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エッセイ400:フリック・ウルリッヒ「戦争責任との向き合い方―日独比較」

最近日本と中国及び韓国との関係が緊張を増している。領土の問題に加えて、安倍総理大臣を含めた政治家による靖国神社への参拝が、両国の関係をさらに悪化させた。また、英語圏のメディアでも、NHK会長による問題発言が頻繁に報道されている。

 

しかしながら、一方では、欧米の一般市民が東アジアの政治的な動きにあまり関心を示さないことも事実である。グローバリゼーションが進むにもかかわらず「世界の彼方」に起こった動きが自分とどのような関わりがあるのか、という認識を持つ人はあまり多くはない。自己中心的な世界観は危険であると思えてならないが、このような世界観を抱くことは決して欧米に限った現象ではない。

 

本稿では、最近のニュースから浮かび上がり、今、改めて問われている戦争責任にかかわる問題について考えてみたい。学者間の論争ではなく、日本とドイツを比較しつつ、社会における戦争・戦争責任との向き合い方について考えてみる。

 

日本人と話をする際、特に初対面の方と話をする際に、よく「どのような研究をしていますか」と質問される。私の研究は「第二次世界大戦と関係しています」と説明すると、最も多く耳にする反応は「暗い歴史だけど、実際、何が起きたかは詳しく知りません」という発言である。こうした受け答えの中から、私は、多くの日本人は第二次世界大戦の出来事を知らないという印象を抱いている。高等学校の先生をしている友人とも話してみたが、教科書に大戦についての記述は確かにあるが、求められる授業の範囲が広いため、毎年、近現代史に属する第二次世界大戦について「教える時間が残されていない」という答えであった。日本には偏った歴史観を記している教科書として国際的に問題視されるものもあるが、むしろ、歴史教育のカリキュラムそれ自体に大きな問題があると思えてならない。

 

さらに、メディアにおける戦争の扱いにも問題がある。教育の場合と異なり、戦争がメディアに全く取り上げられないわけではない。メディアは戦争の様々な側面を扱っているが、特に多いのが広島、長崎への原爆や空襲など、日本が受けた被害、そして一般人の苦しみについての番組である。当時の日本人が受けた被害、そして彼らの苦しみは歴史的な教訓でもあり、当事者への尊敬を込めてそれらを記憶し、次の世代に伝えるべきだと私も考えている。しかし一方で強い違和感を覚えるのは、被害の側面が注目されるのに対して、加害の側面が無視されがちなことである。

 

それは第二次世界大戦に限らない。数年前に放送された「坂の上の雲」というNHKの大河ドラマに促されて、多くの日露戦争についての番組が放送された。しかし、残念ながら、故郷が戦場となった中国人が受けた被害を取り上げる番組を、私は一つも見ていない。このような現象は東アジアでは決して珍しくはないが、日本社会では明らかに日本人のみが被害者であると取り上げる傾向が強い。

 

幕末・明治維新の頃に起きた西洋との衝突に結びついた被害者意識が、教育やメディアによって伝承されている。しかし、この被害者意識だけではなく、北朝鮮は特別な例としても、隣国の中国及び韓国では、反日の感情が長年政治的に利用されてきたのも事実である。日本を含めて東アジアの国々は悪循環に陥り、政治的なメカニズムに巻き込まれている。だが、そのような動きは確かに以前から存在しており、日本が正式に相手国に対して謝罪したとしても、それのみで問題が解決されるわけではないだろう。それぞれの国にとって都合の良い歴史の受け止め方によって、現在の東アジアは、極めて深刻な問題に陥っていると思われる。

 

このような問題に関連して、「ドイツが第二次世界大戦に対してしっかりと反省を行った」とドイツ人として褒められることもあるが、やはりドイツにも問題がある。次にドイツ社会における戦争・戦争責任問題との向き合い方について述べたい。

 

終戦直後、ドイツ人からナチス思想を取り除くため、連合国の監督下でいわゆる非ナチ化が施行されたが、長い間、主体的な反省が行われず、学校でも第二次世界大戦について教えられなかった。以下の事柄は、以前人から聞いた話によるものが多いので、正確な事実ではないかもしれないが、ドイツ人が主体的な反省を行うようになったのはおそらく70年代、早くとも60年代からであり、それに伴い第二次世界大戦についての内容も学校のカリキュラムに導入された。

