SGRAかわらばん

エッセイ351:シム チュン キャット「意志あるところに道あり」

尖閣諸島(中国名は釣魚島)問題をめぐる日本と中国の対立が収束の気配を見せず、新たな衝突への懸念も消えません。たとえ一時納まったとしても、根本的な解決がない限り燻っている火種はまた火を噴くのでしょう。渥美健夫鹿島建設名誉会長の遺志を引き継ぎ『人々の心の中に国際理解と親善の芽が生まれ、やがては世界平和への道がひらかれてゆくことを願って』設立された渥美国際交流財団の元奨学生として、また『良き地球市民の実現を目指す』ことを目標に、関口グローバル研究会(SGRA)の運営委員として微力ながら活動させていただいてきた僕は、だから最近ちょっと気持ちが晴れず、頭の中ではいろいろな「なぜ?」、「どうすれば?」などのクエスチョンマークが駆け巡っています。

 

尖閣諸島/釣魚島は赤道直下のシンガポールから遠くて全然関係ないかもしれません。また、中国とも日本とも良い外交関係を確立しているシンガポールは今回の件について、どちらかの側に立つことも絶対にないのでしょう。というより普通に考えれば、アジア2強のケンカに敢えて首を突っ込んで要らぬ飛び火を自ら受けに行く国はあるはずもありません。静かに見守っているほうが面倒なことにならずにすむと思っている国が多いのではないでしょうか。しかし、このまま事態が打開の方向へ進んでいかなければ、その負の効果はアジア地域全体に不安を与え続けることになりましょう。

 

個人的な話になりますが、中学2年生の頃からずっと日本ファンであり続けてきた僕はシンガポール生まれの中国系華人でもあります。それゆえに、日中の領土問題は心境的に他人事などではないと勝手ながら思っています。例えがヘタかもしれませんが、ロンドン五輪のバレー女子準々決勝で日本がフルセットの末に中国を撃破し、ソウル五輪以来24年ぶりに準決勝進出を決めたあの激戦を中継で見ていたときの心境に近いものを感じます。日本チームの選手全員の名前を知っている僕は日本を応援しつつ、片方で、選手の名前は一人も知りませんが、かの郎平選手が無敵に活躍していた黄金時代に女子バレーの面白さに目覚めた僕は中国チームにも負けてほしくありませんでした。なので、日本チームが接戦を制したあの瞬間、日本サイドの歓喜に沸くシーンに僕は感動を覚えつつも、中国サイドが流す涙には寂しさを感じました。結果が逆だったとしても、同じ心情になったに違いありません。はい、面倒臭い男です。そう言われても仕方ありません。中国人ではありませんが中国系華人であり、日本人ではありませんが東京在住17年の日本大ファンでもある僕がそういう心境にならざるを得ないことは、果たして理解されるでしょうか。できれば、両方を勝たせてあげたかったのですが、勝負をつけなればならないのが競技の厳しい掟です。一方、領土問題でも勝ち負けを分けなければならないでしょうか。領土問題の「勝ち」と「負け」は何を意味するでしょうか。それに例え最終的に一方が「勝った」としても、もう一方が悔し涙を飲めばすむというような単純な図式ではないところに、日中の領土問題の複雑さがあります。

 

近年、オランダ・ハーグの国際司法裁判所により解決した紛争事案の中に、シンガポール対マレーシアの領土問題がありました。サッカー場の半分しか面積はありませんが、戦略的に重要な位置を持つある無人島をめぐって両国は実に28年間にもわたって論争を繰り返してきました。その島の領有権は結局シンガポールに帰属するという判断が下されましたが、それによって二国間関係が影響されることはないと両国ともに事後コメントしていました。当然ながら、東南アジアの領土紛争と東アジアの領土権問題を同一視することはできません。ここで僕が言いたいことは、シンガポールもマレーシアもより良い未来関係を作るため、後腐れのないように領土問題という両国間の懸案を、国際的な場で片付けたということです。現に、その3年後に両国は長年に及ぶもう一つの懸案となっていたマレー鉄道の用地返還問題も解決し(それまでシンガポールの中心部まで走っていたマレー鉄道の線路とその敷地はすべてマレーシアの所有という離島領有権以上の領土問題がありました)、またそれを機にいくつもの共同開発プロジェクトにも乗り出しました。相手の主張を断じて認めない、あくまで自分の主張を曲げないでは、懸案も懸案のまま、新しい関係が開かれる未来もなんら構築できないことは、中学生でもわかることです。

