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エッセイ421:高橋 甫「多様性についての再考察」

 

公益財団法人渥美国際交流財団主催の第2回アジア未来会議が8月22日から24日までインドネシアのバリで開催され、日本で学んだ経験を持つ研究者を中心に17か国から380名が参加し、アジアの未来についての討議がなされた。今回のテーマは「多様性と調和」で、学際的なアプローチを基本とした会議であることから、グローバル化、平和、公平、持続可能性、環境、コミュニケーション等に関する多くのセッションに分かれての幅広い討議となった。私は、本会議の基本テーマを取り扱った「多様性と調和」に関する3セッションに参加し、また締めくくりのセッションの共同座長を務めた立場から、会議での研究発表や討議を参考に「多様性」についての再考察を試みることとした。

 

多様性の意味を日常的な文脈で考えると、「幅広く性質の異なるものが存在すること」ということができよう。この言葉は本来、生物学の分野で使われていたようだが、今では社会学、政治学、さらには国際関係においても頻繁に使用されている。事実、多民族国家において「多様性の中の統合」は民族の統合の標語として使われてきている。今回の会議の舞台となったインドネシアは、約17,000以上の島々から成り立っており、このうちのおよそ9,000の島々に約2億2千8百万人もの人々が暮らし、約490の民族集団がそれぞれの多様な民族文化を継承している(インドネシア共和国観光クリエイティブエコノミー省公式ウエブサイトによる)。

 

この国が独立国家として誕生した時に各民族の衣装であるバティックが統合の象徴として重要な役割を果たしたとして、今回の会議ではこのテーマを扱った発表が2つ行われた。すなわち、インドネシアは、共和国としての独立に当たって、異なる民族文化に基づき異なるバティックをもつ異なる民族をまとめる一手段として、何れの民族の文様にも偏らないインドネシアとしての独自の文様のバティックをつくりだし、小中高校生や公務員の制服に採用したという。このインドネシア・バティックは今やユネスコの世界無形文化遺産に認定され、国際社会におけるインドネシアのアイデンティティの確立に貢献するに至っている。インドネシアの多様性がバティックという最大公約数により、またどの民族にも偏らない文様の採用という工夫により、とかく融合が難しいといわれる諸民族がその違いを乗り越えた事例といえよう。「服は民族のアイデンティティ」という戸津正勝国士舘大学名誉教授による「多民族国家インドネシアにおける国民文化形成の試み」と題した発表の際の指摘が印象に残った。勿論、同国の建国の背景には、植民地宗主国の存在という対外的な要因がインドネシア諸民族の団結を促し、多様性の中の合意形成のむずかしさを克服したという側面もあったことはいうまでもない。

 

グルーバル化の進展と共に、多様性という言葉も地域的な国家間協力や統合という文脈でも使われ始めている。事実、今回の会議もアジアの未来を考える上での多様性と調和が各方面から議論され、今や「多様性の中の統合」(unity in diversity)は、地域協力や地域統合にとって避けて通れないテーマとなっている。この「多様性の中の統合」は前例を見ない地域統合の深化を達成してきたEUのモットーであり、その意味するところは、「ヨーロッパ人は、EUという形態で平和と繁栄のために共生・協働し、同時に、自ら持つ多くの異なった文化、伝統、言語によって豊かにされる」こととEU公式ウェサイトで説明されている。

 

私が1980年代にブリュッセルを訪問した際に購入したお土産で今なお大事にしているものに「完璧なヨーロッパ人」と名づけられた一枚の絵葉書がある。この絵葉書は、ヨーロッパの持つ多様性を当時の15のEU加盟国の国民の性格を揶揄して逆説的にユーモラスに紹介したものだ。この絵葉書曰く、完璧なヨーロッパ人とは、「フランス人の様に車を運転し、ポルトガル人の様に技術に長け、イタリア人の様に自分を律し、デンマーク人の様に慎重で、ドイツ人の様にユーモアを言い、オーストリア人の様にオーガナイズされ、フィンランド人の様におしゃべりで、ルクセンブルグ人の様に有名で、オランダ人の様に気前がよく、英国人の様に料理上手で、ベルギー人に様に欠勤が少なく、スウェーデン人の様に柔軟で、アイルランド人の様にしらふで、スペイン人の様に謙虚な人」のこととある。今や加盟国が28に達し、関税同盟、共通通商政策、市場統合、共通通貨の導入、共通外交政策を実践しているEUは、政策分野別ではあるが主権の移譲による形での国家間の連携が可能であることを国際社会に証明している。