 

この変化に1968年の学生運動が重要な役割を果たしたが、何故それまでドイツでは第二次世界大戦についての反省が行われなかったかについて考えてみたい。

 

国を建て直すには、ある程度、元第三帝国のエリートと協力する必要が連合軍に生じたため、特にその社会階層に非ナチ化が徹底しなかったということはすでに常識となっている。そのため、最初の頃には、特に政界及び経済界に第三帝国の歴史を整理する意欲があまりなかったことも考えられる。それに加えて、当時のドイツは国や社会の立て直しに迫られた。例えば、1200万人以上の旧東ドイツ、そして東ヨーロッパから追放されたドイツ人を戦後社会に取りこまなければならなかった、という問題を聞けば、当時、どれほど大きな課題を直面したのかは容易に想像できるだろう。

 

さらに、個人の次元では第三帝国が起こした戦争は、一種のトラウマではないかと思う。狂った時代に生きて、敗戦によってすべてが崩れてしまい、当事者たちは大きなショックを受けたことだろう。私の祖母も第三帝国に関わるほとんど全てのものを捨ててしまい、亡くなるまでに一度しか第二次世界大戦について話してくれたことがなかった。祖母にとっては第三帝国や大戦のことが、極めて恥ずかしいこと、語るに忍びないことであったのだろう。

 

私が「歴史学者として知るべき」という理由で、日本人の友人が、いささか無理をおして、自分のお祖母さんに、米軍による占領を目の前にして日本の国民学校で何を教えられたかという話をしてもらったことがあった。その時も、友人のお祖母さんが当時のことを極めて恥ずかしく思っている印象を受けた。そのようなトラウマを整理するには、おそらくある程度の時間が必要であり、終戦直後は、ドイツ人にも、日本人にも不可能だったかもしれない。

 

ドイツでようやく60年代より積極的に第三帝国において起きたことを分析するようになったのは、間違いなく1968年の学生運動に起因する。第三帝国の当事者の子供の世代が、当事者の世代に第三帝国によって侵された罪を隠そうとしているという非難を向け、社会に大きな動揺をもたらした。そのため、次第に主体的に第三帝国について反省するようになり、第三帝国についての内容が学校教育に導入された。

 

しかしながら、学生運動の立場にも、大きな問題点が潜在していたと私は考えている。例えば、文学作品からも読み取れるのだが、学生運動には独善的な色彩が強く、それゆえに反省の方向にゆがみが生じた。運動を担う者たちには、自分ならば第三帝国のような罪を犯さなかったという強い自己認識があったように思われる。その理由については後述するが、現在のドイツ人が第三帝国当時のドイツ人であったとしたら、同じ条件でその暗い歴史を起こさなかったと断言できないのではなかろうか。

 

まず、現在のドイツで行われる学校教育についてだが、ドイツでは学校教育を中央政府ではなく、州政府が管理している。そのため、州によって教育制度と、その内容に一定の差がある。とはいえ、第三帝国の歴史を何度も繰り返し教えるのが普通である。私もこのような教育を受けたが、生徒として「飽きてはいけない」と自分に言い聞かせながらも、何度も同じことを教える授業に飽きてしまったことは事実である。

 

さらに、第三帝国の歴史はドイツ人の宿罪であるように教えられる傾向が強い。そのため、結果としては自分の国を好きになれず、自国に誇りを持てない青少年が多く育ってくる。極めて攻撃的、そして侵略的な愛国心がどのような悲劇を起こしたかは第三帝国の歴史が証明している。しかしながら国民国家の形成に伴って、いわゆる国民のニーズの一つとして愛国心が誕生したわけであるが、このような愛国心をあまりに抑えすぎると、それがまた歪んでしまう危険がある。

 

現在、ドイツでも特にスポーツイベントをきっかけに国旗を振りながら街中を駆け回り、盛り上がるようになっているが、実はそのような行動はつい最近まで全くあり得なかった。今日このような風景を見て、解放された気持ちを持つが、条件が変われば、このあまりにも長く抑えられてきた愛国の情熱がまた暴力として勃発する危険性が潜んでいるとも感じられ、単純に喜ぶことはできない。

