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エッセイ417:マックス・マキト「マニラレポート@第47回SGRAフォーラム『科学技術とリスク社会』」

2014年5月31日に東京国際フォーラムで開催された第47回SGRAフォーラム「科学技術とリスク社会:福島第一原発事故から考える科学技術と倫理」に参加した。宗教学から理系まで包括する幅広い分野の、多くの国の人々からの話が聞けて、とても興味深いフォーラムだった。僕の専門でもある経済学や出身地の東南アジア(とくに、フィリピン)の観点からこのテーマについての感想を述べたい。

 

消費者や企業の活動により、経済的な便益が発生するが、あらゆる経済活動に損失は付き物である。そのような社会のリスクに対応するための一つの重要な制度に保険がある。僕らは病気になった時のリスクを少しでも回避するために、健康保険に入る。会社も個人と同様に、回避したいリスクに対して保険をかける。

 

しかしながら、原子力発電という産業の保険に関しては奇妙なことがある。しかもあまり知られていないことかもしれない。先日のSGRAフォーラムでは、リスコミ(Risk Communicationの略)がとりあげられたが、一般市民にリスクについて丁寧な説明をすることは、原発のリスクを考えるときにも当然必要である。ところが、原発産業の保険はリスクを低下させるどころか、高める傾向がある。

 

原子力発電所は最悪の事故が起きた場合を見込んで、それによる損害を完全に賠償することを想定し、保険に入るとしよう。通常、それに必要な資金は売り上げから賄うことになるので、電気料金に跳ね返る。ドイツでは、完全な補償をするためには、保険料で電気料金は倍にあがるという試算もある。そうなると、原発は経済的な電気の供給源として成り立たなくなる。

 

そのため、どうしても原発を稼働したい場合は、部分的な保険に入るしかない。当然、最悪の事故による損害は完全に賠償しきれない。では、その場合、どのように損害賠償するのか。その時には、保険の社会化(socialization)が起きる。つまり、社会がその損害賠償を負担することになる。

 

既存の原発事故の保険が原発産業自身の予備資金や民間の保険制度で十分にカバーされていると主張する人もいるが、3.11の原発事故の場合をみても、保険は事実上社会化している。福島第一原発はドイツの保険に入っていたが、大震災ということで、賠償の対象外になってしまった。そのため、東京電力が倒産しないように、部分的に国有化され、資金が投入された。たとえ、倒産させても損害賠償は不可能である。結局、国民(日本政府に税金をおさめている日本国民と日本に住んでいる外国人)が原発事故の損害賠償を負担している。

 

このような保険の社会化は、リスクを余計に高めてしまいかねない。そのメカニズムのひとつは、いわゆるモラルハザード問題である。健康保険に入ることにより、健康管理が甘くなり美味しいものを食べすぎてしまうことはないだろうか。もうひとつのメカニズムは、原発企業にとって保険料として備えなければならない支出が下がり、その分、発電コストが下がるので、発電所の数が社会的に最適な数(たとえゼロでないとしても)を上回ることになる。つまり、原発が過剰に建設され過ぎていく。

 

以上のふたつのメカニズムは、原発事故のリスクを高めていく。モラルハザードにより、リスク管理が疎かになり、事故が起きる確率が高くなる。SGRAフォーラムで、リスク管理の専門家が、3.11の原発事故の最大の理由は東京電力の怠慢だと強調したことを思い出す。それに、原発の過剰な建設が加われば、事故が起きる確率はさらに高くなるであろう。NIMBY(Not In My Back Yard)「僕の庭じゃなければ」という方針のもとで、日本の原発は過疎地に立地されているが、東京近辺で建設される原発ほどリスク管理は厳しくないのだろう。

 

原発保険の社会化については、リスコミが急務である。先日のSGRAフォーラムでも議論されたように、社会に問いかける様々な分野の勇敢な(「出世しないことを恐れない」)専門家の議論が必要であり、そして多くの指摘があったように、その議論を上手くまとめる社会のプロセスを早く日本に作り上げなければならない。要するに、保険の社会化が行われている限り、社会を巻き込む多様な議論が当然必要なのである。

 

今年2月のSGRAマニラ・セミナーの一環として、フィリピンにある唯一の原子力発電所をSGRAの仲間たちと見学した。30年前に建設されたもので、核燃料は門まで届いたが、フィリピン国民の反対で、稼働は中止になった。僕たちが見学した時には、その原発で働くはずだったエンジニアが案内してくれた。福島第一原発に比べたら二重三重の安全なシステムが建設されたと誇りを持って説明してくれた。以前、僕もフィリピンでエンジニアとして、国家の大型で先端のものづくりと関わり現場で働いたことがあるので、案内してくれたエンジニアの誇りに、一瞬ではあるが、同情した。しかしながら、事故だけでなく、核廃棄物の処理という点においても、原発のリスクはやはり高すぎる(上記の経済学の理由も含めて)と、僕は考えている。

 

今年の5月にフィリピンで、数時間の大停電が起きた。需給が逼迫しているらしい。そこで、フィリピンで原発を稼働させようという動きがでてきそうだ。フィリピンは現在までは原発ゼロであるが、今後もそれが維持できるという保証はない。

 

日本では、3.11の直後にできるだけ早く原発をゼロにするという方針があったが、今年、原発がない長期的なエネルギー計画は無責任だという方針に転じた。唯一、僕に希望を持たせてくれるのは、日本の国民(特に原発周辺の住民)が再稼働に反対していることであり、事実上は日本も今のところ原発ゼロという状況にあることである。リスコミがちゃんと効いているかもしれない。

 

しかしながら今では、ASEANの仲間たちは原発の建設に積極的であり、その背景に日本の売り込みがあることも否定することができない。いわゆるGreen Paradoxである。

 

これからも国境を超えるリスコミが必要であろう。それでもどうしても原発を作りたいというのであれば、そういう人々またはその家族は原発・核廃棄物処理場の30キロ以内に住んでほしい。それならば僕も納得できるかもしれない。

 

【おまけ】マニラ・レポート@蓼科 2014年7月にSGRAの蓼科セミナー「人を幸せにする科学とは」に参加した。昨年と同様に面白いワークショップが行われた。そこで考えた原発に関することをスライドにまとめたので参照ください。 英語版 English Versionもあります。

 

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<マックス・マキト   Max Maquito>

SGRA日比共有型成長セミナー担当研究員。SGRAフィリピン代表、フィリピン大学機械工学部学士、Center for Research and Communication(CRC:現アジア太平洋大学)産業経済学修士、東京大学経済学研究科博士、アジア太平洋大学にあるCRCの研究顧問。テンプル大学ジャパン講師。

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2014年7月23日