄭氏が、秦の財政を疲弊させるような工事をしている疑いをかけられました。それから秦の政界で「外国人を追い出そう (逐客令)」という運動が始まりました。現代のネオナチ又はヘイトスピーチのようなものでしょう。そこへ出てきたのが、李斯でした。彼も外国人で、このまま「外国人出て行け」運動が発展すれば自分も追い出されることになります。そこで彼は「諌逐客書」という有名な諌言書を秦王に出しました。内容は今見てもとても斬新なもので、これが2250年前に書かれたことには驚かされます。今回はこの書を翻訳して皆さんに紹介することにします。

 

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「外国人を駆逐すると聞いておりますが、私が思うにそれは過ちであります。

 

その昔、秦の穆公(ぼくこう)は人材を得るために、西からは戎国の由余を求め、東からは宛国から百里奚を求め、宋国から蹇叔(けんしゅく)を迎え、邳豹(ひひょう)や公孫支を招き入れました。この5名は秦の出身ではないものの、穆公は重用し、それで二十の国を併合し、西戎を支配しました。

 

また孝公は外国の商鞅(しょうおう)の法制を取り入れたことにより、社会気風と習わしを変え、国民は栄え、国は豊かになり、民は自ら進んで国に仕え、諸侯は感服し、楚と魏の兵を下して千里の領土を得て現在に至っております。

 

惠王は張儀の謀略を使って三川を攻略し、西に巴と蜀(しょく)を併合し、北に上郡を収め、南に漢中を取りました。更に九夷(きゅうい)の地を併合し、鄢(えん)、郢(いん)を取り、東に成皋(せいこう)の要塞を占拠し、肥沃な土地を収め、六国連合を瓦解させ、秦国に臣服させて利益は今日まで続いています。

 

秦昭王は范睢(はんしょ)を得て、穣侯(じょうこう)を罷免して華陽君を駆逐し、中央統治者の権力を増強させ、その他即得権益者や彊土を蚕食する諸侯を途絶させ、秦の帝業を成就させました。

 

この4名の君主の成功は、外来人材の貢献に依る所が大きかったのです。従って外来人材は秦に対して負い目はありません。もしこの4名の君主が外来人材を排除していたならば、秦はここまで豊かな実益も強大な威名もなかったはずです。

 

今日陛下は昆山の玉石、隨侯(ずいこう)の明珠、卞和(べんか)の宝玉を得て、差すのは太阿(たいあ)の名剣、乗るのは繊離の駿馬、掲げるのは翠鳳(すいほう)の旗、使うのは鰐(わに)の太鼓です。これらの中で秦に産するものは一つもありませんが、なぜに陛下はこれらを好むのでしょうか?秦のものしか使わないとするならば、夜光の玉壁は朝廷には飾らず、犀角(さいかく)象牙の器は使わず、鄭や衛の美女は後宮にせず、駿馬は馬屋におかず、江南の金錫は使わず、西蜀の顔料は使わずとなりましょう。

 

後宮の妾からすべての装飾や楽しませてくれるものは秦のものでないと駄目ならば、宛珠(わんしゅ)の簪(かんざし)、傅璣(ふき)の耳飾り、阿縞(あこう)の衣、錦繍の飾り等は陛下には献上できません。今風で雅、艶めかしく窈窕な趙の女も傍にはいないでしょう。甕缶を叩き、竹箏を弾き、太ももを敲いてリズムを取ってわいわい騒いで楽しむ、それこそが秦の本来の音楽であります。鄭・衛・桑間や、韶虞(しょうぐ)・武象などは、異国の音楽です。甕缶叩きをやめて鄭衛の音楽にし、竹箏弾きをやめて韶虞にしたのはなぜでしょう?それが面白いからです。

 

しかし陛下の任官はそうではなく、能力を問わず、実直かも問わず、秦出身でなければ追い出す。これは即ち重んじる所は色気音楽珠玉、軽んじる所は人民になります。これは海内を跨いで諸侯を制する術ではありません。

 

土地が広がれば育つ粟(あわ)は多くなり、国が大きければ人も多くなり、軍が強ければ兵士も勇ましくなると聞きます。太山はあらゆる土壌を受け入れたからこそ、いまある大きさになり得ました。海はあらゆる細流を選ばないからこそ、その深さになり得ました。王たるものは衆人を退けないからこそ、仁徳は広まります。土地は東南西北を隔てない、人民は本国他国を区別しない、そうすれば一年四季は充実し、鬼神も降臨して福をもたらすでしょう。これこそが五帝三王が無敵である所以であります。

 

今日陛下は庶民を棄てて敵国に資させ、賓客を駆逐して他国に尽くさせており、その為天下の人材の秦への入国を憚らせております。これは糧食を強盗に与えて武器を敵に貸し出すことと同じではないでしょうか。物は秦の産出ではないが宝となるものは多いです。人材も秦の産出ではないが秦に忠心を尽くす者も多いです。外国人を駆逐して敵国に資し、人口を減らして敵国の実力を増長し、この結果自国は弱体化される上に外国人の恨みを買って敵国に尽くす人を増やす、これで国が危険にさらされない訳がないでしょう。」

 

これを以って秦王は外国人駆逐命令を廃除し、李斯の官位を回復させました。

 

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<葉 文昌(よう・ぶんしょう)   Yeh Wenchang>

SGRA「環境とエネルギー」研究チーム研究員。2001年に東京工業大学を卒業後、台湾へ帰国。2001年、国立雲林科技大学助理教授、2002年、台湾科技大学助理教授、副教授。2010年4月より島根大学総合理工学研究科機械電気電子領域准教授。

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