 

アジアにおいてもASEANという枠組みで市場統合が来年実現されようとしている。ジャカルタ空港では、EU域内同様、入国審査手続ではASEAN加盟国国民とASEAN域外の国民との間で異なった取扱がされている事実は、多様性の調和がアジアでも現実化していることを如実に示しているといえよう。今回の会議で私が共同座長を担当したセッションでは、アジアの文脈における多様性の中の統合の具体的な意味に関する質問が投げかけられた。それに対して、質問を受けた発表者からは「それぞれの国の持つ違いを認め合い、それぞれの国が独自で持つもの以上の価値を生み出すこと」との説明がなされた。これは、まさしく欧州統合のモットーと相通じるものだ。

 

第2回アジア未来会議に出席して私自身が遭遇したのが、「異なるから協働できないのか」それとも「異なるからこそ協働するのか」という命題だった。事実、世界の潮流とは異なり、地域レベルでの協力や連携が最も遅れている北東アジアや東アジアの場合、「制度的な連携の枠組み作りは無理」との意見が頻繁に聞かれる。そこで、今回の会議でイタリアと日本の児童書の比較により違いから調和を生み出す試みを紹介したイタリア・ボローニア大学のマリア・エレナ・ティシ氏のいう「違いという言葉には文化、言語、宗教といった大きな違いに限らない、小さな違いも大きな原因と成り得る……違いの克服だけでなく、これらの違いを最大限に活用することも重要だ」との言葉は多様性を考える上で示唆に富むものだ。

 

また会議では、「同じ色でも単色より複数の色で合成された色の方がより深みのある色調を醸し出す」といった指摘もなされた。日本への帰国後、私の友人である音楽家にアジア未来会議の議論内容を紹介したところ、「音楽の世界では多様性の調和は基本中の基本です」と一蹴された。 この音楽家曰く、「オーケストラは異なった楽器の調和の集大性」とのこと。 ただし、この音楽家は「それには素晴らしいリーダーとしての指揮者の存在が絶対要件」との指摘も忘れなかった。 多様性を国際的文脈で再考する上でこれまた気になる指摘である。多様性の持つ多用性あるいは他用性といったところであろうか。

 

そして、多様性をアジアという地域的文脈で論じる場合、私は地理的近隣性という側面への配慮も重要であることを敢えて強調したい。隣国あるいは近隣国であるがゆえに避けて通れない関係がそこには否定し得ない事実として存在している。多様性を論じるに際には、隣国との関係を積極的に捉えるのかそれとも消極的に捉えるかという姿勢の視点も重要な意味を持つように思えてならない。

 

第2回アジア未来会議は、多様性とは何かを再考察させるとともに、北東アジアの文脈では関係国の国内政治要因が、また東アジアの文脈では一部の国家間の主導権争いが、地域的な連携の制度的枠組作りの障害となっていると再度認識した機会ともなった。

 

 

英語版エッセイはこちら

 

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<高橋甫(たかはし・はじめ)Hajime Takahashi>

SGRA参与、公益財団法人日本テニス協会常務理事 1947年生れ、東京出身。1970年:慶応義塾大学法学部法律学科卒業。1975年:オーストラリア・シドニー大学法学部修士。1975年~2009年:駐日EU代表部勤務、調査役として経済、通商、政治等を担当。2007年~2012年:慶應義塾大学法学部非常勤講師(国際法)。2013年1月よりEUに関するコンサルタント会社であるEUTOP社(本社ミュンヘン)の東京上席顧問。これまでにEU労働法、EU共通外交安全保障政策、EU地域統合の変遷と手法に関して著述。

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2014年9月10日配信