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エッセイ405:李 彦銘「首相の靖国参拝と日本のイメージ―中国人の思い込みはどこからきたのか」

昨年末、とうとう安倍首相が靖国神社を参拝した。安倍首相にとって、中韓の反応を配慮し8月15日の終戦記念日に行かなかった代わりに、選びに選んだのがこのタイミングだったのだろう。

 

しかしそうした「努力」は中韓には無視された。中国側の反応は案の定であり、外交部がこれを「悍然」なる参拝として批判した。その後、イギリスをはじめ世界各国に駐在する中国大使を動員し、英語での日中輿論戦が繰り広げられ、さらに韓国をも巻き込んだ。この一連の動きはおそらく、中国側が安倍参拝の必至を見越して、事前に用意した対策だと思われる。そして1月のダボス会議に出席した王毅外交部長・元駐日大使はフィナンシャルタイムズ社のインタービューで、「いま中国外交の急務としては、国際社会に日本の動きを危惧するように呼びかけることだ」と訴えた。

 

一方、中国国内では、公式に日本の軍国主義復活論を提起することはなく、あくまで靖国神社は軍国主義の象徴であることを強調し、むしろ焦点は、憲法改正などを唱える安倍政権が日本を軍国主義の道に導こうとしていることに絞った。つまり安倍政権の批判のみで、政権交代の際の交渉の余地を残した。

 

この靖国参拝は、中国側の政策決定者にとって、安倍政権との交渉をあきらめさせる決定的な要因となったと思われる。「悍然」なるという評価は、中国外交において公式に使われることは少なく、中国側のレッドラインに踏み込んだというメッセージを強く伝えているという外交分析がある。ちなみに一番最近に使われたのは、2006年に北朝鮮が中国に事前通知なしで核実験を行ったときだった。小泉元首相の靖国参拝に対しても、2005年からこの言葉を使って批判していた。しかしながら、小泉内閣からの積極的な反応はなく、中国側は政権交代を期待するしかなかった。

 

歴史をさかのぼると、日本の首相による靖国参拝がはじめて日中の外交問題となったのは、1985年8月15日の中曽根公式参拝であった。その一週間後、新華社(中国政府の公式通信社)が批判の社説を発表し、靖国参拝と歴史責任を結びつけた(『絶不允許混淆侵略戦争的性質』、1985年8月22日)。しかし鄧小平などの国家指導者は靖国神社参拝を批判しながらも、日中友好の重要性を訴えた。転換点になったのは、むしろ9月18日(満州事変の発端である柳条湖事件記念日)に、天安門広場で行われた大学生による反日デモであり、20日に外交部が改めて靖国参拝を強く批判し、二国間の外交問題として位置づけたことによる。

 

それ以降、中曽根氏は在任中に靖国神社に行くことはなく、今日まで40年近くの間、首相の公式参拝は安倍氏を除いてこの一回のみであった。在任中に私的参拝をした首相も、小泉氏と橋本氏のみであった。ただし橋本氏は私的参拝した翌年の1997年に、中国瀋陽にある「九・一八事変(柳条湖事件)記念館」を訪問することで、自らの歴史認識が中国側と共通していること示し、その後は参拝しなかった。つまり、首相や外相が在任中に靖国参拝をしないことについて、自民党内では一定の了解があるのだ。

 

これらの前例に照らしながら、2012年に大規模な反日デモが中国を席巻したこと、またダボスでの安倍氏の物議を呼ぶ発言から考えると、安倍氏を交渉相手にすることは、中国側にとっては対内的に説明がつかないことになる。よほどの国内・国際の事情がない限り、中国側が第二次安倍政権と対話することはないだろう。

 

それでは、一般の人々にとっては、日本の首相が靖国を参拝することは何を意味するのか。なぜ中国社会では靖国参拝が歴史認識問題として受け止められるのか。それはただ単に共産党の言説をそのまま受容したからなのだろうか。

 

当然のことながら、1985年以前、ほとんどの人は靖国がどんな場所であるのかをよく知らなかった。中曽根参拝後、中国では名前が知られるようになったが、果たして靖国ではどんな人が祀られているのか、ひいてはそもそも神道とはどんな宗教であり、宗教法人とはどのような位置づけと法的権利を持つのかについては、長い間中国では広く知られていなかった。

 

限られた情報と知識の中、唯一はっきりいえるのは、そこにはA級戦犯が祀られていること。戦争責任二分論(つまり日中戦争はごく一部の軍国主義者が発動したもので、ほとんどの日本人も中国人と同じように軍国主義の被害者であるという、日中国交正常が行われた際の中国政府による対内説明)が広く受け入れた時代では、A級戦犯はまさに戦前の日本を国家主義、軍国主義、さらに残忍な虐殺に導いた張本人であると認識するのは当然であろう。

 

