SGRAかわらばん

エッセイ374:シム・チュンキャット「21世紀のアジアの教育を考える」

(第1回アジア未来会議報告#5)

 

華麗な手さばきでiPhoneやiPadをいじる子どもを電車の中でよく見かけます。鮮やかだな~と感心する傍ら、彼らのこの優れた指技と能力を学校の現場で活かさなければ、もったいなすぎるといつも思います。今の子ども達を取り巻く成長環境が大人世代のそれとは大きく異なることは想像に難くありません。つながろうと思えば、見知らぬ人ともつながることができますし、調べようと思えば、わざわざ出かけなくても部屋の中で多くの情報を容易に入手することができます。その良し悪しはともかくとして、既成の観念と枠組みや従来の常識がおそらく今後も次々に打ち破られていく、そういう時代に移ったと認めなければなりません。そして、学校教育が子ども達の未来のための材料づくりを担う役割を果たすのであれば、なおさら変わらずにいられるわけがないと思って、2013年3月にバンコクで行われた第一回アジア未来会議では「21世紀に向けたアジアの教育の在り方を考える」というセッションを組みましたが、この僕の狙いと期待は見事に裏切られました。未来志向の教育を目指すその前に、現存する学校教育制度には問題が山積しており、その解決が先であることを僕は4名の発表者に教わったのです。同じセッションに分野や専門などを異にする研究者が集まるアジア未来会議であるからこそ、視点の違う立場からある共通のテーマについて議論することができました。ということで、2ヶ月程遅れましたが、僕が座長を勤めたセッションで行われた発表と主な議論の余韻を少しでも皆さんにお届けできればと思って、以下に簡単にまとめました。

 

まず、青山学院大学大学院の中西啓喜氏がシンガポールとの比較を通じて、日本における商業科高校の変化と課題を検討しました。同氏によれば、近年日本の商業科高校には社会階層上位層の子弟が入学しており、また就職指導よりも進学指導が実施されるようになってきた、という変化が見て取れるといいます。換言すれば、生徒の手に職をつけるという職業教育の本来の目的から離れ、日本の商業科高校の職業教育機関としての不明瞭さが増してきているということです。アジア各国で大学進学熱が高まるなか、職業教育の存在意義の再考および新たな役割の認識が求められている現実が浮き彫りになりました。

 

つぎに、東京大学大学院の李スルビ氏は、同じ学校の生徒でありながら、使われる教科書と教育内容によって歴史認識が大きく変わるという事例研究の結果を発表しました。李氏がフィールドワークを行った東京韓国学校において、日本の大学への進学を目指す「Jクラス」の生徒と、母国の韓国に帰国して進学を希望する「Kクラス」の生徒とでは、使用する歴史教科書の視点と内容が異なるため、日韓関係史に対する認識が進路によって大きな隔たりが生じていることが示されました。アジアにおける歴史認識の問題がクローズアップされている昨今、歴史という教科の学びと意義および教科書の在り方がいっそう問われていると李氏は問題提起をしました。また、李氏のこの興味深い発表はこのセッションでの優秀発表賞(Best Presentation Award)に選ばれました。

 

続いて、上越教育大学の堀健志氏は、最初の発表者である中西氏と同様に日本とシンガポールとの比較をもとに、学力面で下位に位置づけられる高校生に焦点を当てることによって、グローバル化の影響で何らかの不利と困難がもたらされた子どもへの対応について検討しました。堀氏によると、現代社会では自分の人生をどう生きるかを自ら決定することが求められる「個人化した状況」が生み出されているにもかかわらず、日本の下位校生徒の多くは、社会に出ることに対して不安を抱いており、自己有能感も低く、そのうえ今の学校生活から将来像を描くことができずにいます。社会や将来に対する若者の不安と不満が、過度にナショナリスティックな姿勢に結びついてしまわないためにも、そうしたネガティブな感情を抱かずにいられる状況を作り出すことが、本人たちの未来にとってもアジアの未来にとっても極めて有益であると訴えました。問題解決に向かう道の一つとして、同氏はシンガポールのように完成教育としての職業教育を若者に提供すること、また職業教育を受けたとしてそれが生かされる職を用意することが重要であると提案しました。なお、これらの知見をまとめた堀氏の大会論文は優秀論文賞に選ばれたことをここで記しておきます。

 

最後の発表者は、きれいな関西弁日本語を駆使するにもかかわらず、なぜか英語で発表をすることにした同志社大学のラフマン・シャフセインリ氏でした。シャフセインリ氏は、初等教育における平和教育の重要性を強調しつつも、その導入と実施がアゼルバイジャン、アルメニアおよびグルジアの三国からなる南コーカサス地方において困難を極めていることを明らかにしました。紛争が長く続いたこの地域において、学校教師の多くが実際に戦争を経験しており、若かった頃に憎むことをひたすら教わった教師達がいかに平和について教えるかが大きな課題となっていると報告しました。子ども達のための「寛容教育(Tolerance Education)」がつい4年前の2009年に始まったばかりのアゼルバイジャンは、同じく悲惨な戦争を経験し、その後平和憲法を守り続けてきた日本から多くのことを学べるはずであるとシャフセインリ氏は最後に提言しました。

 

以上で紹介した通り、また冒頭でも述べたように、僕が座長を務めたセッションにおける4つの発表内容は良い意味で多岐に及んでおり、未来の教育に向けての現在の課題が多く指摘されました。言うまでもなく、未来と現在は陸続きになっており、いま現在の教育問題への解決について議論することは、結局のところ未来に向けた教育を考えることにもつながるのだということを、バンコクで改めて気付かされた次第です。「未来」を照らすためには、やはり「現在」という鏡が必要不可欠なのですね。

 

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<Sim Choon Kiat (シム チュン キャット) 沈 俊傑>

シンガポール教育省・技術教育局の政策企画官などを経て、2008年東京大学教育学研究科博士課程修了、博士号(教育学)を取得。昭和女子大学人間社会学部・現代教養学科准教授。SGRA研究員。著作に、「リーディングス・日本の教育と社会--第2巻・学歴社会と受験競争」(本田由紀・平沢和司編)『高校教育における日本とシンガポールのメリトクラシー』第18章(日本図書センター)2007年、「選抜度の低い学校が果たす教育的・社会的機能と役割」(東洋館出版社)2009年。

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