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エッセイ391:フリック・ウルリッヒ「ドイツから見える日本」

日本留学を終え9月にドイツに帰国した後、ドイツから日本がどのように見えるかについてのエッセイを依頼された。日本滞在中は、ドイツ語によるメディアに触れる機会がとても限られていたため、ドイツで日本がどのように報道されているかを知ることは難しかった。また、ドイツを離れている間に、メディアが伝える日本のイメージに変化が起きたかどうかもあまり詳しくは分からない。それゆえ、これから述べることは、あくまでも私の主観的かつ個人的な意見として受け取って頂きたい。

 

ドイツ人が日本をどう見るかと言えば、まず日本の「遠さ」を取り上げなくてならないだろう。ドイツ人にとって、日本はおそらく非常に遠い存在である。日本人の間では、ドイツと日本は、第二次世界大戦中に同盟関係であったという意識が今でも割と存在しているようだ。しかし、ドイツ人の間では、そのことは忘れ去られたことではないものの、当時の歴史はとても暗い歴史であるため、三国同盟などに関連する事柄をことさら取り上げることはまずない。それゆえ、日本とドイツが歴史的につながっているという意識がドイツ人の間で低いのは当然である。

 

もちろん、日本製の車や電化製品は、ドイツでも日常生活に欠かすことができないものになっている。そのため、日本はテクノロジーがとても発達している国というイメージが強い。1970年代、ソ連で製作された『ソラリス』というSF映画は、日本が撮影の場所になっていたことを思い出す。テクノロジーの発達や、日常生活の機械化などの面から見て、ドイツにおける日本のイメージは、もしかすると今でも少しSF的な色彩を持っているかもしれない。日本と聞いて、ドイツ人が普通に思い浮かべる風景はおそらく世界遺産として選ばれた富士山よりも、新宿や六本木のような高層ビルが乱立する場所であり、それは先に取り上げたSFのような日本のイメージをさらに強化するのである。

 

残念なことに、ドイツのメディアにおける日本についての報道はきわめて偏っているというしかない。日本は変わった趣味を持つ国であり、日本が登場するニュース以外、メディアが取り上げるのはあくまで日本の変わった部分である。そのようなイメージを多くのドイツ人が持っている。私自身はこのような日本の描き方に強い反感を抱いているが、この種の偏った国の描き方はおそらくお互い様だろう。例えば、数年前、日本のある航空会社が東京からミュンヘンへの直行便を始めた時に、延々と続く飲み会のイメージでドイツを売り込もうとしていた。ドイツもビールとソーセージだけではなく、複雑な文化を持っている。日本もドイツも相手が持っている一方的なイメージに対して文句は言えないだろう。文化に関心を持つ人にとっては、日本仏教の禅や石庭といったものが日本のイメージになっている。総じて言えば、日本製のテクノロジーに日常的に触れているとはいえ、日本はドイツ人にとって遠い存在であり、ドイツ人が持っているぼんやりとした日本のイメージには矛盾点が多い。

 

しかし、日本についてのイメージでは、最近、悲しい点が一つ増えた。それは福島の原発事故である。東京が2020年のオリンピックの会場に選ばれた際、日本はドイツから遠く、ドイツではニュースにすらならなかったのではないかと聞かれた。しかし、スポーツに情熱を傾けるドイツでは、そのようなことはあるはずがない。そして、ドイツでは東京オリンピックに関連して福島が話題になった。

 

まず、なぜドイツ人がそれほど福島にこだわっているかについて述べなくてはならない。鉄のカーテンの西側では、ドイツはおそらく一番直接にチェルノブイリ原発事故の影響を受けた国の一つだろう。私の子供時代までさかのぼるが、私も「雲」が通った時の屋外活動の自粛や汚染のため砂遊びが禁止されたことなどを体験した。私の世代以上のドイツ人は皆このような経験と記憶を持っている。25年以上たっているものの、今でも放射能汚染が基準を超えているため、キノコの採集や狩の獲物の消費が禁止されている場所もある。このような経験をもとに、ドイツでは強い反原発運動が形成され、それは反原発文学のような文化活動にまで発展している。その代表的な存在は後に映画化された『雲』(日本語訳で『みえない雲』)という小説である。学校で読んだ人も多く、知らない人は殆どいないと思う。ドイツ語では、『雲』ほど原発事故への恐怖を表現する言葉はおそらくないだろう。

 

私自身もドイツ人として当初から、日本政府及び日本人の事故への対応の甘さに強い違和感を持ち、そしてそれは今でも続いている。オリンピック会場の選出の件に限らず、日本について語る時には福島が話題にされることが多い。日本についてのニュースでは、福島についてのものが著しく多い。遠いゆえに、日本国内の事情はそれほど注目されないが、福島において新たな問題が起きた場合、ドイツのメディアはそれにきわめて敏感であり、すぐに反応する。このような現象は決してドイツに限らないと思う。福島の原発事故は日本国内のみならず、様々な意味でグローバルな問題でもある。日本政府が「日本を取り戻す」というスローガンをいくら掲げても、まず原発事故の問題を速やかに解決し、国際社会の信用を取り戻さない限り、おそらく取り戻せるものは一つもないだろう。

 

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<フリック・ウルリッヒ Ulrich Flick>

ドイツ・ハイデルベルク大学東アジア研究センター博士課程。2001年、中国研究と日本研究を専攻としてハイデルベルク大学修士課程へ入学。北京及び東京留学を経て、2009年修士課程を卒業。同年、博士課程へ入学。2010年後期より2013前期まで早稲田大学外国人研究員。

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2013年10月30日配信