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エッセイ403:沼田貞昭「今こそ日米、日中、日韓関係について冷静に考えるべき時」

日米両国において、日米関係についてのそれぞれの国民の見方に若干懐疑的なかげりが見られる。2013年12月19日に発表された米国における対日世論に関するハリス調査によれば、日本が信頼できる友邦であると答えた一般米国民の割合は2012年の84%から2013年には76%に下がり、日本では、2014年2月2日の日経電子版調査で、中国の台頭が顕著になる中で日米同盟体制に不安を感じるとした者が80%を越えた。

 

これは、日米関係において最近認められる次のような変化に関連していると考えられる。

 

1950年代に吉田茂総理が選択した対米依存路線は、「対米従属」への反発を招いた。左派勢力は純粋な平和主義ないし中立を主張し、後に総理となった岸信介を含む右派勢力は、自主独立の政策を志向した。日本は、その後50年間あまり、日米安保体制を堅持しつつ、国際協調を旨とする平和国家として不断の外交努力を重ねて来ている。今日、日本がより能動的かつ独自の役割を果たすことを唱える安倍現総理は、祖父岸信介のナショナリスティックな主張と軌を一にしているとも言われている。

 

アメリカの戦争に巻き込まれることへの日本の不安は、1960年安保条約改訂時に顕在化し、その後も1960年代から70年代にかけてベトナム戦争、1990年代初期の湾岸戦争、今世紀に入ってからアフガニスタン、イラクをめぐって見られて来ている。他方、1971年のニクソン大統領訪中のショックは、米国に見捨てられるのではないかとの日本の不安を煽った。1990年代後半に、台頭する中国の陰で日本の存在感が薄れかねない状況の中で、「ジャパン・パッシング」と言う如何にもマゾキスチックな言葉が日本で作られたのも、同じような感情によるものだろう。今日、米中間で「新型の大国間関係」がどのように発展していくのかについて、日本にとってマイナスの影響が出る可能性も含め懸念がある。そして、皮肉なことに、今度は米国の方が日中間の紛争に巻き込まれることへの懸念を強めているように思われる。

 

過去70年間のほとんどを通じて、日米同盟の運営に当たっての日本の主要関心事は、防衛面での責任分担についての米国の対日期待と日本自身ができると思っていることとのギャップを埋めることだった。今日の日本では、中国、韓国との関係における尖閣諸島、竹島、日本の戦争の過去と言ったデリケートな問題について米国からどの程度の助けを期待できるのかについて懸念する声が上がっている。

 

このようなことが相重なって、日中、日韓の軋轢に加え日米間の亀裂が内外のメデイアに盛んに取りざたされている。宣伝合戦という観点からは、昨年12月の安倍総理の靖国神社訪問は、日本の軍国主義復活を唱えることにより日本を孤立させようとして来た中国の思う壷になったとも言われている。尖閣諸島、竹島といった問題について、歴史的事実と国際法に照らして日本の主張の正当性を主張していくことはもとよりである。同時に、国内のナショナリスティックな感情の高まりに任せて、売り言葉に買い言葉の応酬を繰り返していくことが、中国、韓国のみならず、米国をも含む国際社会との関係における日本の立ち位置に好ましからざる影響を及ぼす可能性に留意する必要がある。今や関係国が感情論を超えて冷静に考え、日米、日中、日韓のそれぞれの関係を軌道に戻すことが必要になっている。

 

この観点から、日本が世界に向けて発出するメッセージは次の点を明確にすべきである。

 

日本の国民は、時計の針を戻して軍国主義の過去を復活することを決して望んでいない。 日本は、たとえば国連平和維持活動に対する貢献、アジア、アフリカなど世界各地の発展途上国に対する支援にみられるように、国際協調を旨とする平和国家として不断の努力を重ねている。

 

1995年の村山総理談話および1993年の慰安婦問題に関する河野官房長官談話で表明された反省、お詫びの気持ちに変わりはない。

 

日本はアジア太平洋地域の諸国の安定と繁栄に引き続き貢献していく。現在検討が進行中の集団的自衛権行使の容認問題は、この関連で、地域の公共財とも言える日米同盟の一層有効な役割を実現しようとするものである。

 

強硬姿勢を求める国内の圧力が高まる中で、このような道を選ぶことは容易ではない。しかし、責任ある地位にいる人たちは、自らの言動が国際社会に注視されており、思慮分別を欠く場合には上述のようなメッセージの明確さを損ない、さらなる猜疑心の種を蒔く可能性があることに留意する必要がある。

 

(本稿は2014年3月6日日本英語交流連盟ウエブサイト「日本からの意見」に掲載された。)

 

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<沼田 貞昭(ぬまた さだあき)  NUMATA Sadaaki>

東京大学法学部卒業。オックスフォード大学修士(哲学・政治・経済)。1966年外務省入省。1978-82年在米大使館。1984-85年北米局安全保障課長。1994-1998年、在英国日本大使館特命全権公使。1998-2000年外務報道官。2000-2002年パキスタン大使。2005-2007年カナダ大使。2007-2009年国際交流基金日米センター所長。鹿島建設株式会社顧問。日本英語交流連盟会長。

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2014年3月19日配信