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エッセイ334:包 聯群「中国の都市化に伴う教育の「行方」:田舎の子供たちの教育や安全問題をめぐって」

2012年3月上旬からおよそ3週間をかけて、中国黒龍江省を中心とする危機言語のフィールド調査と、内モンゴルの通遼市を含む学校教育およびバイリンガル教育の実態についての調査を行った。今回の調査を通じて、筆者は中国の多数の地域において現在実行されている教育の在り方について疑問を持ち始めた。特に出稼ぎ労働者の子供たち――「帰郷」生徒と田舎(“郷・村”)で暮らしている児童たち――の教育問題である。

 

農民工は、都市を建設する主要な労働力として、建設業、サービス業などの多分野にわたって中国の都市化に大きく貢献している。しかしながら、このシステムは、彼らの言語や文化を変化させるだけでなく、個人的、家庭的、あるいは社会的に大きな犠牲を強いている。というのは、多くの人が単身赴任、あるいは夫婦2人とも出稼ぎ労働者として大都市へ長・短期的に移住し、多くの子供たちが親と離れて暮らさざるをえないためである。

 

迅速な経済発展を遂げている中国では、子供の教育や安全の面において、さまざまな問題が起きていることを、いくつかの事例を通して皆様とともに考えてみたい。

 

【事例1】夫婦ともに出稼ぎ労働者として大都市に来て、経済的にある程度安定すると、子供たちを呼んで学校に通わせる事が多い。しかし、大学受験が近づくと、子供たちは必ず戸籍がある故郷に戻り、そこで大学を受験しなければならない。というのは中国では、戸籍制度があるため、日本のように移住地を長期居住地としてすぐに登録することができず、戸籍がない移住者は「市民」としての待遇を受けられないからである。大学を受験する子供たちは両親と再び別れて故郷へ戻ることになり、「人人平等」の社会であると教えられてきたのに「なんで」という疑問を抱く。黒龍江省泰来県のある中学校を見学した時、「単身」で帰郷した子供たちに出会った。教師によると、この学校では、多言語教育を行っているが、帰郷した生徒たちはある科目をまったく学んでいないため大変だという。学習環境、人間環境が変わるのみでなく、授業にさえついていけなくなる問題が生じ、子供たちにとって大きな負担となっている。

 

【事例2】泰来県の県庁所在地で行った学校教育の調査では、「留守児童」について、学校の先生に事例を話してもらった。この学校は経済的に恵まれていないので、パソコンが数台しかなく、寄宿している児童・生徒にネットサービスを提供できる環境はなかった。農民工の子供たちの問題に関心を寄せ、「献愛心」(愛を注ぐ)活動をしている団体がこの事情を知り、パソコンとビデオカメラ付きの機器を2台ずつ送ってくれた。そして、彼らがこの学校を視察に来た際、「留守児童」を遠く離れている両親と会話させてくれた。その際、「留守児童」は両親の姿を見てずっと泣いていたという。この学校には、このような「留守児童」が大勢いて、その教育をすべて学校に頼るしかないという。

 

一方、数年前から中国では都市化政策に伴い、大規模学校併合が実行され、今はさらに加速されている。本来「村」にあった学校が廃校になったため、「郷村」の児童たちが両親や育った環境から離れ、学校あるいは他人の家に寄宿する現象が多く見られるようになった。

 

このような教育の良いところもたくさんある。「人」を集中させ、条件が良い「現代化」された学校で教育を受けさせることは、児童・生徒にとって「倒れそうな校舎、設備が遅れている」学校で学ばせるより恵まれていると言える。また資源の節約という視点からみても物的・人的資源の節約に繋がり、合理的であるように思われる。

 

しかし、その欠点も少なくはない。多人数クラスの子供たちの個性教育問題、寄宿管理・「寮母」の質の問題、学校移転によって教育を受ける基本権利を失う子供が出てくる問題、児童・生徒の安全管理の問題などである。

 

【事例3】2009年の調査によると、黒龍江省肇源県における3つのモンゴル族郷には、それぞれ1つの学校しかない。即ち、6~7校以上あった村の小学校をすべて「郷」(中国の県より下位の行政単位)政府の所在地に集中させ、そこに高い「ビル」を建て、教育を集中して、授業を行っていた。「田舎」からきた子供たちの多くは学校で寄宿していた(写真参照)。

 

