SGRAかわらばん

エッセイ342:シム チュン キャット「日本に『へえ~』その11:注意放送大国日本!」

日本に来たばかりの頃、出かけるときに一番よく耳にした日本語といったら、駅で電車を待つたびに聞こえてくる、あの「間もなく電車が参ります。危険ですから、黄色い線の内側まで下がってお待ちください」という注意放送でした。日本語がまだ十分に分かっていなかったことに加え、シンガポールの地下鉄の駅ではこんな長い放送があまり流れないので、「何事か?危険?何が参るの?」と最初は緊張して聞いていた記憶があります。もちろん、慣れてくると何のことはありませんでした。普通に電車が来ただけでした。常識的なことをなんでいちいち注意するのかなと疑問に思っていた、あの頃の初々しかった自分が愛しいです。なぜなら、こんなのはまだ序の口で、日本語がだんだん理解できるようになるにつれ、注意放送が日本社会のありとあらゆる場面で氾濫していることが分かったからです。

 

注意放送については、日本の電車は特に親切です。電車が接近するときの「参ります」だけでなく、停車した後でも「ホームと電車の間が一部広く開いているところがあります。足元に十分ご注意ください」という優しい声が流れたり、発車する直前でも「発車間際の駆け込み乗車は大変危険ですから、無理なご乗車をなさらないようお願いいたします」といろいろ「危険」を注意してくれたりします。さらに、荷物を持っていれば「お忘れ物をなさらないよう十分ご注意ください」と、雨が降れば「傘のお忘れにご注意ください」とあったりもして、小学生だった自分が登校する前にいろいろ注意してくれた母のことを実に懐かしく思い出させてくれます。

 

もちろん、注意放送は電車や駅の中にとどまりません。エレベーターに乗れば、「ドアが閉まります」「上に参ります」「3階です」と、多くのエレベーターは自分の動きと働きを細かく予告放送してくれます。エスカレーターはもっと丁寧です。「ご利用の際は、危険ですから手すりにおつかまりのうえ、黄色い線の内側にお乗りください。尚、小さいお子様をお連れのお客様は、どうぞ手をおつなぎください」と、乗り方だけでなく、親子の「絆」にまで気をかけてくれます。ただ、注意があまりにも長いので、全部聞き終わらないうちに降りてしまう場合が多いことがちょっと残念です。それから、銀行のATMでお金を引き出すときも、「現金をお取りください」や「カードのお取り忘れにご注意ください」と、間髪をいれずに現金とカードの引き抜きを繰り返し注意喚起してくれます。でも、その催促のスピードが速すぎて音声も大きいので、かえって慌ててしまって手順を間違えたりする場合もあります。また、機械音声のほかに、最近では生の人間による注意アナウンスも増えてきましたね。気温がちょっと下がると、テレビのアナウンサーが「お出かけの際は、昨日より1枚上着を羽織ってお出かけください」や「風邪を引かないよう、今夜は暖かくしてお休みください」と思いやりのある注意を払ってくれたり、暑くなると「今日はTシャツ1枚で十分でしょう」や「こまめな水分補給を心がけましょう」と服装の提案と飲水の指導までしてくれたりもします。どこもかしこも本当に優しさに溢れてはいますが、何か過剰すぎておかしくはないかと首を傾げてしまうのは僕だけでしょうか。

 

何なんでしょうね…。この国の人々はいつもボーっとしているということですかね。注意されないと、無理な乗車をしたり、電車とホームの間に開いた隙間に落ちたり、荷物を忘れたりする人が続出するのでしょうか。注意されないと、エスカレーターの乗り方も分からなかったり、お金を引き出すために銀行に行ったのにお金を取り忘れたりする人が多発するのでしょうか。注意されないと、天気を見て何を着て出かければいいのかも分からない人が増えてきたのでしょうか。あるいは注意されないと、何かが起きたときに「なんで注意してくれなかったの?」とクレームを入れる人がいるから、保身のために注意する側もつい過保護になりがちなのでしょうか。それとも、「絆」といううわべの言葉が持てはやされるほど人間同士の関係が実は希薄になりすぎたせいで、お互い注意をし合わなくなったからこそ、いちいち機械に頼らざるを得なくなったのでしょうか。いずれにしても、こんなにも注意放送がたくさんあると、何かバカにされている?と思ってしまう僕の方がおかしいのでしょうか。

 

当然ながら、注意放送の中には確かに必要性があって大事なものもあるのでしょう。しかしここまで氾濫が進んでいると、どんな注意も生活騒音の一部になってしまい、本当に大事なものまでも軽んじられたり聞き流されたりしてはいないか、と逆に心配になります。というより、ほとんど誰も聞いていないのではないですか。現に、僕があらゆる駅で観察する限り、あれだけ「大変危険ですから」と駅内アナウンスが朝から晩まで注意を促しても駆け込み乗車は一向に減りません。この前なんか、発車寸前にベビーカーを押しながら駆け込み乗車をする若いお母さんがいて、案の定ベビーカーが閉まるドアに挟まってしまったという危ない場面も目にしました。赤ちゃんの安全を顧みないほど、移動時間を急がなければならない用事というのはいったい何だったのでしょうね。そういう人に危険を冒させないためにも、誰も聞かない注意放送を流すよりも、閉まるドアに電気を流して体に触れるとピリッとくるようにしたほうが無理な駆け込み乗車も減っていくのではないでしょうか。もちろん、冗談ですが。

 

そんなに注意放送をするのが好きならば、もっと肝心な所で注意を呼び掛けて欲しいというものです。例えば、「地震大国日本で原発の再稼働は大変危険ですから、国民の生活を守るためというような矛盾に満ちた無理な言い訳をなさらないようお願いいたします」のような注意アナウンスのほうが現実味があるのではないでしょうか。もしくは「この国の未来に関わる問題が山積しております。言った言わない、解散しろ解散しない、協議に応じろ応じない、というような非生産的な水掛け論は大変無意味ですから、おやめください。尚、国民に選ばれた義務と責任とプライドのお忘れにも十分ご注意ください」のように、然る(叱る)べき所で注意喚起をしておいたほうが有意義なのではないでしょうか。もっとも、野次が飛び交う中で誰も聞きはしないでしょうが。

 

——————————-
<シム チュン キャット☆ Sim Choon Kiat☆ 沈 俊傑>
シンガポール教育省・技術教育局の政策企画官などを経て、2008年東京大学教育学研究科博士課程修了、博士号(教育学)を取得。日本学術振興会の外国人特別研究員として研究に従事した後、現在は日本大学と日本女子大学の非常勤講師。SGRA研究員。著作に、「リーディングス・日本の教育と社会--第2巻・学歴社会と受験競争」(本田由紀・平沢和司編)『高校教育における日本とシンガポールのメリトクラシー』第18章(日本図書センター)2007年、「選抜度の低い学校が果たす教育的・社会的機能と役割」(東洋館出版社)2009年。
——————————-

 

 

2012年7月11日配信