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エッセイ336:林 泉忠「金正恩の『暴走』を中国の責任にすべきか?」

「金 正恩による『脱中国属国化の賭け』」

 

(原文は『明報』(20012年4月2日付)、および中国のブログ「鳳凰網(ifeng.com)」に掲載。朱琳訳)

 

金正日の逝去から3ヶ月経ったが、若い「金三世」が「金氏王朝」を無事に継承できるのか、国際社会が北朝鮮の成り行きを注目している中、金正恩が人工衛星と称する「光明星3号」(ミサイル搭載)の打ち上げを強行した。その知らせに接した米・日・韓は驚きを隠せず、直ちに緊迫状態に入った。一方、中国も深い憂慮の意を表している。

 

ところで、金正恩の今回の行動はどう読むべきなのか。それはまさに「一石三鳥」の策略と言えよう。まず、対内的には、父親の「先軍政治」の路線を継承する意志を示し、自らの統治能力および正当性をアピールすること、そして対外的には、今回の発射を来たる6カ国会談などにおいてアメリカとの交渉のカードにすること。さらに、金正恩は今回の行動によって北朝鮮に対する中国の影響力を低下させようとする狙いがあると筆者は見ている。

 

周知にように、中国と北朝鮮はかねてから特殊な関係にある。60年前に両国は、朝鮮戦争の戦場における血みどろの戦いのなかで比類ない「兄弟の絆」を築きあげた。金正日の時代に両国の関係はつかず離れずであったが、1961年に締結された同盟関係並みの「中朝友好協力互助条約」はいまだに破棄されていない。金二世の末期、一年に三度も北京を密かに訪問し、若い金三世への支持を求めたことは、あたかもかつての「華夷秩序」の現代版のようである。少し前の琉球やベトナムと同じく、日清戦争の前、朝鮮は中国という「天朝上国」の属国であり、朝鮮国王が交代するたびに必ず中国皇帝からの「冊封」を受け、統治の正当性を獲得していた。

 

しかし、周知の通り、金正日の時代から、北朝鮮はもはや中国の言うことを聞かなくなってきた。だが、北朝鮮の崩壊は中国の利益にならないことを北京はよく知っている。そのために、この見かけ倒しの隣国を支えるしかない。その一環として、今年の2月下旬から、中国は北朝鮮に対し6億人民元に上る援助を始めた。しかも、今回の援助はいままで行なわれてきた融資や双方の物質交換と異なり、完全な無償援助で、「中国の対朝鮮支援における『史上最大規模の無償経済援助』だ」と言われているのである。しかし、金三世は金二世と同じく、北朝鮮に対する中国の政策が急変しないことをよく知っており、「裏切り」という危険な賭けをし続けている。

今回、北朝鮮が急進的に衛星発射を強行したのは、明らかに中国という「後見国」に対して、目に物見せようとしている。しかし、金三世による「脱中国属国化」の試みが果たして成功するかは、この危険な賭けに関わる各国の力関係次第である。ただし、金正恩が一歩間違えれば、北朝鮮は永遠に元に戻れない局面に陥る恐れが十分あることは間違いない。

 

 

「金 正恩の『暴走』を中国の責任にすべきか?」

 

(原文は『明報』(20012年4月16日付)および中国のブログ「鳳凰網(ifeng.com)」に掲載。朱琳訳)

 

相変わらず、北朝鮮は国際社会からの圧力を無視し、ミサイルを発射した。

 

相変わらず、アメリカ主導の国連は急いで北朝鮮に制裁をかける決議案を練っている。

 

また、予想どおり、相変わらず、中国が安保理で賛成票を投じなかった結果、国連の制裁案は通らなかった。これこそ北朝鮮が「暴走」するたびに繰り返される国際社会の反応のパターンなのである。

 

金正日時代から金正恩時代へ、常識はずれと言っても過言ではない北朝鮮は、過去20数年の間、国際社会を震撼させる事件を次々と起こした。かつてのラングーン事件、大韓航空機爆破事件、日本人拉致事件から、まだ記憶に新しい核実験、韓国哨戒艦沈没事件、延坪島(ヨンビョンド)砲撃事件まで、数多くあった。朝鮮の「暴走」は20数年間繰り返されているが、問題はなぜ国際社会はそれを阻止することができなかったのかということである。

 

アメリカ、日本、韓国を含む西側諸国では、その原因を北朝鮮に対する影響力を保持しながら、その暴走を容認する中国の姿勢に帰する声が、かねてから指摘されている。しかし、国際社会は平和と正義を追求する一方、各国がそれぞれの国家利益を追求することも許容している。中国にとって、北朝鮮は米日韓三国軍事同盟を牽制する緩衝地帯であるため、言うことを聞かない北朝鮮ではあるが戦争さえ起こさなければ、金氏王朝のままで中国の国家利益に合致するのである。

 

国際社会が各国の国家利益追求を許容するのは、主権概念の確立と深くかかわっている。今日、我々が認識している国際社会は、17世紀のヨーロッパに起源を持ち、個々の主権国家からなっている。主権概念の基本精神は、すべての主権国が外国からの干渉を受けないという権利を尊重し、自らの国家利益を追求することを認めている。主権干渉の排除という原則のもとで、たとえ某国の独裁政権が自国の民衆を虐殺したとしても、この国の権力者は、国連によるPKOの派遣と駐在を含め、他国からの干渉を拒否することができる。これこそ第二次世界大戦後国際組織が大いに発展したにもかかわらず、あちこちで発生した暴力や悲劇などに対して、国際社会がなかなか阻止する良策が採れなかったことの主要な原因なのである。1970年代のポル・ポト政権下のカンボジア大虐殺も近年のスーダンの悲劇もそうであった。

 

一方で、20世紀、とりわけ第二次世界大戦後の発展を経て、今日、主権概念はすでにボトルネック状態に入っている。周知のように、「主権」を発明したヨーロッパはすでに「脱主権国家」のEU時代に突入し、パスポートなしの渡航をはじめ主権を一部棚上げにすることが実現している。グローバル化が進む今、国をまたがる平和共存、国際社会の共通利益、そして普遍的価値観を共有することが新しい時代に求められている。こうした過渡期において、国家の暴走や国際正義を無視しもっぱら国家利益を追求する行為などが受ける圧力も、日に日に増加しているに違いないだろう。

 

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<林 泉忠(リム・チュアンティオン)☆ John Chuan-Tiong Lim>
国際政治専攻。中国で初等教育、香港で中等教育、そして日本で高等教育を受け、2002年東京大学より博士号を取得(法学博士)。同年より琉球大学法文学部准教授。2008年より2年間ハーバード大学客員研究員、2010年夏台湾大学客員研究員。2012年より台湾中央研究院近代史研究所副研究員。
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2012年5月16日配信