SGRAかわらばん

エッセイ347:李 鋼哲「領土問題で試される日中韓の知恵、解決策は?」

領土・領海問題で東アジアの国家間関係や国民感情に大きな揺れが生じている。時折起こる局部的な地震のような感じがする。地震が起きたら国境を越えた被災者救助協力が行われ、国家関係や国民感情にプラス効果をもたらす方向に動くのだが、領土問題が発生するとそれとは逆の方向に動くのである。

人間対自然で闘うときは協力できるが、領土問題となると奪い合いの力が働き、国家間の対立が生じるのは人間社会の常であろうか。人間社会の長い歴史を見ると、常に領土を奪い合う弱肉強食の世界がそこに繰り広げられてきた。歴史上の世界の為政者たちは、「国民」、「国益」を守るという名目で、他国を侵略したり、占領したり、統治したりしてきた。そのような弱肉強食の世界がピークに達したのが第一次、第二次世界大戦ではなかろうか。

二つの大戦を経て、人類は、戦争というものは結局人の殺し合いで、誰の利益にもならない愚かな行為だと気付き、それを防ぐための世界的な仕組みを考え出した。そのひとつが「国際連合」(United Nations)という仕組みである。しかし、「国連」という仕組みのもとでも「冷戦」という深刻な対立と局部的な戦争を完全には防げなかった。

それをさらに進化させたのが「欧州共同体(EU)」に他ならない。近代において弱肉強食の戦争がもっとも激しかったヨーロッパでは、「二度と戦争をしない」という強い意志をもって、長い間最も激しい戦争をしてきたフランスとドイツが中心になって「共同体」を目指し、50年をかけて実現したのである。EUは単に経済共同体なのではなく、人類の最高の価値である「平和と共存」を実現する人類の知恵の結晶だと筆者は考えている。「普遍的な人権」という価値観は「平和と共存」という価値観の上で成り立つ価値観である。「普遍的な人権」価値観のもとでは他国に干渉したり、弱肉強食の戦争(例えばイラク戦争)があり得るが、「平和と共存」という最高の価値観のもとでは、戦争や他国干渉ができなくなる。これは国連憲章の基本原則でもある。

東アジアでも、この十数年間に「共同体」への機運が生まれ、「共同体」意識が経済や文化交流の緊密化とともに育まれてきている。最終のゴールとして「東アジア共同体」が実現できるかどうかは別として、大きなベクトルはその方向で動き、国境の壁は着実に低くなってきているのだ。今後、そのプロセスには波瀾万丈が予想されるが、「平和と共存」という人類最高の価値観に立ち戻れば、様々な問題は解決の方法が見つかるはずだと、筆者は確信している。

東アジアでは、第二次世界大戦後に領土・領海問題がたくさん残されているのは事実である。尖閣諸島(釣魚島)問題、竹島(独島)問題、北方領土問題、南沙諸島問題など。これらの問題はいずれも東アジアの近代における戦争や植民地支配など、かつての弱肉強食の世界秩序と、その後の混乱する国際情勢の中で残された問題である。戦争は終わり、戦後60年以上経った現在でも、今の国際法や二国間関係では、簡単には解決し難い問題である。

だからといって、解決方法が全くなく、今後も領土・領海紛争が起こり続けるのだろうか。解決方法は必ずあるはずである。それは関係各国が、「平和と共存」という人類最高の価値観と、自国の最高の「国益」という戦略的な大局で一致することができる時である。ここでいう「国益」とは一部政治家達が唱えている国民騙しのスローガンではなく、「平和と共存」という「人類益」に反しない範囲での「国益」として理解すべきである。

領土問題解決の実例もある。日中間の尖閣諸島に関する「棚上げ」方法は、最終的な解決方法ではなかったにせよ、過去40年間の日中友好協力関係を維持する上で最良の方法であったことは否定できない。この方法で対応できたのは両国のリーダー達が、「平和と共存」という価値観と自国の国益を合致させる方向で舵取りをとったからに他ならない。問題は、その後、「棚上げ論」から一歩も前進しておらず、最近では後退さえしていることだ。

