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エッセイ386:角田英一「『3・11』『ふくしま』から考える」

崔勝媛さんのエッセイ「日本の科学、そして世界化について」を興味深く、また共感をもって拝読しました。と書くと硬くなってしまいますが、「僕と同じことを考えている!」とうれしくなって読んだ、と言うのが本音です。

 

《大学の「自死」》

 

現在、大学のグローバル化と留学生をめぐって、「『学』と『知』の魅力」「産業の魅力」「生活環境の魅力」「歴史・文化の魅力」などの議論が行われていますが、「『学』と『知』の魅力」を語るべき大学人の意識、思考力の欠如と視野狭窄に愕然とさせられます。崔さんが書いている「研究者に研究し続けさせる原動力は、純粋な好奇心から出るものである。物事の根本に対する深い考えがあってからでこそ、横への広がりも生まれてくると思う。」というような、「知のありよう」に関する本質的な問いかけや議論を公式の場でできない大学人とは、何なのでしょうか?当然のことながら、大学人の多くは、自らこうした問いかけをしているのでしょうが、公式な議論の場には出てきたがらない。逃げる。あるいは封殺されて出てこられない。「知のありよう」を考え、新しい知を創造する拠点としての大学の「自死」とも言える状況が蔓延しています。

 

《大学のグローバル化戦略とアメリカ型グローバル資本主義》

 

大学のグローバル化、グローバル人材育成という課題の下には、アメリカ型グローバル資本主義のもとでの国際競争という背景があります。さらに、地球社会全体に蔓延したアメリカ型グローバル資本主義の根底には、旧態依然とした西洋型近代主義、経済成長至上主義のイデオロギーがあります。ローマクラブが「成長の限界」を発表してから40年がたち、地球大の人口爆発からもたらされるエネルギーの枯渇(現在の原発問題もこの文脈の延長線上にあります)、貧困の増大と食糧の枯渇、環境破壊等々、地球社会の危機的な状況が急速に進展している今日、西洋型近代主義、経済成長至上主義に依拠し、その究極の形態であるアメリカ型グローバル資本主義が、今後数十年にわたって生き長らえて行くのでしょうか?その基盤となっている「科学・技術のあり方」はこのままで良いのでしょうか?

 

《千年前のアラビア科学の発祥に学ぶ》

 

崔さんは「日本の科学」をテーマとしてお書きになっていますが、本質には、現代における「科学とは何か?」、「知のありようとは、何か?」についての問いかけをなさっているのではないでしょうか?とは言っても、「科学とは何か?」、「知のありようとは何か?」に答えることは、いかなる天才でも簡単なことではありません。直接的に答える以前に、共に考える「場」を設定することが必要です。

 

8世紀から12世紀まで、バグダッドを中心にして「アラビアの科学」が勃興し、その後、レオナルド・ダ・ヴィンチを始めとするヨーロッパのルネッサンスの生成に大きな影響を与えたことはご存知の方も多いと思います。アラビア科学の発祥にあたって、アラビア科学を担ったのはアラビア・イスラムの学者ではなく、その大部分が当時の辺境であったトルコ、ペルシャ、更にはインドや中国からバグダッドに招かれた学者や翻訳家でした。(伊東俊太郎著「近代科学の源流」等参照)当時の版図による「世界中」からもたらされた、多様な科学、文化、知識の集積、特に翻訳文化の上に、成立したのが「千年前のアラビア科学」です。正に、一握りの天才ではなく、多様な文化背景や知識を持った大量の学者や翻訳家の集積の上にアラビア科学が発祥したと言われています。新しい「知のありよう」を探り、紡ぎ出すためには、多様な文化背景や知識を持った大量の学者や翻訳家が集まる「場」が必要なのです。

 

ここまで書くと、「チョッと待てよ、SGRAは正にそうした『場』ではないのか?」と思い始めました。SGRAには、アジアだけでなくアメリカ、ヨーロッパや最近ではラテンアメリカ、アフリカまでの、多様な留学生、学者が集まっています。こうした多様な文化背景や知識を持った大量の学者が集まり、多様な知識を持ちより、自由に議論する「場」は、他にはない貴重なものなのです。

 

《「3・11」、「ふくしま」の現場から考える》 とは言っても、ただ集まって自由に議論していても議論の基盤が見えてはきません。日本が直面している「3・11」と「ふくしま」は新しい「知のありよう」を模索する上での重要な契機を提供しています。「3・11」では、自然の驚異の前に人間はいかに無力であるか、を思い知らされました。「ふくしま」では、科学・技術、あるいは科学技術の専門家への根源的な疑問や疑いが生まれています。科学・技術信奉の基盤の上に成立している西洋型近代主義、経済成長至上主義、国民国家主義などが崩壊しつつある今日、「3・11」と「ふくしま」は、現代の「知のありよう」に大きな方向転換を迫るものではないでしょうか?

 

1755年のリスボン大地震の災禍は、ヴォルテール、ルソー、カントなどの哲学に強烈な衝撃を与え、18世紀のヨーロッパ啓蒙思想に強い影響を与えたと言われています。「3・11」と「ふくしま」には、それと同様あるいはそれ以上のインパクトが内包されています。SGRAでは、毎年福島県飯舘村でのスタディーツアーを行い様々な議論をしています。こうした現場を訪れ避難村民の方々の生の声を聴きながら「日本の社会が、また科学がどういう答えを見つけて行くのか」その姿を世界に発信して行くことこそが、「日本なりの世界化」への一歩ではないでしょうか。

 

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<角田英一(つのだ えいいち) Tsunoda Eiichi>

渥美国際交流財団理事、アジア21ネットワークス代表、Global Voices from Japan事務局長。

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2013年9月18日配信