 

次にドイツのメディアについてだが、大戦や第三帝国についての扱いに危惧を感じることがある。学校教育と同様に第三帝国はドイツ人の宿罪のように扱われ、ヒトラーが「悪魔」や「モンスター」として抽象化される表現が目立つ。宿罪という世界観も問題であるが、ヒトラーの抽象化にも問題がある。

 

ヒトラーは悪魔やモンスターではなく、一人の人間だった。普通、「非人間的」という言葉を使うが、人間こそが蛮行を行うという事実を認めない限り、いつかどこかでまた同じようなことが繰り返されるのを防ぐことはできない。いずれにせよ、現在のドイツ人は、自らに罪責感を抱き、ヒトラーのような人物を悪魔として抽象化にすることによって、自分にとってある意味、言い訳を作り上げていると思う。なぜなら、単に罪を認め、そしていわゆる悪魔に責任を押し付けることによって、自分に一番難しい課題から逃げる道をあたえていると言わざるをえない。

 

真正面から歴史と向き合い、何故あのような歴史が起きたかを徹底的に理解するべきである。この意味で、ドイツで行われてきた第二次世界大戦についての反省が成功したとは言えないであろう。

 

宿罪、つまり前の世代が犯した罪が自分の身に及んでいるとは思えないが、ドイツ人として自分の国の歴史に責任があり、その責任を取るべきだと考える。このような責任とは何かといえば、悪かったところを公式に認め、被害者に謝罪することも含まれるが、何よりも上述したように真正面から歴史と向き合い、歴史を徹底的に理解し、そして、それを繰り返すのを阻止することに努めることである。

 

第二次世界大戦で起きた大虐殺などは、モンスターではなく、私たちと同じような人間が起こした現実である。何故、人間がそのようなことを起こすのか、どのような条件で起こすのかを徹底的に理解しない限り、同じような歴史の繰り返しを阻止することはできない。規模が違うとしても、今でも歴史が繰り返されているのは事実である。個人のレベルでいえば、人を軽率にいじめたり、差別したりしている。

 

人間こそが、このような恐ろしい歴史を起こしたという意識を育てると共に、正しい人間としてどのように行動すべきかを考え、道徳に基づく価値観を身につける教育を行うことが大切な対策ではないかと考える。ドイツで行われてきた反省が以上のような点で欠けているので、現在のドイツ人があの時代のドイツ人と性質上異なり、同じ状況に陥ったとしても同じことは絶対に起こさなかった、とは思えない。

 

第二次世界大戦の歴史を加害者・被害者のカテゴリーで分析することが多いが、史実は決してそれほど単純なことではなく、歴史を理解する手掛かりとしておそらくあまり役に立たないと思われる。しかも、都合がいい時に政治的に利用されることも多い。自分の歴史に責任を持っているのは、ドイツや日本、全ての国が同じある。いわゆる加害者であるのみならず、被害者が加害者になったり、加害者が被害者になったりする場合もあり、相手がいわゆる加害者だから、自分が犯した罪が罪ではないと言えるはずがない。勝利者か敗北者かにかかわらず、すべての人が真正面から歴史と向き合い、お互いに悪かったところを認めない限り、歴史を克服し、そしてその繰り返しの阻止ができるはずもない。

 

現在でも、どの国でも、第二次世界大戦を歴史的な教訓としてしっかりと捉えない傾向が強いことを、私は感じている。歴史の中の出来事としての大きさからすれば、第二次世界大戦は実は当事者のみならず、人間そのものにとっての歴史的な教訓であろう。

 

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<フリック・ウルリッヒ Ulrich Flick>

ドイツ・ハイデルベルク大学東アジア研究センター博士課程。2001年、中国研究と日本研究を専攻としてハイデルベルク大学修士課程へ入学。北京及び東京留学を経て、2009年修士課程を卒業。同年、博士課程へ入学。2010年後期より2013前期まで早稲田大学外国人研究員。

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2014年2月26日配信