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エッセイ401:李 軍「お隣さんだね」

◇エレベーターの中の「お隣さん」

 

自宅はエレベーター付きの14階建ての3階にある。誰かがエレベーターに乗ろうとすると、郵便物を見るふりをしたり、玄関のところで少し時間を潰したりして、できるだけ一緒に上がることを避けるのがこのマンションの暗黙のルールのようである。自分が先に上がった時も、先着者に上がられた時も、何だか寂しいような、気楽なような、不思議な気持ちになる。

 

ある日の出来事。偶然親子と一緒にマンションに入ったので、そのまま一緒にエレベーターに乗ることになった。というより、5、6歳の、とても可愛らしい男の子をついつい見入ってしまったので、「一緒に上がることにした」といったほうが正しいかもしれない。エレベーターの中で、男の子が「こんにちは!」と元気よく挨拶してくれたので、こちらも「こんにちは!何階ですか?」と笑顔で聞いてみた。「10階をお願いします」とお母さんが答えたので、私は「10階」と自宅の「3階」を押した。そしたら、男の子が「あっ!お隣さんだね。」と嬉しそうに言った。最初は分からなかったが、階数の表示板を見ると、「3」と「10」が横並びになっていることに気づいた。「そうですね、お隣さんですね」と私も若いお母さんも微笑んだ。

 

この小さな出来事で、いつも利用しているエレベーターなのに、自宅の階数の「3」しか見ていないことに気づかされた。そして、このマンションのエレベーターの乗り方だけでなく、大人社会の「暗黙ルール」の本当の問題点にも気づかされたような気がした。

 

◇電車の中の「お隣さん」

 

電車に乗ることが好きなのは、人間観察ができるからである。電車の揺れ具合に合わせて、今にも倒れそうな、爆睡した女子高校生を微笑んで見守る中年の女性もいれば、無理につり革をつかもうとするおじいさんを睨むサラリーマンもいる。人と人の距離をうんと縮めた電車の中では、人間の内面と外面、社会生活の縮図を垣間見ることができる。

 

ある日の出来事。朝の9時台で、電車の中はそこそこ混雑していた。ドアの近くに立っていた70代のお年寄りが急にしゃがんで苦しそうな表情で膝を揉み始めた。それを見て、ちょっと離れたところに座っていた30代の女性が立ち上がって、お年寄りの病状を見に行き、席を譲ろうとした。その時だった!女性が席を立ったのを見て、ずっとスマートフォンの画面をいじっていた隣の男性(スマホ男と呼ぶとする)が何事もなかったように女性の席に座り、引き続きスマートフォンの画面をいじっていた。その隣に座っていた男性は、お年寄りの病状や女性が席を立った理由をちゃんと見ていたが、スマホ男の「席横取り」に何も言わなかった。結局、ドア近くのお年寄りはあまり歩けないようで、その近くの座席に座ることになった。見舞いに行った女性は、自分の席に戻って複雑そうな表情で理由を説明し、席を返してもらったが、スマホ男は終始無表情でスマートフォンをいじり続けていた。

 

ネット社会や携帯電話の普及によって、私たちは簡単に情報を手に入れることができ、タッチ一つで世界と「繋がる」ことができるようになった。しかし、多くの情報、多くの見知らぬ「友人」に囲まれているうちに、いつの間にか「参加者」ではなく、「観客席」に座るような感覚になって、何が起こっても漠然と見ることしかできなくなった。

 

ソチ五輪では、国と国の戦い、個人と個人の戦いになっているが、2月13日に行われたクロスカントリーの試合で、スキー板が破損したロシア選手のところにいち早く駆けつけて替わりのスキー板を提供したのはカナダのコーチであった。厳しい戦いを展開するオリンピックではあるが、国、ライバルといった境界線を越え、隣同士の助け合い、喜び合いが生まれる感動の場でもある。「観戦者」ではなく、「参加者」である、「国」ではなく、「お隣さん」であるという認識があったからこそ、オリンピック精神を生み出したのであろう。カナダのコーチはエレベーターの中の男の子と同じ考え方を持っているのかもしれない。

 

東日本大震災からいよいよ3年目を迎える。これから被災地に関する様々な情報が多く流れてくることであろう。「観客席」に座って漠然と見るか、それとも「参加者」として「お隣さん」に何かをするか、考えさせられる時期である。

 

そして、同じ地球(ほし)、同じアジアに住む日本、中国、韓国。住む階数が異なるかもしれないが、エレベーターで一緒に上がった時や廊下で出会った時、電車の中の「スマホ男」のように自分の世界だけ見つめるのでなく、エレベーターの中の男の子のように、笑顔で心地よく「お隣さんだね」と挨拶し合える日が来ることを、心より願っている。

 

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<李軍(リ ジュン) Li Jun>

中国瀋陽市出身。2013年に早稲田大学大学院教育学研究科博士後期課程修了、博士号(教育学)を取得。現在早稲田大学、学習院大学で非常勤講師を勤めている。漢字・語彙をはじめ、作文指導や表現指導など日中国語教育の比較研究に取り組んでいる。

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2014年3月5日配信