【事例4】ドルブットモンゴル族自治県の調査で行ったある中学校には400人近くの生徒がいて、校舎も立派で、校庭も広い(写真参照)。しかし、校長の話によると、来年から県庁所在地に移転しなければならないという。それは県庁所在地に「学府城」を建設するため、即ち、学校を一地域に集中するためだという。なお、県庁所在地はここから100キロ近くも離れているところにある。それにも関わらず、移転の運命から逃れることができなかった。ある先生は、子供は寄宿させ、自分は週何回か通うしかないと言っていた。

 

【事例5】内モンゴル通遼市で調査した小学校では、1クラスの生徒数が66人で、教室をびっしり埋め尽くしていた(写真参照)。66人の子供を一つの教室に座らせるのは、優れた教育環境とは到底言えない。わずか40分の授業で個々の児童の習得度さえ確認できない状況である。その中の一部の児童のみが名札を付けていた。不思議に思って聞いてみたところ、それは他の地区からきた寄宿児童であった。自宅が学校のある地区にある児童は1クラスに2、3人しかいないという。調査を終えて学校を出る時、名札を付けた児童たち20~30人を、1人の女性(「寮母」)が整列させて寄宿舎へ歩きだしていた。教師たちから聞いたところ、この児童たちの寄宿条件は良好とは言えないという。

 

【事例6】学校の移転(あるいは廃校)により、教育を受ける基本権利を失う子供たちが出てきている。ドルブットモンゴル族自治県、肇源県、泰来県などにおいては、農村にある多くの学校が廃校されたため、十何キロも離れている学校に行かなければならない。経済的にそれほど余裕がない家庭が子供を学校に送り出すことを断念せざるを得ないことも発生している。義務教育とは言え、寄宿生として、宿泊費や食事代などを払うことで、家庭にかなりの負担をかけることになるからである。

 

それでは、出稼ぎの父母とともに都会へ「留学」した子供たちの教育条件はどうだろう。日本では想像しにくいことが中国で最近頻繁に起きている。例えば、云南網(網易)によると、本来19人乗りのバスが70人も乗せたために、ドアが開かなくなった。やむを得ず、小学生たちはバスの窓から飛び降りている(写真参照)。これらの小学生は雲南省蒙自市に出稼ぎ労働者としてきた農民たちの子供たちで、「外来の人」であるため、定員に空きのない近隣の小学校には入学できず、郊外にある小学校に通わせているという。

 

また、昨年11月に中国甘粛省で発生したスクールバスの事故を覚えている方もいるだろう。9人乗りのワゴン車を改造し、座席を取り外して幼稚園児64人を詰め込んだバスが事故を起こした。運転手は制限速度オーバーで逆走してトラックと衝突した結果、21人が死亡した。

 

その後もスクールバスの事故が怖いほど続出した。事態を重く見た温家宝首相は「スクールバス安全条例」の制定を指示した。しかし、それが現場でどこまで実行されているのか疑問である。というのは、事故がまた続々と発生しているからである。2012年4月4日には、山西省運城市にある中学のスクールバスが火災に遭い燃え尽きた。幸い、運転手が生徒たちを安全に避難させることができた(写真参照)。

 

以上、学校教育におけるいくつかの問題について事例を通してみてきた。 子供の教育について、「親の背を見て育つ」という日本のことわざを思い出していただきたい。子供は親の影響を受けやすく、親からの日々の教育を受けて育つ。インタビューを受けた先生の1人は、「教師や寮母などは、子供たちが育つ環境に「厳しい人」ばかり」であるという。子供は、「親」、「自宅」というリラックスできる環境を失い、まだ自己管理もできていない状態で親から遠く離れて、これで本当によいのだろうか。そもそも、国、そして「大人」が子供の人権を考えているかどうか、尊重しているかどうか、という問題が根底にあると思う。生徒・児童たちの教育や安全は大丈夫なのか、将来の社会問題にならないのか――さまざまな疑問が筆者の頭からなかなか離れない。

 

関連する写真を覧ください。

 

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<包聯群(ボウ・レンチュン)☆ Bao Lian Qun>
中国黒龍江省で生まれ、内モンゴル大学を卒業。東京大学から博士号取得。現在東京外国語大学AA研研究員、中国言語戦略研究センター(南京大学)客員研究員、首都大学東京非常勤講師。危機に瀕している言語、言語政策などの研究に携わっている。SGRA会員。
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2012年5月2日配信