SGRAかわらばん

エッセイ397: 沼田貞昭「特定秘密保護法制定の教訓」

最近の北朝鮮、尖閣諸島をめぐる緊張の高まり、あるいはアルジェリア人質事件など、日本の安全保障環境が厳しさを増している中で、2012年に民主党政権下で秘密保全のための法制の在り方に関する有識者会議において検討されていた機密保全法制が、自民党安倍政権の下で昨年12月特定秘密保護法として成立に至った。

 

筆者は、わが国の安全に対する様々な脅威が存在する中での日米同盟の運用の実務にかかわっていた経験を通じて、国家公務員法の守秘義務や1954年の日米相互防衛援助協定に伴う特別防衛秘密、2010年の改正自衛隊法による防衛秘密などのわが国の機密保護法制は、他の先進国に比べて十分に整備されておらず、同盟国であるアメリカを始めとする関係国が重要な機密情報(インテリジェンス)を日本に流すことを躊躇する原因となっていると感じて来た。この背景には、インテリジェンスについてのアレルギーと言うか、戦前の日本を連想して諜報、スパイと言った暗いイメージを伴うものとして忌み嫌う国民感情があり、インテリジェンスは国家安全保障のために存在するいわば「必要悪」であるとの意識がなかなか浸透してこなかったとの事情がある。

 

今回の法案について、「基本的人権である表現の自由を侵し、言論を封鎖し、日本を軍国主義国に持って行く危険性がある。治安維持法の悪夢を再現させないためにも、この法案は廃案とすべきである。」と言った非現実的な極論があった一方、「国ひいては国民の利益、安全を守るためには必要。特に敵性外国に国の秘密情報が漏れてしまうようでは、ひいては国民全体が不利益を被ることになる」と言った声もあった。世論の反応について、マスコミの調査とネットの調査の間には大きな乖離が見られた。たとえば、朝日新聞社が2013年11月30日~12月1日に実施した全国緊急世論調査(電話)では、法案に賛成が25%で、反対の50%が上回ったが、12月6日~12月16日にYahooが行った調査では、法案が成立して良かった45.7%、成立して良かったが手続きは良くなかった12.3%、そそもこの法案に反対38.5%と賛成が反対を上回っており、この背景にはマスコミ不信があると見られる。法案提出以来採択に至るまでの国内論議を振り返ってみると、取材の自由・国民の知る権利の侵害、不当な処罰・逮捕勾留のおそれと言った点についての一部マスコミの誇張された報道もあり、全体としてバランスの取れた議論が不足していた。

 

この問題は一般国民には馴染みが薄く、筆者自身、法案の条文、概要、自民党のQ&Aなどを読んでみて、しばらく目にしていなかった法律用語などが沢山並んでいて、素直に頭に入ってこない点がいくつかあった。以下、筆者なりに本件法案のポイントを整理してみると次のようなことかと思う。

 

1.本法によって保全される特定秘密の範囲は、わが国の安全保障(国の存立に関わる外部からの侵略などに対して国家および国民の安全を保障すること)にとって重要な情報に限定されている。たとえば、防衛に関するものでは、自衛隊が収集した画像情報、誘導弾の対処目標性能、外交に関しては北朝鮮による核・ミサイル・拉致問題に関するやり取り、公電に用いる暗号、スパイなどの特定有害活動に関しては、外国の情報機関から秘密の保全を前提に提供を受けた大量破壊兵器関連物質の不正取引に関する情報、情報収集活動の情報源、テロ防止に関しては、外国の情報機関から秘密の保全を前提に提供を受けた国際テロ組織関係者の動向、情報収集活動の情報源などが法律の別表に具体的に列挙されている。いずれも、これが漏洩された場合には、わが国の安全保障に著しい支障を与える秘密であることは明らかである。

 