 

もう一つの実例を挙げよう。中ロ国境線の確定である。江沢民時代の1998年に中国とロシア両国は、数百年争ってきた領土問題にけじめを付けたのである。中国の歴史教科書では、ロシア帝国が東シベリアや極東にまで領土を拡張して、清朝から160万平方キロメートルの領土を占領したと書かれ、筆者もそのような教育を受けてきた。1969年には珍宝島(ダマンスキ島)で中ロ両国の武力衝突まで起こり、中ソ間で大きな戦争が起こるから、いつも戦争準備に備えるという教育を受けてきたし、小学校の体育の時間には軍事訓練をさせられ、核戦争を予想して家の庭に防空洞(防空壕)を掘るのが、学校が終わってからの日課だった時期もある。全国民が防空洞を掘っていたのだ。

 

そのような緊張関係にあった中ロ間で、国境を確定し領土問題にけじめを付けたというのは、まさに中ロ両国のリーダー達が「平和と共存」という価値観と国益の価値観を一致させたからにほかならない。中国内ではこれに対してインターネット世論で相当な政府批判や江沢民批判があった。「売国賊」、「弱腰外交」などの言葉がネットで飛び交った。筆者も当時は「あれほどロシア帝国主義とソ連修正主義を批判した中国が?」と首を傾げたこともあるが、これはやはり中国のリーダー達の賢明な選択であったと理解するようになった。

 

中国は陸続きで国境を接している国が16ヶ国もあり、戦後に国境紛争が何度もあったが、現在では多数の国と領土問題を円満に解決しており、残った領土・領海問題にも善隣友好の大局に基づき、対話で解決することを一貫した外交指針としている。(もちろん、国力が強くなれば強気で出てくる可能性もないとは言えないが。)

 

東アジアで時として噴出し、国家関係や国民感情の悪化を招く領土ナショナリズムをどのように克服するのか。これは、東アジアの人々の知恵が試される21世紀の最大の課題である。これは国際問題・外交問題だけではなく、国内問題でもある。「平和と共存」を尊重する多数の国民と少数のナショナリスト間の葛藤でもある。

 

現時点では領土・領海問題には、完全な解決方法が見つからない。関係各国の為政者の賢明な選択は、現状維持を尊重する上で、紛争防止の為のガバナンス・メカニズム(対話チャンネル)を構築することである。実際に領土・領海紛争があるのに、「領土問題は存在しない」とする姿勢で国民を騙したり、解決方法を模索しないのは政治家達の怠慢に他ならない。政治家たちが領土主張を繰り返しても本当の国益にはならない。マスコミがそれを煽ることも国益にはならず自制すべきである。隣国間の関係を緊張化させることは国民にとっては迷惑行為ではないか。

 

将来的な解決方法としては、前途多難かも知れないが、EUのような共同体を目指すことも有力な道筋だろう。「共同体」や「連合」になったら国家主権が限りなく弱まるので、領土問題も主権問題としての意味が次第に薄れるか、またはなくなってしまうかも知れない。

 

———————————
<李 鋼哲(り・こうてつ)Li Kotetsu>
1985年中央民族学院(中国)哲学科卒業。91年来日、立教大学経済学部博士課程修了。東北アジア地域経済を専門に政策研究に従事し、東京財団、名古屋大学などで研究、総合研究開発機構(NIRA)主任研究員を経て、現在、北陸大学教授。日中韓3カ国を舞台に国際的な研究交流活動の架け橋の役割を果たしている。SGRA研究員。著書に『東アジア共同体に向けて―新しいアジア人意識の確立』(2005日本講演)、その他論文やコラム多数。
———————————

 

 

2012年8月29日配信