さらに、ここには文化的な違いも確かに存在する。中国には神道がなく、「靖国神社に祀られる英霊」というフレーズを聴いたとき、自然と浮かび上がるイメージは、廟やお寺や道観の中のことである。祀られるということは、「供奉」という言葉になるが、亡くなった人の身代わりである「牌位」を供養することである。この「供奉」は、ただ宗教上の崇拝ではなく、道徳の意味も含まれている。仏教にしても、道教にしても、崇拝の対象はいずれも現世に生きた間に善行を行い、そしてその功績が認められ初めて成仏あるいは神になったもの。つまり、宗教施設で供養されることは、死者の生前の行為に対する最大の肯定であり、現在を生きる人々のお手本となるべきというメッセージを含んでいる。日本でもよく知られるのは、三国誌の中の関羽が原型となった関帝廟や、海外の華人社会で多く信仰される媽祖、孔子廟である。こうした誤認識を示す一番最近の例は、2012年靖国神社前で抗議した香港人活動家が、東条英機などの位牌を持参し、それを燃やすことによって憤慨をあらわにしたことだ。

 

これらの施設を訪ね、彼らの位牌の前で合掌して、自分の願い事の実現を祈ることは日本の神道と共通している。だがこのこと自体が「供奉」の対象の功績を認めることになる。こうしたイメージのなか、靖国参拝=戦犯の行為に対する肯定という図式が成り立ち、そして一国の首相による参拝は許されない挑発行為だと考えるのはむしろ自然なことである。

 

ただし日中の確執の激しさが増すとともに、ようやく中国でも知識の普及がもたらされた。特に安倍政権になってから靖国についての紹介文も多くメディアに掲載され、神社の中にはいわゆる位牌のようなものがないことに気づき始めたのである。「百度知道」(ヤフー知恵袋のようなもの)でさえ、最近は靖国神社に関する情報が豊富かつ正確になってきている。

 

以上のように、日中の誤解は、ただの無知から生じたものに過ぎないのかもしれないが、安倍氏による「心の問題」というような説明ではなかなか理解できないだろう。一方で靖国参拝=戦犯の行為に対する肯定という図式は、中国あるいは華人社会のみに存在する観念ではなく、国際社会ではもはや一般的になってきている。その理由は、小泉内閣期に、遊就館とその言説がますます脚光を浴びるようになったことである(田所昌幸・添谷芳秀編『「普通の国」日本』千倉書房、2014年)。遊就館に関する知識もまた、いま中国社会に浸透しつつである。靖国参拝は遊就館と無関係であるという説明は果たして成立するだろうか。参拝の正当性を主張するならば、これらの難問を解くような説明をきちんとする責任がある。

 

もうひとつ、気をつけないといけない中国社会の思い込みがある。「日本人は自らより強いものに対して服従するが、弱者を相手にしない」という考えだ。第二次世界大戦において日本人はアメリカ人に負けたから、アメリカの言うことに耳を貸すが、中韓の感情を平気に踏みにじるのは彼らに負けていないからという論理である。「百年の屈辱の歴史」に対する記憶と被害者意識はいまだに中国社会に広く存在しているため、こうした感情的な思い込みは相当強い。だからこそ、日本側の歴史認識には敏感に反応したり、それを中国に対する挑発や嫌がらせだと受け止めたりする。もちろんその背後には、戦後日本の平和主義と民主主義の定着に対する根本的な無知と不信感がある。このような認識は、いささか論理が飛んでいるが、遊就館が米紙の批判を受けて言説の一部を修正したなどの事実もまた、そうした思い込みを強める。

 

筆者は中国社会、ひいては指導層までに存在する以上のような認識の誤差は、長い間における相互認識と情報の極めて不十分な状況と、2000年代に入るとともに大量な日本に関する情報が急激に人々の手に届くようになり、民間の発言空間が生まれた状況との間の巨大なギャップによって生じた結果だと考えている。しかし幸いなことに、中国社会では人々の関心とともに知識の普及が進んでいる。また、2000年代に入ってから、東アジアとの間の歴史問題や戦争責任の再整理にさほど大きな関心を示さなかった日本社会でも、ようやくこれは日本の国際イメージの根幹とかかわる問題だと気づき始めた。

 

を知り己を知」るのは、戦争に勝つためではなく、有効な外交を展開するためだ。なぜ相手が自らのスタンスを理解できないのかを一方的に責める前に、誤解のわけを知り、それを解くための説明をしたほうが有効な外交ではないか。その意味で、安倍政権は相手を知らな過ぎたかもしれない。選びに選んだ参拝のタイミングも、なんと毛沢東の誕生日と重なっていたのだ。ただし、時代はすでに変わり、外交はますます政府の特権でも外交官だけに頼る専門分野でもなくなった。市民の一人ひとりの発言権が大きくなったとともに、背負う責任、つまり相手を知ることと自国を説明することが重要になっている。日中双方の努力が必要であるが、いまの相互無知と誤解の状況は必ず改善されると信じたい。

 

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<李 彦銘(リ・イェンミン) Yanming LI>

大学共同利用機関法人人間文化研究機構地域研究推進センター、慶應義塾大学東アジア研究所・現代中国研究センター研究員。中国北京大学国際関係学院を卒業後、慶應義塾大学にて修士号を取得し、同大学後期博士課程単位取得退学。研究分野は国際政治、日中関係と中国外交。現在は日本の経済界の日中関係に対する態度と影響について博士論文を執筆中。

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2014年4月2日配信