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エッセイ223:シム・チュン・キャット「日本に『へえ~』その2:時はマジで金なり?」

シンガポールで日本人のイメージについて聞くと、必ずといっていいほど「マジメで時間を守る」という返事が返ってきます。まあ、長年日本に住んでいると、それほどマジメでもない日本人の友人にも少なからず恵まれてきたので、前者のコメントについてはノーコメントを貫きたいのですが、こと後者のほうに関していうならば、僕は手を上げ足を上げ大賛成です。

何年か前のある夏のことでしたが、僕は東京に遊びにきた四名のシンガポール人の飲兵衛親友と同じく四名の日本人飲兵衛友人と、高尾山の展望台にあるビアマウントでビールの力を借りて暑さを凌ごうということになっていました。ビールばかりではちょっと高尾山に失礼かもしれないというので、飲む前に少しだけハイキングして汗を流したところで乾杯しようという算段になり、高尾山口駅で中途半端な三時半ごろに待ち合わせることに決まりました。それで僕が引率するシンガポール人組がちょうど三時半ごろに待ち合わせ場所に着いてみると、なんと日本人の友人は全員揃ってそこで僕たちを待ち受けていたわけです。僕はなんとも思わなかったのですが、「ワオー!リアリー?遅刻した人が一人もいないなんてすごい!」と驚きまくりのシンガポール人を前にして日本人の友人たちもかなり驚きました。いわれてみれば、シンガポールではグループで待ち合わせするときに時間通りに全員が揃うことは確かに稀なことです。しかも、日本人友達の中に一番「遅く」到着した友人が三十分前に僕の携帯に「ごめん、二分ほど遅れるかもしれない」というご丁寧なメールを寄こしたものでしたから、これにもシンガポール人組は驚きまくりの様子でした。「二分ぐらいならメールは要らないよ!待っていてやるよ!」というシンガポール友人の反応を聞いて、確かにシンガポールでは二十分遅れてもメールも何も寄こさない人がたくさんいることを僕は思い出しました。

上の実例のように、日本人は確かに時間にはかなり厳しいほうですね。時間を守ることが他人や仕事に対する姿勢の一つとされ、約束した時間に遅れた人はまだ一人前でないとされてしまう危険性すらあります。日本人はなぜもっとリラックスして時間と付き合えないのでしょうか。その理由の一つが、著しく発達した交通網の時刻表にあるのではないかと僕は考えています。周知の通り、日本の地下鉄や鉄道の時刻表は極めて細か~いです。「9時13分に各駅、9時16分に急行、そして9時19分に次の各駅と乗り合わせの特急が来る」といった神業に近い緻密な計算は、東京では珍しくも何ともないかもしれませんが、海外の大都会でもあまり見かけません。同じく時刻表が発達しているドイツや韓国などの国でさえ、時刻表はあくまで参考用であると聞いています。しかしそれが日本だと、もしも電車が少しでも遅れた場合には「電車が二分ほど遅れております!お客様には大変ご迷惑をおかけしております!」というお詫びの放送がすぐ聞こえてきたりします。「二分ぐらいなら放送は要らないよ!待っていてやるよ!」というシンガポール友人の声が聞こえてきそうですが、まあ、東京などの都会の場合では乗り合わせとかも多いため、二分の遅れが本当に「ご迷惑」になることも考えられますから、落ち落ち時間と付き合っていられないというのもわかります。

思い起こせば、シンガポールの地下鉄では「時刻表」(?)に書いてある時間は二つしかなく、始発と終電の時間だけなのです。電車は、この二つの時間の間に適当に来るというのがシンガポール流です。ラッシュアワーならもっと頻繁に、そうでないときはより断続的にといった具合ですが、とにかく待っていればそのうち電車は来ます。近年、ホームに着くと次の電車が何分後に来るというシステムがやっと設置されるようになりましたが、でもこれについても駅に着かない限り電車が来る時間など知りようがありません。だからなのか、シンガポールに帰っているときは電車に間に合うためにあまり走ったりしません。駅に着く前に電車の時間は知らないし、たとえ約束に遅れても「ごめん、電車が来なくて…」という言い訳は広く市民権を得ているからです。そうであるからこそ、シンガポールでは二十分遅れてもメールも何も寄こさない人がたくさんいるし、待ち合わせに時間通りに全員が揃うことも稀なのです。これとは反対に、東京などの都会にいると時刻表はちゃんとあるのですから、駅員が配る「遅延証明」の紙がない限り電車の遅れなんて遅刻の理由になりません。そのため、電車に間に合おうと駅に向かって走ったり、乗り合わせの電車に遅れまいと駆け込み乗車したりする人の姿は、東京では日常茶飯事です。シンガポールにいたときよりも、日本にいるほうが僕は痩せているというのもこのためかもしれません。でも、これは悪いことではありませんね。
 
どこかの本で読んだのですが、エレベーターが最初に発明されたときには階ごとのボタンと「開ける」というボタンしかありませんでした。その後、「閉まる」というボタンを付け加えたのは日本人だそうです。これを知ったときに、僕はなんかすごく納得しましたね~。さすがは日本人です。エレベーターのドアなんて放っておけばすぐに閉まるのに、そこまで待っていられずいち早くドアを閉めてしまいたい、効率的に時間を使いたいわけですね。これもなんか「9時13分に各駅、9時16分に急行、そして9時19分に次の各駅と乗り合わせの特急が来る」という緻密なダイヤルに通じるものを感じます。「時は金なり」の信奉者なのか、人生は短いから時間は有効的に使わなければという人生観からなのか、なぜ多くの日本人がそんなに急いでいるのかな…「急がば回れ」という人生訓の諺もあるでしょうに…というようなことを考えながら、今日も駅に向かって足早に歩かされている自分がいます。

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<シム・チュン・キャット☆ Sim Choon Kiat☆ 沈 俊傑>
シンガポール教育省・技術教育局の政策企画官などを経て、2008年東京大学教育学研究科博士課程修了、博士号(教育学)を取得。現在は、日本学術振興会の外国人特別研究員として同研究科で研究を継続中。SGRA研究員。著作に、「リーディングス・日本の教育と社会--第2巻・学歴社会と受験競争」(本田由紀・平沢和司編)、『高校教育における日本とシンガポールのメリトクラシー』第18章(日本図書センター)2007年、「選抜度の低い学校が果たす教育的・社会的機能と役割」(東洋館出版社)2009年。
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2009年10月21日配信