 

東アジア情勢の専門家でもない僕ですが、稚拙さを承知のうえで意見を書かせていただくと、日中関係問題の根元にはもちろん政治、経済、歴史、教育などの問題が絡みついていますが、つまるところ問題の根幹をなしているのは、過去と現在に関する情報提供の不足、あるいは過剰による認識の不一致とすれ違いに尽きると思えてなりません。日韓関係問題も同じ構図が見えます。高度情報化時代なのに、ではなく、そうだからこそ正確な情報の共有がますます難しくなっています。良くも悪くも情報は規制の網をくぐり抜けて一人歩きし、その中から自分が読みたい情報、自分サイドに都合の良い情報だけを人は選んで信じる傾向があるからです。しかし、こうして問題ばかりを指摘していても現状は好転しません。相手の非ばかりを責めても難局は克服できません。ここで僕が思い出したのは、日中国交正常化の交渉に際し、かの周恩来首相が両国交流の基本精神として表現した「求大同、存小異(小異を捨てて大同に就く)」という言葉です。2012年9月21日に放送されたNHK-BS1スペシャル『1972年 北京の五日間 -こうして中国は日本と握手した-』という日中国交正常化に至るまでの舞台裏を報道した番組によれば、政治的な思惑もあったにせよ、「中国に力がつけば、すぐにでも日本への借りを返したい(大意)」と思う中国国民が多かった当時にあって、周恩来首相がそれでも日本と友好関係を結んだのは未来の中国、未来の日本、そして未来のアジアのためであったといいます。そこにも新しい関係と新しい未来を築いていきたいという通奏低音が流れているということです。

 

今すぐには難しいかもしれません。でも、日中両国の関係について感情的になっているのは一部の市民だけで、多くの人々はやはり友好関係とアジアの平和と新しい未来を望んでいるはずです。その友好と平和の種をたくさん蒔いておくためにも、SGRAの活動は続けなければならないと思いました。勝ち負けではなく、最終的に両国とも和平の金メダリストとなれるような道はあるはずです。「Where there is a will, there is a way(意志あるところに道あり)」です。百年後、もしくは二百年後の世界は、地球の表面に国境線を引くことが無意味な世界だと思いたいです。その実現が困難を極めることは言うまでもありません。それでも、それが人類社会の目指すべき理想の姿だと僕は信じています。国境線でさえ意味をなさない世界では、海の上ではもちろん線なんか引きません。ましてや誰も住んでいない無人島の奪い合いなどの事態が生じるはずもありません。

 

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<シム チュン キャット☆ Sim Choon Kiat☆ 沈 俊傑>
シンガポール教育省・技術教育局の政策企画官などを経て、2008年東京大学教育学研究科博士課程修了、博士号(教育学)を取得。日本学術振興会の外国人特別研究員として研究に従事した後、現在は日本大学と日本女子大学の非常勤講師。SGRA研究員。著作に、「リーディングス・日本の教育と社会--第2巻・学歴社会と受験競争」(本田由紀・平沢和司編)『高校教育における日本とシンガポールのメリトクラシー』第18章(日本図書センター)2007年、「選抜度の低い学校が果たす教育的・社会的機能と役割」(東洋館出版社)2009年。
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★SGRAかわらばんでは、現在、読者の皆様から投稿していただいた領土問題に関するエッセイを優先的に配信しています。SGRAはどの立場を採るかということではなく、開かれた議論の場を提供することを目指しています。

 

2012年10月3日配信