2.そもそも秘密を漏らす恐れがないと「適正評価」によって認められた者(行政機関の職員および委託を受ける民間の職員)のみが特定秘密を取り扱う業務を行うことが認められる。「適正評価」と言うとやや耳慣れないが、秘密漏洩の程度を総合的に評価し、取り扱う適性を判断するセキュリティ・クリアランスを意味し、これは欧米諸国などでは既に導入されている。また、民間企業においても企業秘密を守る観点から同様の判断が必要とされよう。

 

3.さらに、処罰範囲は最小限に抑えられている。罰則の対象となるのは、上記の適正評価を経て特定秘密を取り扱う業務を行う者が知るに至った特定秘密を洩らした場合であり、最長10年までの懲役ないし罰金刑が課される。特定秘密を取り扱う立場にない者が特定秘密を取得する行為に対する処罰は、人を欺く、暴行、脅迫、施設への侵入、不正アクセスなどの犯罪行為や犯罪に至らないまでも社会通念上是認できない行為を取得の手段とするものに限られている。例えば、外国情報機関等に協力し、特定秘密を敢えて入手したような例外的な場合を除き、特定秘密を取り扱う公務員等以外の人が本法律により処罰対象となることはない。「オスプレイが飛んでいるのを撮って友達に送ったら懲役5年」と言った報道があったが、これは明らかに処罰の対象にはならない。

 

4.本法は、国民の知る権利や取材の自由との関係で種々の問題を提起しているが、政府当局の立場は次の2点に要約されよう。

 

(1)情報公開法により具体化されている国民の知る権利を害するものではない。(本法の特別秘密は、国の安全、外交等の分野の秘密情報の中で特に秘匿性が高いものであることから、そもそも情報公開法の下で開示されない情報と解される。)

 

(2)正当な取材活動は処罰対象とならない。 (取材の手段・方法が刑罰法令に触れる場合や社会観念上是認できない態様のものである場合には刑罰の対象となる反面、正当な取材活動は処罰対象とならないことは最高裁の判例上確立している。)

 

    他方、政府当局とマスコミ、市民団体等との間で国民の知る権利や取材の自由との関係で緊張関係が存在することは事実であり、本法に基本的には賛成している一部のマスコミも、公務員が懲役10年と言う厳罰を恐れて報道機関の取材に対して萎縮するのではないかと言った懸念を表明している。

 

5.本法立法の経緯から、次の教訓を学ぶことが必要である。

 

(1)安全保障ないし機密保持のプロの世界では当然の常識になっていることであっても、一般国民の理解を得るためには、丁寧に意を尽くした説明が必要である。民主党政権下のねじれ国会における「決められない政治」から脱却して、「決める政治」を示そうとした安倍政権の本法国会審議に臨んだ姿勢は、性急さが目立ち、結果として本法の内容についてはいささか消化不良のまま審議が終わってしまったとの感は否めない。

 

(2)本法成立の後、安倍内閣への支持率が10%程下がったことは、政府の「奢り」ないし「強引さ」に対する国民の反発を示しており、今後の国会運営等について注意を促す黄信号とも考えられる。

 

(3)本法の運用を一たび誤れば、国民の重要な権利利益を侵害する恐れがあるので、政府としては十分に注意して運用して行く必要がある。特に、秘密指定が恣意的に拡大されるのではないかとの懸念に応えるべく、特定秘密指定等の運用基準について、有識者会議で十分論議を尽くし、特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価を国民の納得の行くように進めて行く努力が求められている。

 

————————–

<沼田 貞昭(ぬまた さだあき) NUMATA Sadaaki>

東京大学法学部卒業。オックスフォード大学修士(哲学・政治・経済)。 1966年外務省入省。1978-82年在米大使館。1984-85年北米局安全保障課長。1994−1998年、在英国日本大使館特命全権公使。1998−2000年外務報道官。2000−2002年パキスタン大使。2005−2007年カナダ大使。2007−2009年国際交流基金日米センター所長。鹿島建設株式会社顧問。日本英語交流連盟会長。

————————–

 

 

2014年1月29日配信